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『この世界の片隅に』


尼崎の映画館で、『この世界の片隅に』を観ました。

感動しました。
できの悪い小学生の感想のようですが、とっても感動しました。

ぜひとも劇場で観るべき映画だと思います。

by kohkawata | 2016-12-06 20:17 | 現代日本の文化 | Comments(0)

「海辺の伝説」の上演

  伯母の森禮子の戯曲が舞台にかかった。

 伯母がまだ37才であった1965年に初演された「海辺の伝説」(『森禮子戯曲集』所収)を、福岡を拠点とする「ゲキダン大河」が今回上演したのである。演出は佐藤順一氏。私は11月26日(土)の13時からの回を拝見した。

 異人館のダイニングルームのなかだけでドラマは進んで行く。こんな話だ。 

 夫亡き後、惚けたようにトランプ占いばかりしている未亡人白沢夫人と、父の残した異人館を守るべく一人で奮闘する長女綾子の二人が物語の中心にいる。他に、未亡人の弟で文学青年くずれで居候の宗吉と、銀行に勤める未亡人の長男信彦、亡き夫が愛人に生ませた次男勝彦とがいる。

 異人館に住むこの五人は、すでに気持ちがばらばらであることが、演劇の冒頭で示される。みな同じ部屋にいるのに、別々の場所で別々のことをしながら別々の方向に視線をむけている。家族にはすでに資産はなくアメリカ人の船長が建てたという古びた異人館と借金だけが残っていて、支払いが滞ってガスさえもとめられようとしている。

 それでも、この家族はバラバラなんかではなく今でも豊かで楽しい生活ができていると惚けた夫人は思い込んでいるし、綾子はがんばれば家族を立て直すことはできるはずだとまだ信じて必死に努力している。神様を信じている綾子にとって、事実はどうであれ信じることが救いなのだ。だが、男たちはみなもうばらばらになっていることを知っていて、信彦は自分さえうまくやっていければよいという態度で家族のためには一銭たりとも払おうとしない。勝彦は反抗的な態度でこの家族が欺瞞に満ちていることをみなに知らしめようとするし、宗吉は劇中で何度も家をでていこうとしている(だが、なぜか彼はその度に出立を延期する)。

 綾子はなんとか一家を救うべく、知人の金持ちのお嬢さんをハンサムな弟信彦に紹介して結婚させようとしている。銀子という名前のこのお嬢さんは異人館を訪れる約束をしていて、舞台の上でみなが、銀子さんこそが一家を救うかもしれないと期待して、その来訪を首を長くして待っているのだが、約束の時間を過ぎても銀子さんは来ない。たまりかねて信彦は駅に迎えに行くが、銀子さんは現れなかった。家族の全員が、とくに綾子は、ひどく落胆する。きっとこの家族にはもはや資産も何もないことがばれたのだろう、だから来てくれなかったのだ、とみなは諦める。

 信彦の結婚がだめならば、最後の望みは「手文庫」だということになる。手文庫とは、未亡人の夫が残したもので、この手文庫のなかには膨大な遺産が残されているはずだ、とみんな信じているのである。

 演劇のクライマックスは、これまで開けずにいたこの手文庫を開けるシーンである。そこにちゃんと期待通りに遺産が残されていれば、異人館を守ることができるし、家族は再出発できるはずだ。みなが固唾を呑んで見守るなか、鍵を管理していた綾子が手文庫をあける。だが、そこには無価値な古い証文の類があるだけであった。

 綾子は、実は、手文庫のなかにはめぼしい遺産は何もないことを最初から知っていたのだが、あえてそれを隠してきたのである。何かあると期待させることでみなをつなぎとめられると思ってきたからであろう。

 だが、何もないことがわかった今、家族はとうとう本当にバラバラになる。ずっと姉の家に居候してきた宗吉は、意を決して本を担いで出て行ってしまう。異人館に憧れてお手伝いをしていた、まだ若くて純朴な喜代は、一つの家族が崩れ落ちていくのを目の当たりにして、呆然とする。

 そんな話である。

 原作では、登場人物たちの個性がかなりくっきりと描かれているのだが、演劇においてはそれぞれの役者さんたちがかなりがんばってその個性をしっかり血肉化していると感じた。原作と演出と役者とが、時代や世代を超えて、ちゃんとうまく繋がっていて、演劇として十分に成立していて、なかなかの迫真の人間ドラマとなっていた。とくに、今風の人物ではない、真面目でヒステリックな綾子は共感しにくかったかもしれないが、熱演であったと思う。白沢夫人の惚けぶりも怖いほどであった。若い役者さんも多かったが、偉そうな言い方で恐縮だが、いい経験を積んでいるのではないかと思った。宗吉は、原作ではちょっと滑り気味の道化役であったので、演じるのはなかなか大変であったかもしれない。

 作品世界と作者の実生活とを重ねるのは邪道とする研究者もいるが、私は一般論として必ずしもそう思わないし、親族にしかわからない部分もあるかもしれないので、ちょっと書いておく。

 前にもこのブログで書いたが、伯母の戯曲作品では、この「海辺の伝説」と同じように、夫を亡くした夫人とその子どもたちという構成の家族が繰り返し描かれている。

 これは伯母自身の若いころの時代の家族構成とよく似ていてる。「海辺の伝説」では、未亡人の子どもは長女・長男・次男の三人だが、現実には、伯母からみれば、母と姉二人、弟一人(私の父親である)の家族であった。長姉は伯母が十七才のときに亡くなっており、次姉は米国人と結婚して渡米している。劇中の次男勝彦は、本当のことを率直にいう説明役ともいうべき存在で、その意味で実在性に乏しいことも考えあわせると、劇中の家族構成と、ある時期の伯母の実際の家族の構成とはほぼ正確に重なる。つまり、母と娘と息子の三人である。

 だが、劇にはもう一人の隠れた重要人物がいて、それは未亡人の夫、綾子の父親である。この人がどんな人であったか、異人館を買って交通事故で急死したこと以外語られていないが、伯母の父親は建築技師で福岡の県庁に勤めていた。伯母はこの父の三女として福岡で生まれ、父親の転勤にともない三才で大阪に転居したが、その地で父親は病をえて、福岡の元の家に一家で帰り、その年のうちに亡くなっている。1933(昭和8)年、伯母がまだ5才であった時のことである(以上は森禮子『じゅすた遺文』所収の年譜による)。

 この一家が異人館のようなりっぱな洋館に住んでいたという話はきかないが、父親が亡くなり終戦を迎えたのちの生活がかなり苦しく、この時期に「家作」を次々に手放したという。この境遇は、劇中の白沢家の状況によく重なる。また、綾子が建築としての家に拘っていることは、伯母の父親が建築技師であったこととも相通じる。また、居候のおじも実際にいたらしい。満州で鉱山を掘り当てて成功したもののわけあって郷里に出戻っていたこのおじには放蕩の傾向があったともきくので、劇中の宗吉の様子とも多少重なる。

 このように見ていくと、この「海辺の伝説」は伯母が自分の家族をベースにして創作したものだ、といって間違いないだろう。

 そして、伯母自身がもっともよく投影されているのは、当然ながら綾子であろう。長姉が亡くなり、次姉が渡米し、弟が就職をして関東に転居するなかで、最後まで母親と暮らしていたのが、伯母である。私の知る中年以降の伯母は綾子のように一家を守るために懸命であったとか真面目な人という印象はないが、当時の彼女の置かれた状況を考えれば、そうなるのは仕方ないことであったろう。三人続けての女の子の三番目であった伯母と最初の男の子であったその弟との間が生易しものではなことは簡単に想像できるし知らないわけでもないが、綾子と信彦のあいだの不信と諍いも深刻なものとして表現されている。

 綾子は神様を信じており、伯母はクリスチャンであった。年譜をみると、19才のときに西南学院バプティスト教会で受洗している。母親が夫の死後に入信しているので、母親の影響であろう。それ以降伯母は終生クリスチャンだった。

 この劇のなかにははっとするセリフがあって、それは勝彦がお手伝いの喜与にむかって綾子への不満をいう文脈で言う「世の中にゃ神様を信じているつもりで、信じていると思っている自分を信じているやつが多いんだ」というところである。これは、信仰というあり方そのものへの批判だし、また「家」を信じている綾子への当てつけでもあって、この批判は劇中で反論されることはない。

 つまり、この劇は、一家の崩壊を描くとともに、綾子の信念が崩れ去っていくことを描いてもいる。もしも、伯母=綾子なのだとすれば、「海辺の伝説」はかなり深刻な自己批判・自己崩壊の劇なのだともいえる。劇が終わったとき、綾子にも白沢夫人にも、もう何の未来も希望も残されていないかのようである。

 現実の伯母は、しかし、28才のときに福岡を離れて上京している。遅い上京であるが、すでに地元の文芸誌に多くの作品を発表し福岡の局のラジオドラマの脚本なども書いていた彼女は、東京で文学者として本格的に身を立てる覚悟であったのだろう。したがって、伯母は、家を懸命に守ろうとした綾子でもあったのだが、結局は姉を捨てて旅立った、文学好きの宗吉でもあるわけだ。

 ちなみにいえば、白沢夫人のモデルにあたるのかもしれない伯母の母は、伯母が上京してから半世紀近く生きた。その大部分の年月を、結婚し子供を生み育てた同じ家で一人で暮らした。その間、惚けたりはしておらず、せっせと家事をし近隣の道の掃除までして、きちっと教会に通っていたようだ。白沢夫人のイメージとかなり異なるが、孫の私からみてあったかいやさしいおばあちゃん、といった感じはほとんどなくて、その点で子どもたちに興味がなさそうな夫人と似ているかもしれない。

 伯母は、実家から去ったがその母と同様に信仰は捨てなかった。だとすると、勝彦の信仰批判は、伯母自身のなかではどう受け止められたのか、私のような信仰のない人間にはよくわからない。ただ、私は、前にもブログで書いたが、父を欠いたまま家族が崩れていくことと神への信仰とは、伯母のなかではまっすぐに繋がっているのではないかと思う。そして、伯母には、自分のことも突き放してみるような、俯瞰的で冷徹なところがあるように感じられる。

 いずれにせよ、「海辺の伝説」は、ある時期の伯母の家族が終わっていった現実をドラマにしたものだと考えていいと思う。そして、どんな家族もいずれは終わっていくのであって、その意味で、今回拝見したゲキダン大河の「海辺の伝説」は、私にとっては親族のドラマなのであるが、同時に、家族の終末という重たい普遍的なテーマにも連なったものを表現していたといえるだろう。

 伯母はずっと独身で、半世紀にわたり東京で一人で暮らしていたが、最晩年には福岡に帰り、2014年の春に亡くなった。


by kohkawata | 2016-12-01 18:36 | 現代日本の文化 | Comments(0)