30年後の Back to the Future

 
 さっき、なにげなくwowowをつけたら、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』をやっていた。1985年を生きていたマーティがデロリアン号に乗って遡った世界は30年前の1955年だという。私は公開されてすぐに高岡の映画館で観たが(1985年度の冬か初春、高校2年生だったはず)、マーティが遡った過去は想像もできないほど大昔、という感じだったと思う。

 今年は2015年、あれからちょうど30年たつわけだ。今の私にとって、1985年はそこまで大昔ではない、と感じられる。文明の進歩の速度が鈍化したのか、日本社会が安定期(そして衰退期)に入っていったからなのか(続編だったと思うが、未来のマーティが「フジヤマさん、こんにちは!」と日本人の上司に日本語で愛想をふりまくシーンがあったが、そんなことがありえると思えた時代だった)、あるいは私個人の、時間の経過する感覚が早くなったということなのだろうか。

 だが、マーティの家族と地域は、30年のあいだに大きく変わりながらも、ある種の連続性を保っているようにみえる。 1955年に遡っても、マーティは、ドクや若き日の両親をはじめ、たくさんの知人たちに「再会」している。 彼らは時代を超えて同じ街に住み、同じような連中とつきあい、同じようなドラマを繰り返している。1955年は大昔だけど、今の自分たちと確かにつながってるんだよ、と映画は語りかけているように感じられる。

 その一方、私自身は、30年で住む場所も人間関係もすっかり変わってしまった。1985年に遡ったら、マーティがもっているような時代を超えたつながりはもはや見出しえないだろう。映画は、変化のなかの同一性を描いて私たちを慰めてくれるし、自分も自分の同一性を漠然と信じて生きてはいるが、現実は、僅かな同一性をも押し流し消し去って行くのかもしれない。

 時間を往還することで楽しい体験をさせてくれた『バック・トゥ・ザ・フューチャー』を30年後にぼんやり見直しながら、時間が無常で無情なことが身にしみた。
# by kohkawata | 2015-02-06 11:08 | 雑談 | Comments(0)

不死なものとして、君の道を散歩してゆきたまえ

 

 岩波文庫の『エピクロス』(出隆・岩崎允胤訳、1959年)をしばらくぶりに読み返してみたら、エピクロスはおおむね正しい、そして本当に楽しい人だなと感じた。

 この人がこの断片的な文章のなかで繰り返し言っていることは、この世界は実に気前よく人間に愉悦を与えてくれる、ということだ。

 「快とは祝福ある生の始め(動機)であり終り(目的)である」(70頁)。

 人間とは、快を生き続けるもの、そんな祝福された存在なのだ。こんなおめでたい人生観があろうか。

 だが、かく祝福された人生を送るためには条件がある。それは、恐怖から自由であることとだ。

 「たいていの人は、質素な暮しを恐れ、その恐怖のために、かえって、こうした恐怖を最も多く生み出しそうな行為へと導かれる」(122頁)。

 恐怖は恐怖を生む。だが、エピクロスによれば、恐怖は錯覚にすぎない。

 「ひとは、恐怖のために、あるいは際限のないむなしい欲望のために、不幸になる。だが、もしこれらに手綱をつけるならば、祝福された思考を自分自身にかちとることができる」(122頁)。

 さらに進んで、こうも言っている。「君が途方にくれてこまっているかぎり、それは、君が自然を忘却しているからである、というのは、君は自分でわざわざ不確定な恐怖と欲望を作り出しているのだから」(116頁)。

 すべての恐怖はまやかしだ、自然とともにあれば決して途方になんかくれない、というのだ。この世界=自然は恵みに満ちているわけだ。

 むろん、この世界にも苦痛というものはたしかにあるが、しかし、 「悪いことどもの限度は、時間的にも、痛みの点でも、わずかである」(73頁)。

 よく考えてみれば、究極の恐怖であるかもしれない死でさえも恐ろしいものではない、という(ここがエピクロスの議論の肝所だろう)。 たしかに、「人はだれも、たったいま生まれたばかりであるかのように、この生から去ってゆく」(98頁)。だが、それでも死は論理的によく考えてみれば恐れるべきものではない。なぜなら、「われわれが存するかぎり、死は現に存せず、死が現に存するときには、もはやわれわれは存しないからである」(67頁)。だから、死は少しも怖くないのであり、「旅の終りに達したときには、いつもとかわらず明朗快活であるべきである」(96頁)。

 実感としては人は死についても、老化や病気や苦痛についても、それが予期されるだけで不安や恐怖を感じる。だが、死そのものは恐怖すべきことではないと論理的にはいえる。だから、エピクロスは、物事を知的に論理的に正しく認識する知者であらねばならないという。さらにすすんでいえば、

 「思慮深く美しく正しく生きることなしには快く生きることはできず、快く生きることなしには〈思慮ぶかく美しく正しく生きることもできない〉」(76頁)。

 知性と愉悦とは相互循環的なのであり、知性の欠如と不幸とも相互循環的なのだ。この命題を快く受け入れる人はまさに前者の相互循環にあり、不快に思う人は後者の循環にあるのだろう。

 ともあれ、もししっかりとした知者でさえあれば、もはや死は怖くない、死が怖くないなら、もうすべては怖くない。そして、恐怖から自由になった人間には自然から豊かな愉悦が与えられる。かくして、繰り返すが、「快とは祝福ある生の始め(動機)であり終り(目的)である」(70頁)。

 逆に、「「長い人生の終りを見よ」というのは、過去の善きことどもにたいする忘恩の言葉である」(101頁)。世界は恵みに満ちており、その恵みを最後まで楽しもうではないか、というわけだ。

 世界の恵みである快=愉悦とは、エピクロスにとって、いたって平凡な、身体的なものだ。「いっさいの善の始めであり根であるのは、胃袋の快である。知的な善も趣味的な善も、これに帰せられる」(59頁)。だから、「水とパンとで暮らしておれば、わたしは身体上の快に満ち満ちていられる」(114頁)。

 エピクロスはこんな楽しい言葉も残している。「チーズを小壷に入れて送ってくれたまえ、したいと思えば豪遊することもできようから」(114頁)。あるいはこうもいう。「飢えないこと、渇かないこと、寒くないこと、これが肉体の要求である。これらを所有したいと望んで所有するに至れば、その人は、幸福にかけては、ゼウスにさえ競いうるであろう」(92頁)。

 かく身体的な愉悦に満ちる人は、自己充足的に自律しており、他者や社会に依存しない。「他の人々からの賞賛は、招かずして、おのずから来るべきものであって、われわれとしては、われわれ自身の癒されることにこそ専心すべきである」(99頁)。

 そして、快の愉悦に満ちていることは、それ自体が「善」なのだ、とエピクロスは大胆にも言う。「最大の善については、それが生じるのと、われわれがそれを楽しむのとは、同時である」(94頁)。そして、「自己充足の最大の果実は自由である」(101頁)。

 善とは、他人の評判とか地位とか名声とかそういった社会的なものではないし、他者への貢献などでもない。善とは、身体的な愉悦に満ちることなのだ、とはなかなか大胆な善の定義である。

 かくなる愉悦の身体は、確かに自己充足的でだが、自閉的なわけではまったくない。

 「明日を最も必要としない者が、最も快く明日に立ち向かう」(123頁)。「知者は、困窮に身を落したときでも、他人から分けてもらうよりも、むしろ自分のものを他人に分け与えるすべを心得ている。これほどにもかれの見出した自己充足の宝庫はすばらしい」(95頁)。

 十分に愉悦に満ちたものは、気前がよい。だからといって彼は社会のために生きているわけではない。ご機嫌だから、ケチらずに気前よく人に与える、というだけのことだ。だから、エピクロスの社会観はとてもドライだ。

 「正義は、それ自体で存する或るものではない。それはむしろ、いつどんな場所でにせよ、人間の相互的な交通のさいに、互いに加害したり加害されたりしないことにかんして結ばれる一種の契約である」(83頁)。

 社会は契約にすぎないと、近代的な見方をこの古代人は示している。さらに、「法は、知者たちのために存する、かれらが不正をしないようにではなしに、不正をされないように」(124頁)とも言う。こう考えると、法律も、実に気分のいいものであり、法律で成り立つこの社会も気分のいいもので、そんなものに抑圧されたり一生懸命貢献したりする義理も必然もない。なんと明るい社会観であろうか。

 「大きな悪が避けられておれば、無上の喜びが生まれる。そして、これこそが善の本性である」(120頁)。

 社会の悪、他人の悪、自己の悪、それらがあまりに大きくなければ、自ずから我らは喜びに満ちる。だから余計なことなんかしなくてよい、「隠れて、生きよ」(125頁)ということになる。

 こうした彼の思想を一言でいえば、こうなるのだろう。

 「不死なものとして、君の道を散歩してゆきたまえ」(112頁)。
# by kohkawata | 2014-12-24 10:31 | 欧米の文学 | Comments(1)

ゴジラとヤマトとぼくらの民主主義



 佐藤健志の『ゴジラとヤマトとぼくらの民主主義』(文藝春秋)をしばらくぶりに読み直した。

 きっかけは、最近一部で話題の白井聡『永続敗戦論』を読んだことにある。『永続敗戦論』は、敗戦後の日本の永田町の政治家や霞ヶ関の官僚たちに根強く働いている、「対米従属」の宿痾とでもいうべき根強い傾向を雄弁に描き出しているのであるが、『ゴジラとヤマトとぼくらの民主主義』(以下、『ゴジラとヤマト』と略称)もまた、戦後の日本人のなかに潜む対米従属の心情を、かなり見事に分析している。

 白井もこの本を当然参照していると思ったが、まったく言及されていない。そういえば、同じように、戦後日本における政治家・官僚たちの対米従属の歪みを鋭く告発している、オーストラリアの政治学者ガバン・マコーマックの『空虚な楽園』や『属国』、あるいはジョン・W・ダワーとの共著『転換期の日本へ』も、どれもたいへん優れた仕事だと思うが、この『ゴジラとヤマト』には(たぶん)一度もふれていない。

 そこで、もしかしたらこの本は世間に忘れられているのかもしれないと思い、ちょっと書いてみる。なお、この創見に満ちた本が出版されたのは1992年で、著者は1967年生まれであるから、たいへんな若書きである。

 佐藤は、『ゴジラ』、『ウルトラマン』、『宇宙戦艦ヤマト』の各シリーズと、高畑勲と宮崎駿のいくつかのアニメ、安彦良和と押井守のアニメ・漫画など、戦後の日本を代表する少年向けの作品(佐藤と同世代の私には馴染み深いものばかり)を取り上げながら、そこにみられる、「イデオロギー」の矛盾を析出することで、作者たちのなかのみえざる対米意識と、それと密接にかかわる、しかるべき責任を背負うちゃんとした大人の男にいつまでもなれない「少年」たちの幼稚さぶりを明らかにしている。

 なかでももっとも面白いのは、『ウルトラマン』の分析であろう。ウルトラマンは宇宙人なのになぜ本来縁もゆかりもない地球人たちのために危険を顧みず怪獣と戦ってくれるのだろうか、ドラマの根本的な欠陥であるはずなのにウルトラマンのありえないほど博愛的な態度になぜ視聴者である男の子たちは違和感を抱かないのだろうか、と佐藤は疑問を投げかける。

 佐藤の答えは、単純である。ウルトラマンが実は米軍だからである。

 米軍もまた、外国人なのに、日本を守ってくれるはずだと日本人は信じている。その信仰にはたいした根拠はないのであるが、にもかかわらず米軍=米国の絶対的な強さと米国人の日本人への好意を戦後の日本人は信じている。そしてそのご都合主義的信仰は、日本の子どもたちも共有するところであって、制作者や子どもたちのなかにある対米従属の信仰が、ウルトラマンという作品のなかで起動して、ウルトラマンが、まるで米軍のように、自分たちのために敵をなぎ倒してくれることに拍手喝采するわけだ。それが証拠にみればよい、自衛隊を連想させる「科学捜査隊」は登場しても、在日米軍を連想させるような軍隊は、舞台が日本であるにもかかわらず、いっさい出てこないではないか。米軍の不在はウルトラマンが米軍を代替しているという解釈によってしか説明できないのだ、という。

 この本における佐藤の論証は理詰めだが結局厳密なものではないし、地政学的大状況と個々の心情とを結びつけるこの種の議論を厳密に論証することは一般にそもそも難しい。それに、ウルトラマンや仮面ライダーのようなヒーロー物には、米軍の投影ばかりではなく、男の子たちの万能感や醜い愚か者への近親憎悪といった感情も当然反映されているだろうし、庇護的な父親と酷薄な父親という分裂した気持ちも織り込まれていたりするだろう。いわば、ヒーローとその敵とは、作者と子どもたちの様々な情念の複雑なアマルガムであるはずであり、それゆえ佐藤の分析は一面的だとは思う。とりわけ、数々の乱暴で醜い怪獣たちが何を表しているのかを考えようとしていないのは、ヒーロー物の物語分析としては大きな欠点である。怪獣たちは、ソ連を表していたわけではないだろう。

 だが、それでもなお、日本のヒーローたちは実は米軍の化身なのだという主張は独創的であるし、本質の一端を射抜いている、と私には思われる。

 ゴジラもまた、佐藤の主張を私なりに思い切って単純化していえば、米軍の力を具現化したものである。眠れる恐竜であったゴジラは、米国の水爆実験によって目をさまし、南洋からやってきて日本に上陸し都市で暴れ回るのであるが、その様子はやはり南洋から飛んできて日本の街々を空爆した米軍のアナロジーなのである。そして、映画のなかでは自衛隊は出撃しても、やはり在日米軍の存在は描かれないのであるから、ゴジラも米軍なのである。ただ、1954年という戦後間もない段階で撮られた『ゴジラ』においては、米軍は日本を無償で守ってくれる都合のよい守護神であるよりは、日本を破壊した恐ろしい加害者として表現されている、というわけである。

 佐藤は、こうした戦後の映画やアニメの分析に基づいて、そこに現れている対米従属の必ずしも意識されない思い込みの根強さを剔出しながら、さらにある種の戦後批判にも踏み込んでいる。すなわち、自分たちの国の安全保障を真剣に考えることなく、米国が守ってくれると米国の善意を期待しながら、「小市民的な日常」に埋没して惰眠を貪ろうとする、こうした日本人たちは、どうしようもなく甘えた幼稚さに満ちており、マッカーサーが言ったようにせいぜい12才にしかなれない、だから、現実を見据えてもっと大人になるべきなのだ・・・・

 こうした、戦後批判としての対米従属論というスタンスは、白井やあるいは江藤淳の一連の対米占領・対米従属についての仕事、またそれをうけた加藤典洋の『アメリカの影』などにも共通するスタンスではある。ただ、私は、対米従属の剔出の部分には膝を打ちつつも、これらの戦後批判の部分にはあまり共感できない。いずれもが、地政学的な歪みをもって、政治論から人生論まで一気に語ろうとして、その政治論・人生論の中身はそれぞれであるが、いずれもが性急な提言になりすぎているように思われる。

 私がこの『ゴジラとヤマト』という本に感心したのでは、そうした性急な部分ではなく、子どもたちにすら地政学的な力関係が無意識的にすりこまれており、そのことが様々な形をとって現れている、という世界と人間とのダイナミクスを如実に示してくれていることにある(そのようなダイナミクスは、江藤淳の仕事全体にも豊かに示されていると思うが)。

 私たちは、他人とは異なる自立した自分を感じて生きているが、しかし、私たちはいつでもこの世界とともにある。戦中・戦後の歴史の積み重ねも、日本に展開する米軍も、あるいはきっと中国や台湾や韓国も、あるいは北朝鮮や、ひょっとすると「イスラム国」ですらも、私たちとともにある、たとえそのことを意識してなくても、私たちの「こころ」のなかに、それらの諸々はうごめいているのだ、そこには「従属」ということに止まらない豊かさがあり、そのことに驚きもっと楽しむべきなのではないか・・・・などといったら諸々の対米従属論以上に飛躍した抽象論になるだろうけれども、そのような豊かさを感じさせてくれるものが、この忘られているのかもしれない『ゴジラとヤマトとぼくらの民主主義』という若々しい本のなかには確かにあると思うわけである。
# by kohkawata | 2014-09-30 17:40 | 現代日本の文化 | Comments(0)

四畳半神話大系


 私の授業にでている学生が面白いというので、読んでみた。

 森見登美彦『四畳半神話大系』。

 森見登美彦風にいうならば、その面白さは無類であった。

 まず第一に、小説の舞台が私にとって馴染み深い場所で、その場所がよく生かされていた。主人公たちが行き交うのは、出町柳から鴨川デルタの辺りを中心に、百万遍、京大キャンパス内、御蔭通、北白川、浄土寺、吉田山、岡崎辺りであり、少し離れて河原町三条から四条辺りにも彼らは出没する。これは私が学生であったころの行動範囲とほぼ正確に重なる。一つの街角、一つの通りにもたくさんの記憶がつまっているのであり、その多くを私は作者ないし主人公たちと共有できる。例えば、「まどい」という百万遍に実在するレストランが小説には出てくるが、この名前をきくだけで、様々な情景が鮮烈に目に浮かぶ。

 私のように地方都市にしか住んだことのない者にとっては小説や映画の舞台とはほとんどいつも馴染みのない時空なので、自分のよく知っている場所が舞台になることがこれほど楽しいとはいままでわかっていなかった。この森見登美彦という人は舞台となった土地にたいして、心地よいユーモアを交えた深い愛着を抱いているので、時の流れのなかで私にはいつのまにか色あせてしまった街角が、この小説のなかでは再び生彩をもって輝き始め、そのために、失ったものを取り戻したかのような喜びを私にもたらしてくれる。

 他の小説もいくつか読んでみたのだが、このような喜びは森見登美彦の他の小説にも共通することであって、例えば『有頂天家族』では、主人公は京都に住まう狸の一家なのであるが、狸であるにも関わらず彼らの行動範囲はほとんど『四畳半神話大系』の「私」と同じなのである。例えば、夷川の発電所とか出町柳の商店街を北に上がったところにあるアパートだとかに狸たちの根城があったりして、そのいずれも私の知人たちの住んでいた近辺であって、私は在りし日の知人たちと自分のことをまざまざと思い出した。

 しかし、主人公たちと学生時代の私とが共有しているのは地理的な記憶ばかりではない。驚かされたのは、両者が、あまりにも多くの経験と感情を共有していることである。具体的に書く勇気などないが、ともかくも主人公たちの、七転八倒、こけつのまろびつのほとんどすべてが、あまりにも生々しく私の学生時代の経験でもあるのだ。

 むろん、自分の青春の経験を自分では特殊なものだと思い込んでいても、実はよくある青春にすぎない、ということは一般論としては知っていたつもりだ。過剰な自負心も、世間知らずのお馬鹿ぶりも、感情の大げさな起伏も、異性にころりと幻惑されることも、知人たちとの離合集散も、それらはすべて自分だけの経験でもあるが、若い人というか、若い男であれば、大抵はよく似た経験をしているものだ。

 だが、この小説を読んでそうだったのか、と思わされたのは、自分の青春の経験のありようというもののかなりの部分が、よくあるものであるばかりではなく、実はあの大学とその周辺という制度的・地理的なものによって生み出されたものであったのかもしれない、ということである。

 思えばあの辺りは特殊な場所でもあった。永遠にも思えた自由に費やすことのできる膨大な時間、ほとんど拘束のない気楽な立場、未来に豊かな可能性があるとどこかで信じている楽観性、知性の偏重、あるいは、奇妙なサークルが無数に存在していること、多数の個性的な人間と出会えること、自分や周りの人間が比較的狭いエリアに集中していること、夜でも安全にうろうろできること、そのようなあの大学の周辺が生み出した諸条件のなかに自分はいたのだ、だからそこで経験する青春は、小説の主人公たちも、私も、そしておそらく多くの男子大学生(とくに京大の男子学生)たちも同じようなものになってしまうのだ。

 例えば、作中には猫から出汁を取っているという噂の屋台ラーメン店がでてくるのだが、その「猫ラーメン」のことで作者はこう語っている。

 「夜中にふと思い立って猫ラーメンを喰いに行ける世界。これを「極楽」という。」

 この気分は完全にわかる。時間はある、情念もある、だから夜更かしをする、それで腹がへる、冷蔵庫には何もない、街へでる、同じような風体の連中が夜中なのにうようよいる、だから安いラーメン屋はいつまでも開いている、そしてそこまで怠惰でありながら明日はあると信じている、だから極楽なのだ。

 そのように、偏っているとはいえ他の人たちと膨大な記憶を共有できているかのように感じることができるのは、あれは自分だけの馬鹿げた学生時代であったと悔恨するよりは、だいぶと心温まることである。

 というわけで、なるほど、確かに面白かった。
# by kohkawata | 2014-07-31 16:18 | 現代日本の文化 | Comments(0)

満街聖人

 ここ半年ほど、王陽明の「満街聖人」という言葉をよく思い出す。これは、街中の人みんな聖人だ、という意味。

 本来、「聖人」とは儒教徒にとってかなり重たいことばである。 それは最も理想的な人格者であり、堯や舜といった神話的君主がその言葉にふさわしい。孔子は端的に「自分は聖人に会ったことはない」と言っている。にもかかわらず、街中が聖人だなんて、おめでたすぎる言葉にも響く。なのになぜか、それはそうだなあ、本当にそうなんだろうな、としきりと思う。

 「満街」という表現が、たくさんの人々が気ままに自由に行き交う、活力に満ちた感じでとてもいい。以前は私はこの言葉から、何となく、台湾の夜市の光景を思い出すことが多かった。南国の暖かい夜に人々の賑わうさまはとてもよいものだ。酒を出さないせいか、日本の盛り場のような怪しげさは少しもなくて、老若男女が楽しく集っているようにみえ、本当に「街中いい人ばかり」という感じがする。

 ところが、とくに理由も思い当たらないのだが、最近になって世界のどこだって日本だって、「満街聖人」だと感じるようになった。結局のところ、あの人もどの人も聖人なのであり、かつてそう感じられなかったのはむしろ自分の側の問題なのではないだろうか、と。こうした「満街聖人」の感覚は、前回書いた、同じ明代中期の、沈周の愉悦に満ちた桃源郷的な絵画の世界にも通じるようにも思われる。

 ところで、この言葉が出てくる王陽明の『伝習録』を読むと、この四語にはもう少し含蓄があるようだ。

 弟子の一人が「出遊」して帰ってきたのをみて、陽明先生は何を見たかと問う。すると、弟子は「満街人都是聖人(街中の人、みんな聖人でした)」と答える。それにたいして先生は「街の人も君が聖人であると見てとっていただろうよ」と応じる。また別のとき、別の弟子が帰ってきて、「めずらしいことに出合いました」と言う。陽明先生が「どんなめずらいことか」と問うと今度の弟子も「満街人都是聖人」と答える。先生は「そんなことは当たり前だ、何もめずらしいことではない」と応じる。

 「出遊」して見たのが、仏陀のように生老病死だったのではなく、聖人であったとは、やはりすごいことを言い放つなと思う。しかし、なぜ王陽明は異なる応じ方をしたのだろうか。この前後には答えは見当たらないが、『伝習録』全体の読解から私は次のように考えるのがよいと思う。

 陽明の考え方を表面的にでも知っていれば、「満街聖人」ということは、発想としては必ずしも理解し難いわけではない。陽明は、すべての人には善なる本性である「良知」が生まれつき備わっており、子どもたちや「愚夫愚婦」にもそれがある、いや彼らこそそれをよく体現している、と言っている。だから、「満街聖人」であること自体は、めずらしくもなく、「当たり前」なのだ。だが、陽明的に考えるならば、大事なのは知識や言葉による知的な認識などではなく、本当に「満街聖人」と実感できること、つまりすべての人の「聖人性」つまり「良知」を感得できる、ということだ。しかるべき「功夫」(香港映画でいう「カンフー」のことであり、平たくいえば修行である)を積み重ねて、しかる後に、良知を取り戻し磨きをかけたとき、はじめて「満街聖人」だと実感・感得できるのであって、その境地にあるものこそが本当の「聖人」だ、そして誰もその意味で聖人たりうる、ということであろう。

 『伝習録』には次のような言葉もある。「天下の人の心は、すべて自分の心であります。天下に狂気を病む人があるかぎり、どうしてわたし一人がそれを免れることができましょう」(溝口雄三訳『伝習録』中公クラシックス、2005年、272頁)。そもそも自他の区別は本質的なものではなく、自他を超えたある種の境地のなかでは、狂気をも含み込んだ「満街聖人」の世界が広がっている、ということなのだろう。

 だが、狂気をも含んだ聖人とは何事なのか、これは確かに知的には理解しにくい。しかし、陽明的には、にもかかわらず、人の本質は狂気などではなく良知にあるのだ、それは理屈では説明しがたいが、「功夫」によって実感とともに体得する真実なのだ、その時には自分の良知も他人の良知も区別なく渾然一体とした「満街聖人」の世界とともにある、ということになるのだろう。これはやはり、今日的な意味での学者の言葉というよりは、むしろ「宗教的体験」(W.ジェイムズ)、つまりある種の「回心」を経た宗教者の言葉に近いのだろうと私には思える。

 私はむろん、そんな回心を経験したわけではまったくない。ただ最近なぜか、どうしようもない人というのはたしかにいるが、しかしなお「満街聖人」であるとなんとなく感じるのである。これは奇妙だが、相当に幸せな感覚でもある。もっとも、そういう感覚をもつのは、王陽明とは異なり、単に中年の男の気に緩みのせいなのかもしれない。


 ところで、また論文を発表した。

 「「白蛇伝」にみる近代の胎動」というタイトルである。

 これは、蛇をめぐる中国の文化史・心性史のようなもの。とくに「白蛇伝」という、王陽明や沈周の時代の少しあと、明末から清朝初期に最高潮を迎える、様々に変異した物語の変遷を辿っている。皇帝を殺す複数の物語群のなかに、近世中国の人々の心性のダイナミズムを読み込もうとした、前回発表の「皇帝を殺す」の姉妹編のようなものになる。

 思えば、「白蛇伝」を初めて読んだのは、大阪のアジア図書館の書架にそれをみつけた2000年のことで、「白蛇伝」の演劇を初めて観たのは、2002年の夏に訪れた北京の、たしか正乙祠戯楼という名の小さい京劇の劇場でのことだった(「盗仙草」の段だった)。以来「白蛇伝」には心惹かれてきたが、これをテーマにする論文を書こうと思い立ったのはようやく2011年のことだった。ずいぶん時間をかけて暖めてきたテーマなので、まだ不十分な点は多々あるが、まずは報告しておこうと思った次第である。

 ご一読いただければ幸いです。こちらです。

 なお、 「白蛇伝」は抜群に面白い物語なので、研究も中日でずいぶんなされてきたが、清代以降は多様な芸能のジャンルに流入し文献も増え、私の論文もふくめてその部分についてはまだ十分研究が進んでいない。この時代の芸能にかんして予備知識がある程度あれば、清代・民国期の「白蛇伝」は、トライするべき未踏の分野だろう。
# by kohkawata | 2014-05-17 13:38 | 近世中国の文化 | Comments(0)