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ヘルシンキとムーミン・トロールの思い出

  去年の初夏、ライプチヒで開かれた、「世俗性」(secularity)をテーマにした、小さなワークショップに参加したのだが、その行き帰りのトランジットで立ち寄ったヘルシンキは、とても美しい街で、すっかり気に入ってしまった。

 上空からみえてきた、どこまでも森と沼の広がるフィンランドの大地は美しかった。空港から首都に向かう車内から景色も自然豊かで、時々みえる木造の伝統的な家屋は期待どおりにかわいらしかった。北欧を訪れるのは初めてだが、もしかしたら北欧はどこもこんなに美しいのだろうか。

 ヘルシンキの中心部は古い街並みをよく保存していて、日本の都市部に比べると、閑散としているといってよいほど人通りがなかった。夕方の6時になっても7時になっても日は高く、しかし店々は閉まり始め、人通りはますますなくなっていった。

 この日はたまたま、トランプとプーチンがこの街のどこかで会談をしていて、トランプ一行の車列が街中を通るということで、やや騒然としたが、一時のことだった。

 まだ白夜とまではいかないはずだが、夜中になっても空は明るいのに、ホテルの部屋からみるかぎり、もう通りには誰も歩いていなくて、不思議な光景であった。

 翌早朝、三方を海に囲まれているらしいこの街の、港の方を散策してみた。港といっても、小さな船がわずかに停泊している程度の、まるでちょっとした漁村のような雰囲気で、工場も港湾らしいものもほとんどみあたらず、堤防すらもなくて、瀟洒な民家が立ち並ぶその先にいきなりバルト海が広がっていた。

 街中の高台の最も目立つ場所に、りっぱな白亜の教会がそびえていて、なるほどヨーロッパの都市だなと思わせた。街の中心部近くに公園や植物園がかなりの広さで広がっていて静かに落ち着いているのもヨーロッパ的だが、どこか辺境都市のさびしげな感じもあって、アジアの都市の無秩序の活気とははるか遠く離れていた。

一泊したとはいえ正味なところ数時間しか観ることのできなかったこの可愛らしい不思議な街の記念にと、本屋でムーミンの本を買った。作者のトーベ・ヤンソンはヘルシンキで生まれ育ったそうだ。原文はスウェーデン語で、私が買ったのはその英語訳。Comet in Moominland, Sort of Books, 2017

 ライプチヒに滞在中に読んで、たいへん面白かった。この年読んだ本では、宮沢賢治の『春と修羅』と並んで、最も感銘を受けた。切手の収集家や天文台の研究者や自伝を書き続けるお父さんなど、たくさんの変人たちが登場するのだが、様々なかたちをとる人の愚かさにたいする、ムーミン一家の、ユーモアに満ちた寛容の態度がとてもいいなと思った。

 この北の不思議な美しい街で、こういう優れた童話が産まれたということ自体がとても童話的だと思って、拙い英語でたくさんの研究者や院生たちとしゃべったライプチヒでの経験や、ベルリンのにぎやかなカフェの楽しさと並んで、ヘルシンキでの短くて静かな滞在が、この旅でのうれしい思い出になった。


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 写真は、街の中心部に広がる植物園の裏手の、入江に臨む遊歩道と、植物園内の温室。


# by kohkawata | 2019-03-05 17:59 | 欧米の文学

女神の前世譚

 最近、といってももう4ヶ月前だが、論文を発表した。

「観音信仰にみる近世的感受性:その中国における物語の分析」

 以前に、いわゆる妙善説話をたまたま読んで(たしか最初に読んだのは、澤田瑞穂『増補寶巻の研究』のなかの要約であったかな)、その物語にひどく惹かれたことから、今回の研究ははじまった。妙善説話は、妙善という名の少女が、自分を殺そうとした父を救うために、自分の手と眼を差し出し、観音になる、という話である。この物語は、宋代につくられ、明代には観音信仰の隆盛とともに広く語られ大いに発展した。

 同時に、媽祖信仰にも興味をもっていて、そこで当初は、ひっくるめて、近世中国における女神信仰についての精神史的な研究をしようかということで、いろいろ調べてみたのだった。

 宗教的な信仰について研究するのは初めてなので、とても勉強になったし、また、文献だけでは十分共感できないだろうと思って、ここ数年いろいろな寺を見て回ってみた。とくに台湾で媽祖や観音などの廟を見て回ったが、彼の地ではまだこれらの信仰は生きたものであるので、いろいろと感じさせらせるものがあった。その時のことは、このブログに以前に書いた。日本の仏教についても思いを新たにすることが多々あった。

 妙善説話の分析の中身は、論文に書いたので繰り返さないが、今日になって、ふと、はじめて気がついたことがある。それは、妙善の物語は、実は『この世界の片隅に』によく似ているではないか、ということだ。

 妙善は、父王による熾烈な暴力に繰り返し苛まれた末に、にもかかわらず父を救うために自らの手と眼を捧げる。そのような犠牲の物語とともに、母親的な女神となって人々の信仰を集めることになった。

 すずさんもまた、国家的な暴力によって親しい人を何人も失って、自らの右手も失う。それでも、孤児の母親となって戦後を生き抜こうとするのだが、その姿に多くの人が惹きつけられたわけだ。そして、その姿は、どこか女神的でもあるように感じられる。

 若い女神的な女の肉体的な自己犠牲によって救われること・・・それは、私たちのなかにある無意識的な記憶と関係のある、ある種の普遍的な願望なのだろうか、と思ったりもするが、どうなのだろうか。しかし、男の神様や教祖も、自己犠牲的のすえに聖性を帯びることがあるようだから、あるいは、信仰とは、亡くなった人(あるいはその肉体)への追慕とか罪責感なんかとも関係していることがあるのだろうか・・・などと考えたりしている。



# by kohkawata | 2018-07-08 16:40 | 近世中国の文化

阿弥陀如来の願いについて思うこと

 いくつかの機縁が重なって、ここ半年ほど、親鸞とその周辺の人たちの著作を断続的に読んで、いろいろ考えてきた。とくに、親鸞たちの教えの核心にある、生きとし生けるものをすべて救いたいという、阿弥陀の願いについて、それは一体なんなのだろうか、と考えてきた。

 そのなかで、ああなるほど、やっぱりそうか、と思った文章がある。

 『十二個条問答』という文章のなかで、悪人も救われるなら悪いことをしてもいいじゃないかという問いにたいして答えるという文脈で、法然は次のように言っている。

「つみをばただつくるべしといふ事は、すべて佛法にいはざるところなり。たとへば人のおやの、一切の子をかなしむに、其中によき子もあり、あしき子もあり、ともに慈悲をなすといへども、悪を行ずる子をば目をいからし、杖をささげていましむがごとし。佛の慈悲のあまねき事をききては、つみをつくれとおぼしめすといふおもひをなさば、佛の慈悲にももれぬべし。悪人までをもすて給はぬ本願としらんにつきては、いよいよ佛の知見をばはずべし。かなしむべし。父母の慈悲あればとて、父母のまへにて悪を行せんに、その父母よろこぶべしや。なげきながらすてず、あはれみながらにくむ也。佛も又もてかくのごとし。」『十二個条問答』(国立国会図書館デジタルコレクション『法然上人全集』352頁)

 ここでは法然は、自明ではないB(「佛の慈悲」)がどのようなものかを説明しようとして、それは自明なA(「父母の慈悲」)のようなものだ、と言っている。

 BはAのようなもの、とはあいまいな説明の仕方で、むしろいっそ、BとはAから想像的につくられた願望の産物だ、と考えるとすっきりすると私には思える。あるいはもう少し法然たちに好意的に考えれば、Bとは、人と人のあいだで様々に顕現するAなるものの、イデア的な理想形なのだ、ということになるのではないだろうか。

 真宗では、阿弥陀様のことを「親さま」ともよぶらしい。ここでも、BがAとのアナロジーで想像されていることが示されているように思われる。

 Aは、人が生まれ育つときに与えられるものだ。だが、法然や親鸞たちは、Bは人が死ぬときにもたらされる救済なのだ、と語った。それが、彼らの教えの核心であって、その教えは数百年間にわたって日本の各地で篤く信じられた。

 そのように考えると、浄土宗や浄土真宗を熱心に信仰してきた人たちの、健気な思いがわかるような気がする。


# by kohkawata | 2018-03-06 09:35 | 近世日本の文化

『思い出のマーニー』の原作


 今年最初に読んだ本は、ジョーン・G・ロビンソン(松野正子訳)『思い出のマーニー』(特装版、岩波書店)。

 何年か前に米林宏昌監督の映画版を公開時に映画館でみてひどく感動したのだが、この年始にDVDで見直してみたら、やっぱりとてもいい映画だった。丁寧に作られた映画で、主人公の一つ一つの言動が自然で腑に落ちる。ジブリ映画は7、8割くらいは観てきたが、この作品がなかでも一番いいと思う(『となりのトトロ』、『千と千尋の神隠し』、『風立ちぬ』などもとてもいいけれど)。個性的な主人公アンナに共感できるかがすべて、といった映画だが、私には隅々までよくわかる。

 それで原作の翻訳も読んでみた。原作は1967年に出版されたもの。これまたとてもいいお話。分量が多い分、映画よりも主人公やその周囲の人々がより丁寧に描かれている。アンナにとってマーニーとは何か、映画ではやや謎めいているが(それだけに魅力的でもあったが)、原作ではアンナの不安定な精神状態がもっと克明に描かれていて、マーニーの正体もほぼ明白なものとなっている。

 また、映画では、「しめっ地やしき」の新しい住人のことはあまり描かれていないが、原作では後半の多くを使って詳しく描かれている。やさしく配慮の行き届いた両親とその元気いっぱいの子どもたちの様子は、とても素敵で、ほとんど理想的。

 そんな家族と一緒に遊んで打ち解けあって、そのうえで、みんなで一緒に本当のマーニーのことを知る。マーニーの本名はマリアンで、アンナの元々の名はマリアンナで、育ての親によってその名の後半部分からアンナの名は取られた、ということもアンナは知る。そのようにして、自分がどこから来たのかを知って、アンナは回復していく。

 マーニーを失って、しばらくしてから泣いて、泣き終わったときのアンナの気持ちが次のように語られている。(私の読んだ「特装版」には河合隼雄の解説が付いていて、同じところを引用している)

「泣きながらも、新しい、気持ちのいいさびしさが、アンナにしのびよって来ていました。それは、なにかを楽しんで、そしてそれが終わった時に感じるさびしさで、なにかをなくして、もう二度とそれを見つけることができない時のさびしさとは、ちがいました。」

 映画版のように劇的ではないが、成長していく子どもの、味わい深い別れである。

 大人になって、マーニーとの別れを思い出す時、そのさびしさは、また違うものなのだろう。でも、アンナのこころのなかにはいつももっとも素敵なマーニーがいると想像できる。

 アンナのような子どもの将来は、世間的な意味ではそんなに輝かしいものにはならないのかもしれないが、それでも十分よい人生なのだとこの物語は思わさせてくれる。






# by kohkawata | 2018-01-20 11:03 | 欧米の文学

『この世界の片隅に』の感想


 今日、8月25日、287日続いたという上映がとうとう最終日だというので、テアトル梅田で『この世界の片隅に』をもう一度見に行った。

 最初にみたときにはひどく動揺して言葉にもならなかったが、二度目は少し落ちついて観られた。感想を書いてみる。監督や評論家とかがどう言っているか、あえてみないようにしている。

 私にとって、もっとも感動的なのは、原爆投下後数ヶ月経った広島で、孤児(みなしご)となった女の子がすずさんの右腕に手を伸ばすところ、そして、すずさんと周作さんがこの女の子を受け入れて一緒に呉に帰るところである。

 孤児からみれば、これは端的な救済である。同時に、主人公のすずさんからみれば、これは自分が親になることを引き受ける瞬間である。

 すずさんは、すでに姪の母親代わりになろうとしていた。しかし、それは姪の命と自分の右手首を失うことによって悲劇的に挫折していた。

 そう考えると、この映画は全体として、すずさんが、戦争のとんでもない暴力に何度も打ちひしがれながらも、力強く大人になったことを描いているとみなすことができる。

 思えば、すずさんも元々は孤児のような人だった。両親の影はなぜか薄くて、すずさんはわけのわからぬうちに嫁に出される。嫁入り先ですずは新しい家族ができたというよりは、足の不自由な義母の代わりの住み込みの家政婦のようである。当惑した彼女は「自分はこんなところで何をやっちょるのだろう」みたいなことを言う。そして、親に売られたのであろう、水商売の女性に友情を抱く。

 元々孤児のような境遇だったうえに、兄は徴兵されて戦士し、初恋の人も死を覚悟の出兵をし、姪を眼の前で殺され、母を原爆で失ってしまう・・・そうした国家的な暴力に親しい人を何度も殺されながらも、すずさんは大人になろうとする。

 そんなことがどうして可能なのか、どうしてすずさんは力強く大人になれたのか、映画はそのことをそんなに丁寧には描いてはいない(映画が丁寧に描いているのはすずさんの日常で、だからこそ暴力による日常生活の破壊が痛ましい)。

 しかし、玉音放送を聞いたさいのすずさんの行動の描写は、そのことを示そうとしていると思える。すずさんは、敗戦を知って、他の人と違って、「最後の一人まで戦うんじゃなかったんかね!?」みたいなことを叫んで激しく怒る。そして、自分の身体が植民地から奪い取った食料によってできていることを嘆く。

 この、原作にないセリフも含んだシーンは、少し唐突でわかりにくい。すずさんは、終戦に激怒するほど軍国主義者ではなかったはずだし、あまり教育を受けていなくて植民地のことなんてさほど理解していなかったはずだ。にもかかわらず、このシーンがあるのは、いかにも前近代的で戦前的だった従順な彼女が戦争の苛烈な運命をすべて受け入れたうえで、それを乗り越える、戦後的な主体の象徴として成長する必要が、映画の展開のうえで必要であったからではないだろうか。大切な人を何人も失ったことも、右手首を失ったことも、得意だった絵を画くこができなくなったことも、さらには日本による大規模な侵略も、米国による大虐殺も、そのすべての運命に苛まれ受け入れざるをえなかった日本人の象徴的代表として彼女は終戦を迎えるのだ。そして、かく理不尽な運命に苛まれながらも、自らの意思と責任で生き抜こうとすることで、戦後日本人の女神的なイコンとして転生する、ということがこのシーンとそれに続く孤児の受け入れのテーマにおいて表現されているのだ、と私には思われる。

 もっとも、これは生身の人の描写としてありえないほど飛躍しているのかもしれない。これはドラマをまとめあげようとするために設けられた、少し無理のある言い訳めいたシーンというべきなのかもしれない。

 この飛躍的すぎるのかもしれない成長が、それでもわりと自然にみえる背景には、周作さんが最初から変わることなくずっとすずさんのことが大好きだということがあるだろう。それが確かにこの映画の救いで、二人が結婚してから次第に信頼と愛着を深めていくさまはほほえましい。しかし、にもかかわらずこの終戦のシーンにおいて周作さんが留守であるのは、この映画の主題が必ずしも夫婦愛にあるわけではなく、むしろやはり、すずさん自身の神話的ともいえる成長にあること示しているように思われる。

 かくなる成長とともに、孤児のようであったすずさんは、自分に母親の面影を感じて救いを求めた孤児を受け入れることを、静かに、しかし決然と受け入れる。

 すずさんの姿は子どもっぽくて、声も可愛らしくあどけない。そんな人が、何度もひどい暴力に苛まれながらも、それでも母親になろうとする、その健気さに、この映画の感動のわけがあると私には思える。すずさんの成長は神話的でもあるが、しかしおおげさな理想化がなされているわけではなく、十分に抑制的に描かれていて、人の好感を逃さない。

 最初にみたときは、動揺しすぎてエンディングなんか目に入らなかった。しかし、今回みたら、そこには、すずさんと引き取られた女の子、それから周作さんの姉の径子さんの姿が描かれていた。みな、可愛らしい戦後風の洋服をきていて、この映画の手抜きのないやさしさをうれしく感じた。


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# by kohkawata | 2017-08-25 19:44 | 現代日本の文化