2010年 03月 05日 ( 1 )

返還後の香港についての本


 香港についてのすぐれた新刊書を読んだ。倉田徹『中国返還後の香港』(名古屋大学出版会、2009年)である。返還後の香港について、主に「中央政府」(中華人民共和国政府)との政治的関係を中心にして詳細に分析したもの。

 まず、中央政府が返還後の「一国二制度」という枠組みのなかで、どうやってどの程度香港の政治エリートたちを統制してきたのかが分析されている(第1章)。次に、「民主化」という言葉によって示され目標とされる政治体制の意味が返還前と返還後では異なってきており、市民の政治参加による政権交代の可能性を制度的に保障するような、普通の、欧米的なdemocracyでは必ずしもなく、より中央政府よりのもの、つまり共産党による一党独裁と両立するような特殊な「民主」となってきていることが示される(第2章)。とはいえ、中央政府が香港政府をかなり強力に統制しつつも、各種メディアをはじめとする「香港社会」にたいしてはほとんど放任・不干渉を続けている。その理由は、香港社会に干渉し統制する力が中央政府には法的にも実質的にもないことにもよるし、また、香港から大陸への政治的な悪影響という中央政府が最も懸念することについては、大陸と香港との間の「疑似国境」ゆえにかなりの程度コントロールできることにもよる、とされる(第3章)。そして、中央と香港とは「統合か自治か」をめぐって対立関係にあるのでは必ずしもなく、とりわけ経済的な安定と繁栄ということに関しては、中央政府も香港側も共通の目標としてきたこと、そして今後もその共通の目標をもちながら両者の関係が推移していくことを予想している(第4章)。最後の章では、かねて広く研究されてきた「香港人アイデンティティー」の問題をふまえながら、2004年に中央政府側から香港にたいしてしかけられた「愛国者論争」の分析を通じて、「香港人アイデンティティー」が、大陸の悪いイメージと対立するなかで形成されたものから、大陸における愛国とは異なるが両立可能な、地元愛としての香港人意識として、党派を分かたずに共有されるようになったと分析している(第5章)。

 どの章の分析もかなり精密なものであり、信頼できるものだと思う。

 振り返ってみれば、返還前後には香港の運命については日本でもずいぶん話題になったが、実際に返還されてからどうなったのかということについて、簡単な紹介程度の記事はあったが、しかし、きちんと詳しくフォローした日本語による文章は、私の知る限りまったくなかったと思う。いや、そもそも香港についてのこのようにしっかりとした学術書は日本ではたいへん希少なものであり、返還後の香港を語るうえで(少なくとも日本では)必読の文献であることに間違いはないだろう。

 私がとくに興味深く思ったのは、「北京」が香港を統制する具体的な手段である。そもそも、香港のミニ憲法である「香港特別行政区基本法」の解釈権と改正権は、香港側にはなく、中央政府がもっている。香港の行政上のトップである行政長官の人事権も、本書によれば、かなりの程度実質的な権限を中央政府が握っている。そのような公的・法的な手段によっても中央は香港をかなり強力に統制しているのであるが、同時に非公式なルートによっても統制しようとしてきた。例えば、本書は、激しい政府批判を行うことで知られるあるラジオ番組にたいして中央政府が圧力をかけた2004年の事件を取り上げている。この番組の出演者である李鵬飛という有力政治家の発言が共産党系の新聞で批判され、中国側の関係者や香港の政財界の巨頭が次々と李に面会を求めてきて、さらにある日、元中国政府官員を名乗る陳なる男から電話があり、妻や娘について言及された上で、久しぶりに会わないか、番組について議論したい、と言われ、李はほとんどまったくつきあいのなかったこの知人の言動を脅迫と受け取り、番組を降りることにしたのだ、という。

 中国共産党という権力集団の特異さの一つは、このような非公式的な手段、つまりは法的な規制からかなりの程度自由な手段をも組み入れた、豊富なリソースの動員による権力の集中的・重層的な発動を国内において行うことができる、ということにあるといえるだろう。文革期に大混乱しつつも頂点に達したそのような強力で特殊な権力行使のありようは、驚くべきことだと思うが、半世紀近くたった今でも中国共産党において一つの強固な政治文化として脈々と受け継がれていることが本書の記述からもわかる。もう少し具体的にいえば、「中央」の(時に非公式な)意志を体現し手足となって活動する人たちが中国社会のあらゆるセクターに相当数いる、ということだ。そして彼らは、退くべき時にはさっと妥協し退いて何事もなかったかのように次の一手にでる、というたいへんしたたかな権力集団なのだ・・・などという中国共産党の一般論は本書に書いてあることではなくわたしの憶測だが、しかし本書は、このように、香港の政治的状況だけではなく、中国共産党政府というもはや世界最大・最強といってよりレベルにまで達した集団にたいする理解をもうながすものだと思う。

 もっとも、この本の著者は東大で鍛えられた複眼的な政治学者であり、こうした国家・政府・党の強権を過大視することなく、むしろそれがいつも限界をもっていることに目配りしている。中央政府は香港政府をかなりの程度コントロールできても、反権力的なジャーナリズムをはじめとする「香港社会」にたいしては、若干の統制を試みてもすぐ手をひっこめて、結局は返還後一貫して放任してきた、ということを強調している。李鴻飛の事件にしても、中央側の動きは決して一枚岩ではない。むしろ、中央政府は、香港が安定し繁栄するという目標を香港政府とも香港の市民とも共有しているのであり、結局のところ、中央と香港との関係は、返還前に憂慮されていたこととは異なって、良好なものになっているのだ、という。

 私も香港にはずっと注目してきたつもりで、著者のこうした分析は基本的に正しいと思う。けれども、中央政府の統制に限界があるという当然のことは認めたうえで、香港という場所の特異性を考えるうえで重要なのは、香港がそれでもやはり中央政府の、あるいは大陸という巨大な場所からの大きな脅威のなかにある、ということだと思う。正確にいうならば、香港は、最も基本的な生存のための構造的な条件 ― ミニ憲法の改正権、行政長官の人事権、外交権、軍事力の行使、水や食糧の供給、 ― を中央政府ないし「本土」にほとんど完全におさえられ依存しながら、なおかつ市民の日常的な生活のレベルにおいては、植民地時代から今日なお継続する、政府によるかなり大胆なレッセフェール的な政策のなかで、かなりの程度の豊かな自由 ― 経済活動、言論活動、教育のいずれにおいても先進国並み、あるいはそれ以上の水準にある ― を享受している、という状況である。政治的権力的な脅威の大きさ ― その脅威とは基本的構造に基づきながら、しかし多分に心理的なものである ― と、市民社会の経済的・文化的な豊かさ、このようなギャップの両面を理解することにこそ、ここ半世紀近く続いてきた香港的とでもいうべき社会・文化状況の特質を理解する鍵があるのではないか・・・といったことを私は思うのだが、どうだろうか。
by kohkawata | 2010-03-05 22:02 | 香港の文化 | Comments(0)