満街聖人

 ここ半年ほど、王陽明の「満街聖人」という言葉をよく思い出す。これは、街中の人みんな聖人だ、という意味。

 本来、「聖人」とは儒教徒にとってかなり重たいことばである。 それは最も理想的な人格者であり、堯や舜といった神話的君主がその言葉にふさわしい。孔子は端的に「自分は聖人に会ったことはない」と言っている。にもかかわらず、街中が聖人だなんて、おめでたすぎる言葉にも響く。なのになぜか、それはそうだなあ、本当にそうなんだろうな、としきりと思う。

 「満街」という表現が、たくさんの人々が気ままに自由に行き交う、活力に満ちた感じでとてもいい。以前は私はこの言葉から、何となく、台湾の夜市の光景を思い出すことが多かった。南国の暖かい夜に人々の賑わうさまはとてもよいものだ。酒を出さないせいか、日本の盛り場のような怪しげさは少しもなくて、老若男女が楽しく集っているようにみえ、本当に「街中いい人ばかり」という感じがする。

 ところが、とくに理由も思い当たらないのだが、最近になって世界のどこだって日本だって、「満街聖人」だと感じるようになった。結局のところ、あの人もどの人も聖人なのであり、かつてそう感じられなかったのはむしろ自分の側の問題なのではないだろうか、と。こうした「満街聖人」の感覚は、前回書いた、同じ明代中期の、沈周の愉悦に満ちた桃源郷的な絵画の世界にも通じるようにも思われる。

 ところで、この言葉が出てくる王陽明の『伝習録』を読むと、この四語にはもう少し含蓄があるようだ。

 弟子の一人が「出遊」して帰ってきたのをみて、陽明先生は何を見たかと問う。すると、弟子は「満街人都是聖人(街中の人、みんな聖人でした)」と答える。それにたいして先生は「街の人も君が聖人であると見てとっていただろうよ」と応じる。また別のとき、別の弟子が帰ってきて、「めずらしいことに出合いました」と言う。陽明先生が「どんなめずらいことか」と問うと今度の弟子も「満街人都是聖人」と答える。先生は「そんなことは当たり前だ、何もめずらしいことではない」と応じる。

 「出遊」して見たのが、仏陀のように生老病死だったのではなく、聖人であったとは、やはりすごいことを言い放つなと思う。しかし、なぜ王陽明は異なる応じ方をしたのだろうか。この前後には答えは見当たらないが、『伝習録』全体の読解から私は次のように考えるのがよいと思う。

 陽明の考え方を表面的にでも知っていれば、「満街聖人」ということは、発想としては必ずしも理解し難いわけではない。陽明は、すべての人には善なる本性である「良知」が生まれつき備わっており、子どもたちや「愚夫愚婦」にもそれがある、いや彼らこそそれをよく体現している、と言っている。だから、「満街聖人」であること自体は、めずらしくもなく、「当たり前」なのだ。だが、陽明的に考えるならば、大事なのは知識や言葉による知的な認識などではなく、本当に「満街聖人」と実感できること、つまりすべての人の「聖人性」つまり「良知」を感得できる、ということだ。しかるべき「功夫」(香港映画でいう「カンフー」のことであり、平たくいえば修行である)を積み重ねて、しかる後に、良知を取り戻し磨きをかけたとき、はじめて「満街聖人」だと実感・感得できるのであって、その境地にあるものこそが本当の「聖人」だ、そして誰もその意味で聖人たりうる、ということであろう。

 『伝習録』には次のような言葉もある。「天下の人の心は、すべて自分の心であります。天下に狂気を病む人があるかぎり、どうしてわたし一人がそれを免れることができましょう」(溝口雄三訳『伝習録』中公クラシックス、2005年、272頁)。そもそも自他の区別は本質的なものではなく、自他を超えたある種の境地のなかでは、狂気をも含み込んだ「満街聖人」の世界が広がっている、ということなのだろう。

 だが、狂気をも含んだ聖人とは何事なのか、これは確かに知的には理解しにくい。しかし、陽明的には、にもかかわらず、人の本質は狂気などではなく良知にあるのだ、それは理屈では説明しがたいが、「功夫」によって実感とともに体得する真実なのだ、その時には自分の良知も他人の良知も区別なく渾然一体とした「満街聖人」の世界とともにある、ということになるのだろう。これはやはり、今日的な意味での学者の言葉というよりは、むしろ「宗教的体験」(W.ジェイムズ)、つまりある種の「回心」を経た宗教者の言葉に近いのだろうと私には思える。

 私はむろん、そんな回心を経験したわけではまったくない。ただ最近なぜか、どうしようもない人というのはたしかにいるが、しかしなお「満街聖人」であるとなんとなく感じるのである。これは奇妙だが、相当に幸せな感覚でもある。もっとも、そういう感覚をもつのは、王陽明とは異なり、単に中年の男の気に緩みのせいなのかもしれない。


 ところで、また論文を発表した。

 「「白蛇伝」にみる近代の胎動」というタイトルである。

 これは、蛇をめぐる中国の文化史・心性史のようなもの。とくに「白蛇伝」という、王陽明や沈周の時代の少しあと、明末から清朝初期に最高潮を迎える、様々に変異した物語の変遷を辿っている。皇帝を殺す複数の物語群のなかに、近世中国の人々の心性のダイナミズムを読み込もうとした、前回発表の「皇帝を殺す」の姉妹編のようなものになる。

 思えば、「白蛇伝」を初めて読んだのは、大阪のアジア図書館の書架にそれをみつけた2000年のことで、「白蛇伝」の演劇を初めて観たのは、2002年の夏に訪れた北京の、たしか正乙祠戯楼という名の小さい京劇の劇場でのことだった(「盗仙草」の段だった)。以来「白蛇伝」には心惹かれてきたが、これをテーマにする論文を書こうと思い立ったのはようやく2011年のことだった。ずいぶん時間をかけて暖めてきたテーマなので、まだ不十分な点は多々あるが、まずは報告しておこうと思った次第である。

 ご一読いただければ幸いです。こちらです。

 なお、 「白蛇伝」は抜群に面白い物語なので、研究も中日でずいぶんなされてきたが、清代以降は多様な芸能のジャンルに流入し文献も増え、私の論文もふくめてその部分についてはまだ十分研究が進んでいない。この時代の芸能にかんして予備知識がある程度あれば、清代・民国期の「白蛇伝」は、トライするべき未踏の分野だろう。
# by kohkawata | 2014-05-17 13:38 | 近世中国の文化 | Comments(0)

沈周


 少し前、初春に、台北の故宮博物院で沈周の特別展を観る機会があった。

 沈周は、「しんしゅう」とよむ。明の四大家の一人でありその代表。

 私は、とくに吉川幸次郎の社会学的でもある文章「沈石田」によって、この人の文化史的な重要性を知ってはいた(『吉川幸次郎全集』第15巻)。曰く、彼は、中国文明の中心になりつつあった揚子江下流地域の、その中心の一つである蘇州の北郊に位置する水郷の、富裕な郷紳の家に生まれ育ち、絵画はもちろん詩においても大家であり、書もその時代を代表する。また、尊敬される大教養人でありながら、官吏の道をまったく歩もうとせず生涯を純粋の市民として通したこと、それはこの時代に市民が文化の主たる担い手となったことの一つの現れであり、そのことに中国文明の爛熟がみられる、云々。

 かく重要な人でありながら、彼の絵画を直にみるのは私には今回がまったく初めてであった。

 展覧会では五十点ほどの彼の作品が並べられていたが、そのすべてに私は圧倒され、非常に興奮し幸せな時間をすごすことができた。彼の絵画の素晴らしさを言葉で表現することはとうていできないが、とにかくすべての絵画が創造的な愉悦に満ちていていた。複製でみると現代の私たちにはどうしてもその伝統的な様式の印象が強くなってしまうのだが、実物はそのような様式を超えて、創造的でユーモアさえもあふれる非常に楽しいものであった。

 とりわけ山水画はそうで、確かに、隠者が桃源郷を訪れるといったような、よくあるモチーフではあるのだが、沈周はそれを完全に自分の世界として再創造していると感じられる。もっといえば、彼の筆にかかれば、世界は喜びと楽しさに満ちたその本来の姿を回復するのだ、とさえ思う。とくに気に入ったのが、「畫雪景」という大きな絵(下図)。折り重なる雪の山々、その間をぬっていく渓谷の川、冷たい水を静かに湛える湖、橋を渡る小さな人影、遠くに霞む山影と曇った空、それらのすべてがうっとりとするほど美しく楽しく、そこにある。

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 こうした山水画はともすると作者の思想や境地などのある種の内面の表現なのだという解釈を下しがちで、今回の展覧会の会場での解説文などもそうした傾向が強かった。しかし、私が本物を目の当たりにして素人なりに感じたのは、内面の表現というよりは、喜びに満ちた我々の世界の形象の再創造ということなのである。膨大な教養を自らのものにしつつ、かつあらゆることを自己流に表現できるという点で、日本でいえば富岡鐵齋などにも似ていると思うが、しかし沈周には、鐵齋や日本の文人たちによくみられる偏屈な俗臭のようなもの ― あるいは貧乏臭い爺むささというか ― がまったくみられない。むしろ、沈周は開放的で向日的で豊饒であり、つまり、陳腐な言葉だが、まったくの天才だと感じられる。例えば、「雨意」という画があったのだが、深い山のなかにふりしきる雨を、墨の濃淡だけで表現しており、その表現力の豊かさに、そしてそこに現前する世界の豊かさに、圧倒される思いがした。

 今回の展覧会では、彼のスケッチの意義が比較的強調されていたが、これらの小品には彼の天才ぶりがよりわかりやくす示されているように思う。彼の手にかかえれば、山水だけではなく、馬も猫も海老も葡萄も、すべて隅々まで楽しく可愛らしい。そして、どこかに他所に桃源郷があるのでもなければ、どこにもないのでもなく、本来世界のすべてはそのように楽しく可愛らしく喜びに満ちたものなのだと思わせる。

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 吉川幸次郎は、沈周の詩を辿って、とくに彼が庶民への同情を示していることに、新しい時代の市民にふさわしいある種の近代的な情感の萌芽を見いだしているが、彼の絵画をみたうえで彼の詩を読むと、そうした解釈もまたずれているように感じられる。


 東園阿弟看落筆 東園の阿弟 落筆を看る

 神驚眼駭走魑魅 たましい驚き眼おどろきて魑魅を走らす

 堂中宛宛開徂徠 堂中に苑苑として徂徠を開くも

 不知老兄作遊戯 知らず 老兄遊戯をなすなり

 夜来明月奪江光 夜来 明月 江の光りを奪わば

 満巻飛蛟称怪事 満巻の飛ぶ蛟 怪事と称せん 


 これは、「市隠」あるいは「松巻為徳韞弟作」と題される、吉川も引用している、自らの絵を誇る彼の詩の一部分。彼にとって世界は恵まれた人とそうでない人がいる、などといった単純で退屈なものなのではなく、むしろこの世界は、たとえ狭い部屋のなかにあっても、山河が広がり魍魎がうごめき蛟竜が飛び交う、光と遊びと喜びに満ちあふれた怪しくも豊かな時空なのではないだろうか。

 故宮博物院に来るといつも思うのだが、私たち現代人は中国文明の最も豊かな遺産を引き継ぐことがほとんどできていないのかもしれないと思う。少なくとも私は、沈周という、その時代の狭い了簡も現代のそれすらも突き抜けていく、この東アジアの天才のことを、今までまったくわかっていなかった。


# by kohkawata | 2014-04-11 16:21 | 近世中国の文化 | Comments(0)

卒業生を見送る


 今年も卒業生たちを見送った。 

 卒業生を見送るのは毎年のことだが、今年はわりと長くつきあいがあった学生たちが多かった。もっぱら私の専門ゼミの学生たちだが、入学当初からずっと関わりのあった学生もいる。2年半前に専門ゼミで受け入れた14名の学生のうち、1人は退学、1人は早くから留年が決まっており、1人は留学中、残り11名が卒業となった。卒業する11名がそれぞれに次の社会的ステップを何とか決められたことはゼミ担当者としては少し安心させられる。

 ちょっとだけ感慨を記したい。

 長く学生をみていて痛感させられたのは、人は一人一人全然違うんだ、という当たり前のこと。

 教師の認識というは粗雑になってしまうところがあって、ずらりと並んだスーツ姿の新入生や教室でがやがやしている同じような年齢の学生たちをみると、なんだか似たような人たちのようにどうしても錯覚してしまう。同じ年齢、同じ世代、同じ日本人、だいたい関西人。それに、たくさんの試験の採点などをしていると、より「理解できている」かより「できてない」という2次元で判断しがちだ。例外は、相談をもちかけてくる学生とか退学しそうな学生といった、目に見える問題を抱えた学生で、彼らには注意深く関わろうとするが、その他の学生は「とくに問題なし」というくくりに入れてしまいがちだ。

 だが、実のところ、「とくに問題なし」の学生だってそれぞれに問題を抱えているし、誰もがそれぞれの事情や思いのなかで生きている。そうした固有性の高いところまで、教育システムや教師の配慮というのはなかなか届かない。長くつきあうなかで、彼らががんばったり手を抜いたりへこんだり、就職活動したりさぼったり、卒業するためのドタバタをやたりして、そうしたことを、ずっとみていくなかで、また彼らの両親と接触する機会があったりするなかで、ようやくそうした固有のもの、他の誰でもないその人自身の姿が見えてくることもある。1セメスター程度では私にはなかなかみえないような、そうした彼らの固有性とは、いつも私の浅薄な予想や理解の範疇をはみでるようなものであったし、おそらくは本人も十分に自覚はしていないようなものであるように感じられる。そして、私は結局は彼らのことを最後までたいしては理解するには至らなかったとも思う。

 教育関係の業界では、学生を育てるとか成長させるといったことが、簡単に言われる。間違った目標だとは思わないし、教育業界には業界なりの都合があるのも分かる。だが、一人一人の人が抱える事情や思いといった彼らの固有性にまで達するのは組織的・計画的にできるものではないし、固有性にまで響くような働きかけができないなら、本当は「成長」を望むことなどできないのだろう。だから、「成長」とは本来、教育機関や教師の領分ではありえないのだと思う。「指導」とか「成長を促す」といったことは、大抵の場合、業界内のゲームのなかの言葉遊びでしかないように私には思われる。

 教師にできることは、業界の都合に流されることなく、学生たちがその固有のリズムのなかで生きていくことの、ごくささやかな後方支援をする、という程度かなと思う。成長をする主体は彼ら自身であり、しかもそれは彼らの意志や意識とは少しずれた場所に根ざす彼らの固有のリズムのなかで行われるのだと思う。後方支援とは、うまくいえないが、彼らの固有性のありかを察知しながらもそこには踏み込まず、彼らのまだ未熟な意志や意識に働きかけ、彼らの意識の風通しをよくするようにする、というようなことであろうか。いや、もちろん、それすら少しも簡単ではない。人生はいつも人智を超えるのだ。

 さらにいえば、そうした「成長」なるものは、目につかない、喪失や歪み、あきらめや衰弱などをともなうものであり、手放しで「成長」を語ることは軽薄だと思う。だが、成長を語る教育関係者や「社会人」の言葉を気のない表情で聞き流しているのも、まさに彼らの固有性のなせることだと私には思える。

 だが、いわゆる「社会」は冷徹で、個々の社員の固有性など理解することも配慮したりすることもあまりないだろう。それでも自分自身の人生の決定権者は、他の誰でもなく自分自身にあることをわかっていてほしいなと思う。いや、きっとそんなことも、彼らは、彼らの固有のリズムのなかで、身体的にとっくにわかっているのだろうとも思う。



# by kohkawata | 2014-03-26 17:07 | 現代日本の文化 | Comments(0)

皇帝を殺す

  しばらくぶりに論文を発表した。タイトルは・・・

「皇帝を殺す~中国における至高者を殺害する物語についての予備的研究」

 この論文のそもそもの始まりは、10数年前に北京を訪れたさいに、京劇の「閙天」や「盗仙草」の段を初めて観て、秩序転覆的とでもいうべきその大胆なプロットに驚いたことにある

 「閙天」は「西遊記」の一部。孫悟空は、一個食べたら何万年も生きられるようになるという桃、しかも千年に一度しかならないというとんでもなく珍重な桃を、食べてはいけないのに、欲のままにさっさとたくさん食べてしまう。それで、天帝が激怒して悟空を成敗しようと神兵たちを差し向けるのだが、悟空は成敗されたりしないでそれと闘って勝ってしまうのである。

  「盗仙草」は「白蛇伝」の一部。息絶えた夫を蘇らせるために、蛇の化身である白娘子が天上の貴重な薬草を勝手にむしり取って、成敗しにきた連中と戦って、やはり勝ってしまうという話。

   この時はいくつかの劇場を渡り歩いたが、いずれも観光客で賑わう、湖広会館や正乙祠戯楼、あるいは梨園劇場であって、今にして思えば、「閙天」も「盗仙草」もどちらもいかにも外国人にも分かりやすい、ベタで有名な演目である。私の記憶のなかでは白娘子は一方的に勝つのだが、今の私が知るかぎりでは、たいていの「白蛇伝」のこの段では最後には「南極仙翁」が白娘子の深情を汲んで助けてくれるというプロットになっているはずで、今書いたプロットの概略は正確でないかもしれない。

   それはともかく、当時の私はこの二つの演目にとくに強い印象をもった。どちらも、この世界のルールを平然と踏みにじって、結局は罰せられもしないし、反省もしない、というありえない展開なのである。命には限りがあり、死んだものは二度と蘇らない、という生き物の根本的な原理でさえ平然と突き抜けてしまっているかのようだ。むろん『西遊記』がとんでもなく型破りな話だということは前から知っていたが、『白蛇伝』の方は、以前に読んでいたものの、その大胆な秩序転覆性に今ひとつ気がついていなかった。しかし、このとき演劇でみて、天上の聖なる薬草を、女性の主人公がまんまと盗んでしまって少しも後ろめたくなさそうなのは、日本の伝統的な物語に親しんできたものにとってはちょっとした衝撃であった。私はそれまで、前近代における民衆向けの物語というのは、なんだかんだいって結局は、世の秩序を乱したりしないものだと思っていたのだ。

   そのあと、民話の類をいろいろと読んでみると、閻魔大王をだしぬいたり、ならず者が皇帝になるなど、中国にはどうもかなり秩序転覆的な志向をもった物語が多いことがわかってきた。そして、たまたま読んだ「神筆馬良」というタイトルのお話では、主人公の少年が皇帝を溺死させてしまって、私はそんな不敬な民話がありえるのかとかなり驚いた。あとになってこれは民話ではなくて、洪汛濤という人によって1952年に創作されたものだと知ったが、古くからの民話のなかにも、同じように皇帝を溺死させてしまう「十兄弟」と通称される系統のものがあって、広く伝わっていることがわかった(この「十兄弟」については、君島久子氏の『「王さまと九人の兄弟」の世界』(岩波書店、2009年)という本が詳しくて、とても楽しい)。

  調べてみたところ、皇帝を殺してしまう民話は他にもあって、日本にも伝播している、「百鳥衣」系統のものはとくに興味深いことがわかった。私は以前に近世日本における「父殺し」の物語の研究をしたこともあるので、その日中の異同はなかなか面白かった。簡単にいえば、中国では皇帝はあっさりと殺され、日本では、中国の皇帝と同じ役回りの殿様は決して殺されないのである。天皇や将軍はそもそも登場しない。

   そんなこんなで、中国における皇帝や王を殺してしまう話を数年かけていろいろと調べてみたのだった。まだもっと調べるべきなのだが、これは期待以上にいろいろな展開が可能なテーマだということがわかってきたし、それに科研費を頂いて研究をしてきたので、その成果を早めに公表するのが義務であるようにも思い、いったん論文としてまとめてみることになった次第である。

   論文としての完成度には自信があまりないが、「挑戦的萌芽研究」という科研費の名目にはふさわしい内容かなと自分では思っている。

   今後もこの周辺のテーマを探求したいと思っている。

 ネット上で読めます。

http://www.kyotogakuen.ac.jp/~o_econ/society/treatises/pdf/23-1-kawata.pdf

   どなたでも、ご一読いただき、ご意見を頂ければ幸いです。


 



# by kohkawata | 2014-01-14 15:31 | 近世中国の文化 | Comments(0)

おとぎの国の江國香織



 いまさらなことなのだろうが、江國香織に出会ってしまった。

 まだ少し暑かった初秋の東京で、日本の学会を総攬するかのような偉そうな組織が主催するシンポジウムに出席して、これまたとても偉そうな肩書きの先生の講演をききおえて、私は「なんだかなあ」とため息をついた。それは、半世紀ほど前に米日の社会科学者たちが熱心に論じていた古いテーマで、そこからたいして外に出ることができていないのに、ひどくもったいぶって自信満々で話している様子は、これが噂の「東大話法」なのか、日本の社会科学はいったいどうなってしまったのかと、がっくりつまらない気分になっていた。

 日が暮れかかって、新幹線で帰る前に、かねて少しだけ行ってみたかった谷中の町を散歩でもするかと鴬谷の駅を降りて山手へとつながる緩やかなと上り坂をとぼとぼと登ると、いかにも関東らしい深い緑の木々に彩られた空間が広がっていて、そのなかに瀟洒な洋館が建っていた。国際子ども図書館というものがあることは知っていたが、これがそうなのかと偶然の出会いを喜びながら、館内に入ってみると、天上が高くて革靴がよく響く、木造の美しい3階のホールに、子どもの本の歴史を振り返るという趣旨でたくさんの絵本が展示してあったのだが、その本たちがいかにも選りすぐりという感じの逸品ばかりであった。

 そのなかの一つが江國香織の『つめたいよるに』であった。私は何となくガラス越しにみた、長田弘と荒井良二による『森の絵本』という本とこの『つめたいよるに』に惹かれて、東京から帰ってから近所の書店で探して読んでみたのだった。

 『つめたいよるに』の冒頭の短編「デューク」を読んで、ひどく感動してしまった。愛犬が死んだ悲しみを描いている話で、私はこれを十数年前に、センター試験に出題されたさいに新聞で読んでいたことを思い出したが、そのときはそれほどには感動しなかった。冒頭の「びょうびょう泣きながら」などといった遠慮のない表現に少しひいたように記憶している。 多くの人がペットと死に別れた悲しみを胸に刻んでいると思うが、 今回読み直して、その悲しい痛みが蘇るとともに、ほんの少しかもしれないがその痛みが癒されるように感じた。そして、初読のときにはそう感じなかったと思うが、今回は、自分は飼い主の「私」であるばかりではなく、犬のデュークの方にも同一化していたように思えた。先立たれるのではなくて、先立つ方に自分の年齢がなってきたということなのだろうか。最後に二人はとても悲しい会話を交わすのだが、それは悲しいけれども本当にいい会話でもあって、これ以上いい別れは想像できないとすら思った。

 『つめたいよるに』のなかにある他の短編もいいものばかりで、「いつか、ずっと昔」も、「晴れた空の下で」も、胸を打つ悲しみがあって息苦しくなるほどだ。前者は、結婚をする直前の女の、他の男たちとの切ない別れを、後者は妻に先立たれた老人の茫漠とした境地を、いずれも巧みな寓話によって表現している。

 また『森の絵本』もよかったのだが、この絵本の絵を描いた荒井良二と江國香織がつくった絵本もみつけて、それは『モンテロッソのピンクの壁』というのだが、これまたいたく感心した。これは、モンテロッソという街のピンク色の壁にたどりたかなければならないという不思議な思いに取り憑かれた猫の話なのだが、言葉と絵が共振してとても華やかで軽妙な全体的な様子も素晴らしいが、何よりも大胆な結末に驚かされた。己の欲望を生ききることの深い喜びと、そしてその言い表しがたい悲しみとが、見事に表現されていると思う。「いつか、ずっと昔」はこの荒井良二によって絵本にもなっていて、いっそう味わい深い。

 さらに、彼女の絵本についてのエセー『絵本を抱えて 部屋のすみへ』も読んだが、これまた素晴らしい。読んだことのある絵本については「まさにその通り、よく言ってくれた」と思うし、読んだことのないものは、ぜひ読んでみたいと思わされた。例えば、『おさるのじょーじ』についての文章はこんなだ。

 「小さくて好奇心のつよい — そしてちっても学ばない — こざるの冒険に、みんな胸をどこどこさせて自分を重ねるのだろう。その徹底した天真爛漫さや怖いもの知らずのエネルギー、そして、最後にはすべて上手くいくという幸福な確信。その気分にふさわしく、どの頁も活気に溢れ、色とりどりの家や車やビルやひとでみちている。世界はそういう場所なのだ。事件のおこるべき場所」。

 ここまでくると、俄然、この作家の本を一つ残らず読んでしまいたい気持ちにかられたのだが、同時にもったいなような気もして、本屋で何冊か手に取りながら、これはと思ったものを買ってみた。それは、『すきまのおともだちたち』。新聞記者の「私」が出張の帰りに別世界(らしき所)に迷い込んで、そこで、「お皿」と二人で暮らす九才の女の子と出会う、というおとぎばなし。

 「小さなおんなのこっていうものはね、たいてのことはよく知っているものなのよ。でもやったことはないの。当然でしょう?」と宣うこの女の子(この世界にはなぜか固有名詞が存在せず、この子にも名前がない)は、ユーモアとペーソスに満ちていて、実に楽しい。彼女は、生意気にも、小心で平凡な大人である「私」にこう教え諭したりする。

 「さっきも言ったけど、旅はいつか終わるのよ。それはあしたかもしれないし、来年かもしれない。現実をありのままうけいれるの。そして、元気を出さなくちゃ」。

 どんな旅もいつか終わるという運命を噛み締めながら、希望や友情の可能性が探られているのは、やはり大人の童話というべきなのだろう。彼女は「私」とハーモニカで遊びながら、こうもいう。「ひと、りで、やるとき、より、ずーっと、おもし、ろいわ」。聡明で生意気で孤独な子がそう言ってくれるのは楽しいことだ。

 江國香織の本領は小説にあるのかもしれないが、まだほとんど読んでいない。ただ、今日までに読んだ彼女のおとぎばなし的なお話やエセーはどれも素晴らしいと思うし、私が共感できるのは彼女の小説ではないような気もする。音楽と愛犬についてのエセー『雨はコーラを飲めない』や、手近な品々についてのエセー『とるにたらないものもの』もしみじみよかった。タイトルからいいと思う。

 東京の偉そうな場所で偉そうな人が偉そうにつまらない話をしたからといって、いい年をしてため息をついたりしていては、『おともだちたち』の九才の女の子に、どうして懲りもせずにいつまでも他人をあてにして無いものねだりをしているんでしょうね、とそれこそため息をつかれてしまうかもな、と反省したりする。あるいは、江國香織は村上春樹と似ているがはるかにいい、とか言いたくなるが、そんないい草も鼻で笑われそうだ。この女の子の口癖はこうである。「そんなの、生まれたばかりのへびの赤ちゃんにだってわかることよ」。楽しくも見事な比喩ではないだろうか。
# by kohkawata | 2013-11-30 13:03 | 現代日本の文化 | Comments(2)