はるかのひまわり


 この10月1日から開催されている神戸ビエンナーレの、ある企画のお手伝いを縁あって少しだけさせてもらった。

 それは、東北大学の片岡龍先生たちの企画した「東北から祈りを紡ぐ」というタイトルの写真・影像の展覧会で、韓国の写真家イ・ビョンヨンさんが震災後の東北各地の被災地を撮った写真の展示を中心に、映像作家の森元修一氏のドキュメンタリー『大津波のあとに』と大久保愉伊氏のドキュメンタリー『槌音』の部分的な上映もしている。

 展示している写真のなかに、気仙沼の街角で芽吹いたひまわりの双葉があるのだが、これは「はるかのひまわり」である。「はるかのひまわり」について私は少し調べて、こんな解説文を他の協力者のみなさんとも相談しながら書いて、写真の下に掲示した。


「はるかのひまわり」

 6月24日、宮城県気仙沼市を訪れたイ・ビョンヨン氏は、芽を出したばかりの「はるかのひまわり」を偶然みつけて、カメラに収めました。
 「はるかのひまわり」とは、阪神淡路大震災で亡くなった、当時11才だった加藤はるかちゃんという女の子の名前にちなむものです。その年の夏、はるかちゃんの暮らしていた神戸市東灘区の家の跡地に大輪のひまわりが咲きました。それを見た人たちが、震災で亡くなった子どもたちのことを思って、この時のひまわりの種を、近隣の空き地や小学校に植えるようになりました。その後ひまわりの種は、代を重ねながら、ボランティアの人たちの手によって、新潟県中越地震など国の内外の被災地に届けられ、神戸と被災地を結ぶ象徴となりました。
 今回の東日本大震災では、全国・全世界からの救援活動が展開されています。「はるかのひまわり」の種も、神戸や東北のボランティアの方々によって、何万粒も種えられました。今回、神戸ビエンナーレの場をお借りして「東北から祈りを紡ぐ」写真展を開催するにあたり、東日本大震災の被災者・被災地にたいする神戸のみなさまの暖かく活発なご支援に感謝するとともに、今後も神戸と東北の絆が続くことを願って、この写真を展示しています。(以上)

 
 私にとっては近所のことでもある、「はるかのひまわり」を調べていて、とくに印象的であったのは、はるかちゃんのお姉さんである加藤いつかさんが書いた手記『はるかのひまわり』(星雲社、2004年)である。震災後、残された家族がどうなっていったかが率直に書かれている。亡くなった妹への嫉妬なども語られている、この生々しい本が告げているのは、親しい人に先立たれて、立ち直れる人と立ち直れない人がいるのだという、当たり前だけどあまりに厳しい現実である。そして、立ち直れた人であっても、昔の幸福に戻れるわけではまったくないこともわかる。しかも、すべての人は親しい人がいるならば必ずその人と別れる運命にあるのだから、この本に描かれていることには何かぞっとするような恐ろしさがある。そういっても、なんとか立ち直ることのできたようにみえる人の手になるこの本は、傷ついた人たちにとって、安易な励ましとは異なるレベルでの励みになりえる本だろうと思う。

 それにしても、「はるかのひまわり」という象徴はよくできているな、と思う。多くの人たちが理不尽に命を奪われたという悲劇にたいして、明るく陽気な花とたくさんの実を実らせる向日葵という植物の命をつなげていく、という行為は文字通り向日的で、うまくあっていると思う。しかもそれを一人ではなくたくさんの人たちと一緒にやっていく、というのはたしかにみんなの気持ちを明るくさせるだろう。「はるかのひまわり」の運動は単一の団体が押し進めたものではなく、最初に跡地にひまわりが咲いているのを見つけた人、神戸の複数のボランティア団体、そして今回は、東北に「はるかのひまわり」を持ち込んだ新潟の人、いわれをきいて共感して種を植える運動を初めた被災地の人たちなど、相互に無関係であった多くの自発的な共感者・参加者たちによってつながれてきた運動であるようだ。「はるか」という名前も、遠くに去っていった命を期せずして表しながら、しかもきれいな感じ。

 神戸の震災の経験から学べることはたくさんあるのだろうけれど、「はるかのひまわり」という象徴もその大切な一部なのだと思う。

 今回は、「東北から祈りを紡ぐ」の関係者の皆様と「はるかのひまわり」に関わってこられた皆様のおかげで、いろいろな経験をし、いろいろなことを教えていただき、上記のようなことを考えたりもしました。この場を借りて、お礼申し上げます。
by kohkawata | 2011-10-05 14:36 | 現代日本の文化
<< 『愛の映画』 老いて旅立つ >>