絵師金蔵

 先月末、高知県香南市の赤岡町にある、「絵金蔵」を見学した。研究者の知人(どなただったか忘れてしまった・・・)がここはおもしろいと教えてくれたのが一つの動機であった。絵師金蔵、略して絵金は、幕末前後に土佐で活躍した絵師で、彼の描いた「芝居絵屏風」がこの絵金蔵という古い米蔵を改装した小さな美術館に収められている。

 高知城下の髪結いの家に1812(文化9)年に生まれた絵金は、若くして江戸にでて狩野派に学び、土佐藩家老の御用絵師になったのだが、陰謀めいたもののために追放となり、民間の絵描きとなる。放浪ののち、赤岡のおばの許に身を寄せて、浄瑠璃・歌舞伎の物語を一幅の絵に凝集させた芝居絵屏風を数多く生み出し、土佐で広く好まれたようだ。

 Googleなどで検索しても見ることができるが、絵金の絵は、少し後の月岡芳年にも通じる、かなり露悪的なもので、私は元々あまり好きではなかった。どの絵も、浄瑠璃・歌舞伎の、もっとも残忍な場面を中心にすえて大げさに描いており(細部で物語の他の部分を再現していておかしみがあるのだが)、お約束のように真っ赤な流血がある。そもそも私は江戸時代も下った時期の芝居一般に十分な共感ができないのだから、絵金が好きになれなかったのも当然である。

 けれども今回絵金の絵を直に見て、また彼の来歴も知って、少し共感できるように思えた。一端をふれただけの印象だが、絵金は非凡な絵の才能をもっている人で、本当はどんな画材でも描けるのだが ― ちょっとしたスケッチなどにも彼の並々ならぬ才能があふれている ― 、時代の要求に従って、芝居絵をものした、ということではないだろうか。彼は土佐藩の御用絵師の地位を失わなくても、十分に優れた作品を生みだし続けたであろう。しかし同時に、おそらくはかなりの失意のなかで上方で歌舞伎・浄瑠璃をたっぷりと楽しみ学んだことのある絵金(これは近森敏夫『絵金読本』改訂版(香南市商工水産課刊行、2006年)にある説。この本は絵もきれいで、解説もわかりやすい)は、同時代の露悪的な歌舞伎・浄瑠璃の世界をかなり深く自分のものにしていたのだと思う。だからこそ、その芝居絵には、人形や役者による浄瑠璃・歌舞伎よりもいっそう生々しい迫真性が備わっているのだと思う。絵金の絵も江戸の終わり頃の歌舞伎も、人がいとも簡単に自害したり人を殺害するという露悪的なものであり、いかにも趣味の悪い作者と退屈しきった観衆との不毛な共犯の揚げ句、といった感じはある。けれども、そのようにして徹底して人間の悪を描くことの裏にはやはりそれなりの情念があるのだ。社会のまともな一員でなければならない、人を裏切ってはならない、人を殺してはいけない、といった普遍的な掟を侵犯してしまう、どうしようもない人間の性(さが)への共感が絵金の絵の迫真性を支えているように思う。

 私にはなかでも「浮世柄比翼稲妻」が印象的であった。わけあって脱藩して江戸に向かう途中に追っ手を見事に惨殺した美青年と、その美青年に同性愛的に惚れ込む侠客、という極めて頽廃したモチーフなのであるが、その頽廃がなお様式を保ちながら見事に描かれていると思う。

 ところで、この「絵金蔵」という絵金専門の美術館は、2005年に開館したもので、小さいながらもいろいろな工夫がこらしてあってとても楽しい所であった。また同館が発行を続けている「蔵通信」という小冊子も、おしゃれで楽しい冊子である(その一部はネット上でみられる)。私は少し前にある自治体の文化振興関係の委員をやっていたこともあって、地域の文化振興というのはともすると空疎なものになりかねない事情(官僚制と文化とは原理的に相性が悪いのだ、もちろん)を多少は知っているのだが、赤岡町のこの取り組みはたいへん優れた、模範的なものであるように思う。「旧長宗我部遺臣団の反山内体制の気風をうちに秘め、廻船問屋、商工業者の財力」(前掲『絵金読本』5頁)をもって栄えたこの町の歴史が、絵金を通じて立ちあがってくる。
by kohkawata | 2010-01-03 18:23 | 近世日本の文化
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