ポスト満州の映画、など

 四方田犬彦・晏妮編『ポスト満州映画論:日中映画往還』(人文書院、2010年)

 私が一応会員になっている、「中国文芸研究会」の「映画の会」というところでこの本が先日「書評対象」となって討議された。私も参加しようと思って、この本を読んでみた。以下、思ったことを簡単に。

 前世紀、日中の歴史はマクロにみればずいぶんひどいものだったが、ミクロにみれば、いろんな交流があって、日中の先人たちはそれなりにがんばってきたんだなあ、と思う。当時の日本を代表する(と言ってよいのだろう)映画評論家の岩崎昶は、中国の左翼的な映画を継続的に紹介してきたし、満映のスタッフの一部は敗戦後も中国に留まり映画技術を中国人に教え共同で映画を撮ってきた。あるいは大島渚は満州帰りの日本人の運命を象徴的に描くなど、彼なりに日本社会の外と内が抱える異物を問題化しようとしていた。

 中国側の人たちもまた、満州に残った日本人を、「孤児」としてであれ技術者としてであれ、受け入れてきた。日本映画についても、中国における映画の中心地であった上海で技術的にも人的にもいろいろな形で受け入れてきたし、戦後も1950年代後半までは日本映画祭を行うなど、日本映画を紹介していた。この辺のことは、編者晏妮氏の著作『戦時日中交渉史』(岩波書店、2010年)に詳しいようだが、取り寄せているところでまだ読んでいない。

 中国のことを日本にいて想像するとき、とりわけちょっときな臭い事件があった時には、日中の数多く先人たちが今日よりもはるかにひどい大状況にもかかわらず相互的な影響や協力関係をそれぞれの情熱を込めて重ねてきたことを思い起こすことはいいことではないかと思う。そして、今もまたそうした努力をしている人は、とくに日中間にあっては、きっとたくさんいらっしゃるのだろう。

 ところで、一番印象に残ったのは、四方田氏の引用している、「日本国家は『満州国』の葬式を出していない」という竹内好による1963年の言葉。私の祖父母も満州で結婚し家庭をもった人だ。そしてたしかに、彼らの満州・中国での経験は、エピソード的な断片以外に、孫の私に不思議なほど伝わっていない。

 だが、葬式とは何だろうか。人であれ物であれ、何かが亡くなった時、どのみち満足できるような葬式はだせない。それに、満州がとりわけ服喪が足りないというのではない。日本が統治し侵略したすべての地域の服喪はないがしろなもののままだし、そもそもそんな大きな歴史からこぼれ落ちる無数の死が私たちの世界には充ち満ちている。思うに、歴史家の使命とは、大きめの事件・現象について、少し時間をおいてから、細部を正し全体を総括することによって、ちゃんとした葬式をだす、ということなのだろう。それは取りこぼしのある、あるいは取りこぼされてしまうものを生み出す、終わりのない作業であり、多分に呪術的な行為であるのかもしれない。

 などと自由連想的にいろいろ考えたのであった。

 ついでと言っては何だが、最近読んだ映画の本で特別におもしろかったのは、山下博司・岡光信子『アジアのハリウッド:グローバリゼーションとインド映画』(東京堂出版、2010年)。現在世界一の製作本数と入場者数を誇るインド映画の、歴史・多様性・地域性など、インド映画について信じられないほど詳しく書いてある。そしてインド映画を通じてインド社会の断面が立ち上がってくるようにも書かれている。私のインドとインド映画についての知識がほとんど皆無であることもあるのだろうが、この本の情報量はとにかく圧倒的。
# by kohkawata | 2010-12-05 13:09 | 現代中国の映画

ゼロ年代の日本社会と山田昌弘氏



 先日、私の勤務先の大学で、山田昌弘氏に来てもらって、講演会と研究会を開催した。

 直接会った人のことをネット上で書くことは、あまりいいコミュニケーションのあり方ではないような気がするので、このブログでは原則としてしない方針だが、氏は著名人だし、再びお会いする機会もなかなかないだろうから、よしとしよう。

 氏はゼロ年代の日本で最も大きな仕事をした社会学者の一人であるといってよいだろう。「パラサイト・シングル」「希望格差」「婚活」といった氏による新造語をはじめとして、彼のここ十数年の仕事は、日本人の自己認識と社会認識を大きく向上させるものであった。

 氏の仕事、とりわけその新造語は、多くの人の心をつかむらしく、社会学の授業で氏の仕事にふれると学生たちの反応がいいように感じられる。香港でも「単身寄生族」(パラサイト・シングル)を語ることが、「隠蔽青年」(引きこもり青年)を語ることと並んで、流行しているという(韓江雪・雛崇銘編『香港的憂悶』Oxford University Press、2006、ix。この頁の文章には2007年の日付が入っている)。氏の仕事の浸透力は、おそらくは東アジアではとくに、高いのだと思われる。

 一連の研究には、とくに斬新な方法や特別な問題意識があるわけではなく、いたってまっとうな調査とまっとうな考察があるだけである。それでもこれだけの仕事ができることには驚きを感じるし、知的洞察・知的貢献とは、とりわけ社会学において、どうありえるのか、改めて考えさせられる。

 「いま社会でも求められる能力とは?」というタイトルの講演会と「なぜ若者は保守化するのか ─ 希望格差時代の若者たち」というタイトルの研究会は、それぞれの聴衆の特徴に配慮した、とてもよいもので、私もいろいろな意味で勉強になった。それぞれの概要は次のサイトにあります。

http://www.kyotogakuen.ac.jp/eco-news/6_4cda7b440d446/index.html
http://www.kyotogakuen.ac.jp/eco-news/6_4cda7e29455b1/index.html
# by kohkawata | 2010-11-15 10:35 | 現代日本の文化

『永遠の語らい』と元町映画館

 先日、マノエル・デ・オリヴェイラの『永遠の語らい』(2003年)を神戸の元町映画館という所でみた。

 まあなんて素晴らしいポエジーにあふれた映画なんでしょうね、と淀川調に言ってみたくなる映画。

 歴史家の母親とその幼い娘がポルトガルからムンバイへと船旅をする。マルセイユ、ポンペイ近く、アテネ、イスタンブール、エジプトなどに寄港していくのだが、母親はその度に娘に名所旧跡の説明をしてやり、そうすることでヨーロッパ文明の流れがパノラマ的に示される。この時映し出される都市の空気がなんともすばらしい。1908年生まれの監督はこの映画を公開した年には、95才になっていたということになるが、その年でこんないい映画を撮れるなんて、まったく理解も想像もできない事態だ。

 映画のハイライトは、この母娘とは直接関係はないのだが、それぞれにキャリアを積んできた三人の女性(カトリーヌ・ドヌーブ、ステファニア・サンドレッリ、イレーネ・パパス)とジョン・マルコヴィッチ演じる船長との客船のダイニングでの会話のシーンである。四人は、人生と文明を、(なぜかそれぞれ別の母国語で)延々と語りあうのだが、演技に味わいがありすぎて、これはもう私の好きな東アジアの映画では撮れないレベルだなとほとほと関心させられる。

 だが、会話の内容は次第に不穏なものになっていく。四人はヨーロッパ文明の衰退を嘆きはじめ、アラブ人たちへの悪意ある会話をする。そして、この語り合うばかりの静かなはずの映画は最後に急転する。アラブのテロリストが船に爆弾をしかけたらしい、全員待避せよ、と。逃げまどう人波のなか、歴史家の娘は、船長がアラブの町で買ってプレゼントしてくれた人形を連れて行こうとして、船室へと戻っていく・・・

 映画のメッセージはあきらかだ。古代ギリシアにはじまり民主主義と科学技術を生み出した偉大なるヨーロッパ文明は、この優雅な客船に乗った偉大な俳優たちと同じように、今滅びつつある。その元凶は、庶子を先祖とするアラブのイスラム教徒たちにある。彼らがキリスト者を迫害しテロによってすべてを破壊しようとしている・・・

 ここには老いた人にわりとよくみられる迫害的な意識がみられるし、またヨーロッパの人の自分たちの文明にたいする動かし難い自負も感じられる。蓄積された文化に裏打ちされた素晴らしいポエジーに満ちた映像とあられもない差別的な迫害意識、その両者の不思議な同居は、たしかにこの老いた天才ではなければできないものなのかもしれないと思わせる映画であった。

 ところで、この映画を上映した元町映画館は、この8月に開館したもので、映画好きの有志が力をあわせてつくった映画館であるようだ。神戸の元町のアーケード街のなかにあるかわいらしい映画館で、こういうところにいい映画を上映する映画館があったらいいなという気持ちが伝わってくるような気がする。

 最初の上映作品は、『赤毛のアン』と『狙った恋の落とし方』(原題『非誠勿擾』、2008年)であった。後者は中国本土でかなりヒットした映画であるが、この映画は、まったく日本人好きしない顔の俳優葛優を視点人物としているうえに、後半は北海道をいかにも外国人の好みにそくして旅してまわったりしていて、全体として日本人にはおもしろさがわかりにくい映画だろう。今回の『永遠の語らい』も、たしかに素晴らしい映画ではあるが、よほどのヨーロッパびいきでなければ非欧米人には受け入れがたい部分をもつ。

 今の時代とても難しいことだと思うけれども、なんとかいい映画を選び続けて、この映画館が続いてくれたらいいなと勝手に思う。
# by kohkawata | 2010-10-14 19:31 | 欧米の文学

「通俗道徳の役割」

 「通俗道徳の役割」という題の私の文章が載っている、井上俊・伊藤公雄編『日本の社会と文化』(世界思想社)が今週辺りに本屋に出るそうだ。
 
 この本は、全部で11冊からなる『社会学ベーシックス』というシリーズの一冊で、このシリーズは全部で270点ほどの社会学関連の基本文献の解題をしている。編者によれば、社会学の知的遺産の目録となることを企てているという。

 通俗道徳とは歴史家・思想史家である安丸良夫氏の命名であり、近世中期に始まり次第に日本全域で支配的となっていく民衆道徳のことで、安丸氏は『日本の近代化と民衆思想』という本のなかでこの通俗道徳についてかなり詳細に分析している。私の短文は氏のこの通俗道徳論を紹介するとともに、安丸氏のその後の研究についても短くまとめている。
 
 私が安丸氏の研究にはじめてふれたのは、大学院に進学したばかりの1992年の春であったと思う。とある小さな読書会で、メンバーの一人が中井久夫『分裂病と人類』(東京大学出版会、1982年)を取りあげて、そこに安丸良夫の研究がわりと詳しく詳細・分析されていたのである(後で知ったのだが、中井氏と安丸氏は、学生時代の知人であったそうだ)。

  品切れだったので古本屋で探し出した『日本の近代化と民衆思想』を読んで、大学を卒業したばかりの若造の感想としては滑稽なほど僭越だが、これは非常に論理的でクレバーな研究だと思った。当時私はアルチュセールのイデオロギー論などを読んで、社会的な次元の諸力がどのように個々の人間に働きかけるのかといったことに興味をもっていたのだが、安丸氏の通俗道徳論は、イデオロギー的なものと人々の言動との複雑な関係をかなり見事に分析しており、日本のその後の近代化全体への明晰な展望も示している、と思った。

 当時は氏の研究の重要性は、歴史学・思想史学以外の人には、十分には理解されていなかったと思う。しかしその後、次第に広く理解されるようになり、とくにここ数年は氏の古い本が相次いで新書化されたり、氏の研究についての専書(安丸良夫・磯前順一編『安丸思想史への対論』(ぺりかん社、2010年)が出たりと、相当にしっかりと再評価が進んでいる。

  その後私はこの通俗道徳周辺の、近世前期の民衆の心性を自分なりに研究して、次第に通俗道徳論のいくつかの重要な論点について異なる理解をするようになった。それについては拙著『隠された国家』で詳しく書いたので、ここでは繰り返さない。それでもやはり氏の通俗道徳論は今でも、これ以上おもしろい日本の思想史はないといえるほどのものだと思う。

 今回、執筆のために安丸氏の論文をほぼすべて読み直してみたのだが、個人的にとくにおもしろいと思いながら短文には(詳しくは)書かなかったことが二つある。

  一つは、安丸氏の人物伝はとりわけすぐれているということ。『出口なお』(朝日新聞社、1977年)や、短文ながら石田梅岩論(「生活思想における「自然」と「自由」」『文明化の経験』岩波書店、2007年)はとてもおもしろい。石田梅岩関係の文献は一通り読んでいるつもりだが、安丸氏のものが人間としての梅岩をもっともよくとらえていると思った。通俗道徳論をはじめ、安丸氏の思想史というものも、こうした一人一人の人物への洞察というものに支えられていことがよくわかった。

  もう一つは、安丸氏の通俗道徳論というのが、結局は自分の話にもなっている、ということである。彼は富山の砺波地方の農村の出身であり、ここは伝統的に真宗信者の勤勉な人々の多い「通俗道徳」的な地域なのであるが、この地で生まれ育った安丸氏の研究もまた、繊細な他者への共感能力とともに、勤勉な営みの積み重ねの結果である。客観的な歴史研究のはずの氏の文章が自分史・生活史にもなっている、ということは、氏自身が「砺波人の心性」(『文明化の経験』)という論文 ― これは砺波という地域についての出色の分析 ― で回顧しつつ語っていることでもある。

  私もたまたま高校時代の三年間、砺波地方に住んでいたのだが、たしかにこの砺波の風土は特別に深く通俗道徳的なものだと感じられる。大きな扇状地にすみずみまでひろがった田園の風景のなかには、古木に囲まれた宏壮な家屋敷が散在しており、きれいに舗装された道路が、おそらくは自民党への強い支持を背景に、網の目状に張り巡らされていた。これらは多分に、この地域の人々の勤勉や倹約、あるいは権威への従順さなどといった通俗道徳的な姿勢がもたらしたものであろう。

 勤勉とか倹約というと、いくらかせこく未成熟な感じがするが、私が知り合った砺波地方の同級生たちは、たしかに真面目な人ばかりであったが、概してかなり大人びていた。家族や地域の期待をしっかり受け止めていて、その上にたって人生を展望しつつ高校生を勤めている、といった感じの大人である。今の日本の大部分の地域が大幅に失ったようにみえる、ある種の伝統的で道徳的なハビトゥス(習慣)が、この地方にはまだある程度生きていて、私はその残像を垣間見たのかもしれない。

 お釈迦様の大きな腕のなかで飛び回った孫悟空のように、生涯をかけて成し遂げられた極めて質の高い人文研究が実は自分のお話でした、というのは、別に悪いことでも矛盾したことでもないと思う。それほど他者の理解は難しいということでもあり、同時に誰もが他者たちと多くを共有している、大きな宇宙なのだ、ということもあると思う。
# by kohkawata | 2010-09-15 13:46 | 近世日本の文化

雑談の夜明け


 先々週、短い報告書を書き終わって、ようやく「春学期」の業務が終わった。しかしもうお盆が目前であった。

 大学の授業はこの学期から15週間にふえたこともあって、しかも8月に入って名古屋で集中講義までして、夏休みがひどく遠かった。長いあいだ感じたことがなかったほど夏が暑かったこともあるし、二つの原稿をかかえていたこともある。

 ところで、この春学期は、どうしたわけかいろいろな人に話しかけられることが多かった。学生に議論をふっかけられるようなこともしばしばあって、楽しいような困ったようなことも多かった。なぜだろうか。もしかしたら、このブログを始めたので、それを読んで、「こんな感じの奴なら話しかけても大丈夫だろう」と思ったのだろうか。なぜかエスノセントリックなことを強い調子で語る学生が複数いて、しかもそんな彼らがわりと勉強熱心だったりして、「いよいよ時代が変わってきたのか」と思わされたりもした。しかし、あるいはこのブログを読んでのことなのかもしれない。ならば、私の反エスノセントリズムをちゃんと感じてくれた、ということになるのかもしれない。

 春学期、忙しい合間に読んで、つくづくいいなあと思った古い本がいくつかあった。

 一つは西脇順三郎のエセー『雑談の夜明け』(講談社学術文庫、1989年)で、西洋の文学的教養を深く身につけたこの人の中国詩論は私にはとくにおもしろく感じられた。こんなことを言っている。

  「これだけ簡潔な表現をし得る言語は他にないと思う。私は世界の言語についてはみな知っているものではないが、恐らくそうであろうと信じるのだ。[・・中略・・]古来世界の作詩法によると語法の簡潔は詩人の最大に求めていたことである。けれども中国語を用いる詩人には、もう言語的にかなわないにきまっている。言語という宿命でこれはあきらめなければならない。おまけに単語が単音節ときている。「簡潔は詩才の精神」とローマ詩人以来の訓言がある。ところが一般にヨーロッパ語ではそうは行かないのである」(167-8頁)

 言われてみれば中国の詩とはなるほどそうしたものだと思う。

 そういって悔しがっている西脇の詩も少し読んでみた。それで出会った本、『日本の詩歌 12巻 木下杢太郎 日夏耿之介 野口米次郎 西脇順三郎』(中央公論社、1969年)はとてもいいものだった。このシリーズは装幀が端正で、詩の選択も本文の組み方も注釈もさし絵もよくて、とてもいい詩の全集だなあと思う。全部で30巻ほどあるらしい。こんな全集は今の日本ではもう望めないのかもしれない。

 この巻には、例えば、日夏耿之介の『転身の頌』(大正6年)の最初の詩「かかるとき我生く」がある。

 大気 澄み  蒼穹晴れ  野禽は来啼けり
 青き馬 流れに憩ひ彳ち (たち)
 繊弱き草のひと葉ひと葉 日光に 喘ぎ
 「今」の時計はあらく 吐息す
 かかるとき我 生く

 「時計」は、本当は難しい異字だが、ネット上で字を見つけられない。大気は「き」、蒼穹は「そら」、野禽には「とり」、日光は「ひざし」などとルビがふってある。漢語と和語の組合せが効果的ではないだろうか。

 西脇自身の詩もそうだけど、結局日本語の詩だって捨てたものではない。とくに日本の近代の詩には、どこか暗い影がつきまとうけれども ― 上の詩にもどうしたわけか予兆的な影が感じられないだろうか ― 、私にとっての母語がもっている繊細な情感と響きがこもっているといまさら思う。老後の楽しみがまた一つできたかもしれない。
# by kohkawata | 2010-08-23 18:00 | 近代日本の文化