そんなことも知らなかったのかと笑われそうな話だが、アリストテレスの「最高善」についての議論を、「復幸実学共働学習会」という研究会でアリストテレスの専門家である荒木勝先生に教えてもらって、非常に驚いた。
あわてて『二コマコス倫理学』を読んでみたら、アリストテレスはこんなことを主張していることがわかった。個々人の諸々の行為の最終的な目的は何であるか。それは幸福になることである。快楽とか名誉とか金銭ではなく、自分自身が幸福になることが最も価値あることであり、それが「最高善」なのだ、と。 この主張の根拠について彼はこう語っている。 「われわれは幸福をつねにそれ自体のゆえに選び、けっして他のもののゆえに選びはしないけれども、名誉や快楽、知性、またあらゆる徳の方は、それらをわれわれはそれら自体のゆえに選びながらも(というのも、結果として何も生じなくてもわれわれはそれらの各々を選ぶであろうから)、しかし実際にはわれわれはそれらを通じて幸福になれるだろうと考えて、幸福のためにこそそれらを選ぶからである。逆に、それらのために幸福を選ぶ、というような人はだれもいないのであって、他のもののゆえに幸福が選ばれる、といったことはありえないのである。」(アリストテレス(朴一功訳)『ニコマコス倫理学』京都大学学術出版会、2007年、26頁) 個人の幸福をもって最高の価値とする、ということをはっきりと宣言した人は前近代の東アジアにはいなかったと思う。そして、この主張は、かく説得力のある根拠とともに、一度このように宣言されてしまうと、もう否定したがたい力をもつだろうし、幸福になろうとする人間の本来的な欲望への力強い後押しとなってきただろう。 西洋の思想の長い歴史のなかで、この革命的な主張は鳴り響き続けてきたのではないか、そう考えると腑に落ちることがいろいろある。そして、遠く、我々の日本国憲法における幸福追求権にも引き継がれている思想なのだと思われる。 調べてみると、この説は、高校の『倫理』の教科書にちゃんと書いてある(理系だった私は「倫理」を履修しなかった)。それに、幸福こそ最高の価値とは、アリストテレスに言われなくても、現代人だったら漠然とであれもう知っているし信じてもいることであろう。だから常識の類なんだろうけど、幸福の追求は最高の善だ、とはやはりこの上なく大事な宣言だと思うので、この個人的な発見をメモしておく。
by kohkawata
| 2013-06-30 13:08
| 欧米の文学
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