浄瑠璃の本、二冊

 人形浄瑠璃について、二つの、新しくおもしろい文献を読んだ。

 一つは、橋本治『浄瑠璃を読もう』(新潮社、2012年)。これは、現代の日本を代表するのであろう思想家にして江戸芸能のかなりの愛好家でもある橋本治による、浄瑠璃についての「大人の感想文」のようなもの。「感想文」というのは、様々に開陳される自説にさほどの根拠も示そうともせず、「私はこう感じた」で押し通しているからだが、それでも、「日本人のメンタリティの深層部はこれ[人形浄瑠璃のドラマ]を共有するこによって形成されて来た」という大胆な前提から出発する本書は、私にはたいへん面白いものであった。

 取り上げている作品は、浄瑠璃の代表的な作品8本であるが、中心になるのは、浄瑠璃全盛期の代表作と目される三本、『仮名手本忠臣蔵』『義経千本桜』『菅原伝授手習鑑』、についての三つの章であろう。この三本は、浄瑠璃史上の代表作であるだけでなく今でも文楽で(多分)最もよく上演されるものであるにもかかわらず、現代人にはなかなか理解しがたい話法があり、共感しにくいドラマでもあるのだが、それを橋本は、にもかかわらず現代的なドラマでもありえる、という視点から丁寧に読解、説明していく。

 とりわけ私におもしろいと思われたのは、『忠臣蔵』のお軽と勘平の二人を、悲運にみまわれた武家に仕えているにも関わらず、実は忠義やら敵討ちなどといった武士の倫理が身にしみず、つい恋などにうつつをぬかしてしまうような、「現代人」、つまり江戸の現代人でもあり平成の現代人にも通じる人間像なのだ、と橋本が読んでいる部分だ。お軽は勘平とのことにしか興味のない「軽い」女だし、勘平は自分の体面ばかりを気にする軽薄な男だ。浄瑠璃の作者たちは、こうした人間を、愚かしく描きながらも、大星由良助(=大石内蔵助)をほとんどさしおいて、わざわざ主人公にしている。だから、『仮名手本忠臣蔵』という浄瑠璃の代表作が中心的に描いているのは、実のところ主君の仇を討つ忠臣といいうよりは、「義理も人情もへったくれも」ない、町人的で現代的で「生々しい」人間なのだ、と橋本は言う。

 また、近松門左衛門の『冥土の飛脚』も紹介しているが、これもおもしろい。梅川と忠兵衛の悲劇を、近松は徹底的に突き放している、そこに圧倒的な文学性があるのだ、と橋本は主張している。例えば、中之巻の冒頭に「浮気烏が月夜も闇も、首尾を求めて逢おう逢おうとさ」とあるのだが、この「逢おう」は烏の鳴き声「阿呆」に掛けられており、橋本はこの笑えない駄洒落に、公金を預かったままふらふらと梅川に逢いに行ってしまう忠兵衛にたいする、作者近松の突っ放した冷淡さをみる。橋本の「あほう」の説明に導かれて、忠兵衛のように愚かなまま死んで行く人間の運命に、改めて慄然とさせらた。考えてみれば、「冥土の飛脚」というタイトルからして、突き放しきった、薄気味悪いほど残酷な、しかしどこかユーモアのただよう文学性をもっているではないか。

 橋本の説明はそのすべてが説得的というわけではないが、いずれにせよ通読してみて改めて感じるのは、この全盛期辺り以降の浄瑠璃・歌舞伎をはじめとする江戸後期の、奇妙に被虐的だったり不条理に残忍であったりする文化の諸表現は、やはりなかなか難解だな、ということである。そのわかりにくくどこか愚かしげな江戸後期の文化の様子は、今のじわじわと頽落していくようにもみえる日本の社会とも重なってみえるようで、その点でも私はこの本の浄瑠璃の現代的な読み方に興味をもつ。


 もう一つは、細田明宏編『二〇世紀における人形浄瑠璃の総合的研究』(2012年)。科研費の報告書として作成されたこの冊子は、橋本の本とは対照的に、かなり専門性の高い論文集で、人形操法の心得を和歌の形式で記した『操曲入門口伝巻』という文書についての共同研究を中心に(とくに現代の操法との違いに詳しい)、近代以降の浄瑠璃についての丁寧な研究の成果が示されており、こういうふうに学問研究というのはしっかりと進展していくのだな、と感心させられる。

 この冊子のなかには、論文だけではなく、下伊那地方の素人義太夫(義太夫は浄瑠璃にほぼ同義)の担い手であった人たちへの細田氏によるインタヴューも収録されており、その一つが飯田の金井はま子という女性へのインタヴューなのであるが、そこから浮かび上がってきた彼女の人生には、ある種の感慨を覚えた。

 この人は1913年の生まれで、小さい頃にトロッコに触れて左腕を切断する大怪我をしてしまう。責任を感じた親が、「年をとってからの楽しみに」と思って彼女に義太夫を習わせたのだという。詳しいことはわからないが、かつて浄瑠璃というものが、楽しみの少ないであろう人生に慰めをもたらすものとみなされていたことが推察できる。

 ところがおもしろいことに、両親の心配をよそに、どうもこの人はそれなりに充実した人生を送ってきたようなのである。彼女は、片腕を失ったし、戦争で未亡人になるし、飯田の大火に被災するなど、ずいぶん苦労を重ねているのだが、その一方で、子ども三人を育て、義太夫を通じて交友関係を広げながら地域の義太夫グループの一員として活動を続ける。大阪の文楽を抜けて流れ流れて飯田にきたという師匠とのエピソードもニヤニヤという感じで語ったりもしている。浄瑠璃というものを一つのきっかけにしながら、なかなか悪くない人生じゃないか、人生は人智を超えるんだなあ、と感じた。それもまた浄瑠璃的人生観というべきか。


追記:この『二〇世紀における人形浄瑠璃の総合的研究』はネット上で読めることを発見しました。こちらです
by kohkawata | 2012-09-08 20:23 | 近世日本の文化 | Trackback | Comments(0)
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