おばあちゃんを歌う

  この年末年始は、この春にでるはずの拙著 ― 香港の映画についての本 ― の最終的な詰めの作業にだいたい専念していた。この本にまとめているテーマについてはずっととても楽しく研究し執筆してきたのだが、今は細かいミスを消していくなど、ちょっとさえない工程である。まだ終わらないが、終わりは近いと思って、もうひとがんばりしよう。

 ところで、年末の紅白では植村花菜の「トイレの神様」が注目されたらしい。私も作業をしながらたまたま聴いていた。亡くなった祖母への追悼の歌で、おばあちゃんのことをテーマにした歌謡曲が流行るのは日本ではめずらしいことかもしれない。涙目で「おばあちゃん、ありがとう」などと歌われると、あまりのベタさにひるんでしまうが、素直なのは悪いことではないし、多くの人が共感するのもわかるように思う。
 
 おばあちゃんを歌ったもので私が思い出すのは、孫燕姿(Stefanie Sun)の「天黑黑」である。彼女はシンガポール生まれで台湾を拠点に活動してきた歌手で、この曲は代表作の一つである。詞は廖瑩如とApril、曲は李偲菘、2002年の発表。

 歌詞は以下の通りで、翻訳してみた(わりと意訳です)。

我的小時候 吵鬧任性的時候 子どものころ、遊び回ってわがままいっぱいだったころ
我的外婆 總會唱歌哄我    おばあちゃんはいつも歌ってわたしをあやしてくれた
夏天的午后 老老的歌安慰我 夏の日の昼下がり、なつかしいあの歌はわたしをなぐさめ
                     てくれた
那首歌 好像這樣唱的     その歌はこんな感じだった

天黑黑 欲落雨 天黑黑 黑黑 空が暗くなってきた いまにも雨が降りそうだ
                     空が暗くなってきた ますます暗くなってきた

離開小時候 有了自已的生活  幼い日々が過ぎ去ると、自分の生活ができた
新鮮的歌 新鮮的念頭      新鮮な歌があり、新鮮な考え方に夢中になった
任性和衝動無法控制的時候   激しい気持ちに揺り動かされてどうしようもなくなった
我忘記還有這樣的歌       そしていつのまにか忘れてしまった、こんな歌があったこ
                       とを

天黑黑 欲落雨 天黑黑 黑黑   空が暗くなってきた もうすぐ雨が降る
                      空が暗くなってきた ますます暗くなってきた

我愛上讓我奮不顧身的一個人  自分なんかどうなってもかまわないと思えるほど人を愛
                       した
我以為這就是我所追求的世界  これこそ追い求めるべき世界だと思った
然而橫衝直撞被誤解被騙     懸命にがんばった、でも誤解され、騙された
是否成人的世界背後 總有殘缺 大人の世界の背後には、どうしようもない何かがある
                       のだろうか

我走在每天必須面對的分岔路  毎日のようにわかれ道を歩き続けなければならな
                       かった
我懷念 過去單純美好的小幸福 そんな時、昔の単純で美しい小さな幸福をなつかしく
                       想い返す 
愛總是讓人哭讓人覺不滿足   愛のために人は泣き、愛のために満足することがない
天空很大卻看不清楚 好孤獨  空はどこまでも広いはずなのに、よく見えなくて どうし
                       ようもなくさびしい

天黑的時候 我又想起那首歌  空が暗くなってくると 思い出す あの歌を
突然期待下起安靜的雨      そして、ふと静かな雨が降ってくれればと願う
原來外婆的道理早就唱給我聽  そうだ、おばあちゃんは本当のことを歌ってきかせてく
                      れていたんだ
下起雨也要勇敢前進       雨が降っても前を向いて歩いていかなければならない、
                      と

我相信一切都會平息       きっとすべて穏やかに静まるだろうと信じたい
我現在好想回家去        いつかあの家に帰りたい。

天黑黑 欲落雨 天黑黑 黑黑  空が暗くなってきた もうすぐ雨が降る
                     空が暗くなってきた ますます暗くなってきた

 
  幼い頃自分をかわいがってくれたおばあちゃんにたいして、大人になった今、悔やみの気持ちを抱きながら感謝する、というテーマはたしかに「トイレの神様」と同じである。もっとも、「トイレの神様」が悔やみの念を全面に率直に出しているのと異なって、「天黑黑」は幼かった自分と今の大人になった自分とを短い言葉で凝集的・反省的に表現していて、ベタになりそうなテーマを巧みに詩的に表現していると思う。

  なかでも、おばあちゃんの歌を回想して繰り返し歌われる「天黑黑 欲落雨 天黑黑 黑黑」の部分はいいなと思う。このフレーズだけは普通話ではなく、方言(閩南語らしい)で歌われている(おばあちゃんのルーツが示されているわけだ)。「てぃーおーおー べいろぉほぉー てぃーおーおー おーおー」と聞こえ、「お」の音が脚韻となっているが、出だしのパラグラフ全体も「お」ないし「おぅ」を脚韻としており、他のパラグラフにも脚韻がみられ、そうした音の響きも歌のリリシズムを高めているように思う。このフレーズは、音だけではなく内容的にも、流動的な自然の情景を映し出すとともに、子どものころの不安感と祖母のたたずまいとを象徴的に表していて、効果的だと思う。

  一昔前までと異なり、中国語圏の歌は日本ではすっかり紹介されなくなった(この衰退のプロセスは文化社会学的に研究するとおもしろいかもしれない)。台湾をはじめ中国語圏で長く広く人気のある、この孫燕姿のCDの日本版は一枚も存在しない。

  もっともテクノロジーは国境という垣根をずいぶん低くした。「天黑黑」はi-tuneで簡単にダウンロードできる。

 「トイレの神様」とあわせていかがでしょう?
by kohkawata | 2011-01-10 23:22 | 現代中国の映画
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