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不穏すぎる教典


 最近、とある大宗教の教典を初めて通読してみた。

 信者の方々にたいして失礼極まる言い方だが、これは全編、心を病んだ人の言葉だと感じた。ただ一人自分だけが真実を知っているという驕慢な自己意識や、正しい神を信じない異教徒たちにたいする怒りと断罪と恫喝は、あまりに一方的で徹底しており、私のような日本人が宗教家に漠然と期待するような、叡智や包容力といったものは少しも感じられない。この言葉を残した人は、おそらくは宗教学的には憑依とよばれる状態であったのだろうし、ある種の精神医学の分類であればパラノイアという診断がぴったりだと思った。

 むろん、彼だけではない。私の乏しい知識では、宗教の創始者の多くに憑依的なパラノイアが見られるのだろうと思われる。しかし、この大宗教の教典は、なかでもそうした種類の病んだ人の言葉をかなり生々しく記録しているように思われるのであって、それは無意味な妄想などではなく、深く病んでしまった人の、心の奥底からの叫びであるように感じた。そのまま引用するのは遠慮するが、「ずるい奴らめ、破滅してしまえ」といった感じの世界全体を呪詛するような荒々しい言葉さえ記されており、それは不幸のあまりに病んだ人であれば、いやそうでなくとも、誰でも一度ならず叫びたかった言葉ではないだろうか。そのような直裁な叫びに、ある種の生々しい文学を感じることもできる。

 私が不気味に思うのは、こうした病んだ魂の叫びに共感しそこに真実があるのだと信じる人たちが非常にたくさんいる、ということである。むろん、狂気そのものを生きることと狂気の言葉を信じることとは異なる。しかし、この本を聖なるものとして崇めている人々が今も昔もとてつもない人数で存在している、ということは紛れもない現実である。そういった人たちとどう関わっていいのか、私にはわからない。この宗教を信じる人たちの多い地域の知識人や欧米の知識人は長い間、この現実にどう理性的に対処したらよいのか、非常に苦慮してきたのではないか、そして彼らの思想の複眼性と現実性はそうしたところからも養われてきたのではないかと想像される。

 だが、狂信的な人々と理性的な人々が別個に存在するわけではなく、むしろ、この宗教が国境と時代を越えて広く信仰を集めている事実は、私たち人類の多くが - もしかしたら、大人たちのほとんど全員が - 、宗教家たちのこのような「狂気」を多かれ少なかれ何らかのかたちで共有している、という現実を暗示、いやほとんど証明しているように思われる。

 この年になるまで、そういうことが十分にはわかっていなかった。世界は思っていたよりも深い闇の中に沈んでいるらしい。
by kohkawata | 2012-06-12 11:17 | 欧米の文学 | Comments(5)

来ない返事

 そういえば、先週の火曜日5月22日前後、京都学園大学のメール・システムが不調であったようで、私からの、あるいは私へのメールがかなりの分量不達となったようです。

 返事が来るはずなのに来ないなあ、ということがあれば、もう一度送ってみてください。

 ついでと言ってはなんですが、言い訳を・・・・時々、知り合いの方から本や論文、あるいは研究会へのお誘いなどを頂くことがあります。いつも嬉しく受け取っていますし、楽しんだり、感心したりしながら、拝見しています。それでもたまに返事を書かないことがあります。他意はなくて、単に書こう書こうと思いながら、日が過ぎて、かえって今さらとなって書けなくなる、という感じです。申し訳ないです。私の心のなかにもあのダメ男の榮がのさばっていまして、時に主人顔をしておりまして・・・・

 この場を借りて、思い切って言いますと、この1年の間にいただいたすべての本・論文、全部読んでますし、ぜんぶとてもいいものばかりでした。お世辞ではなくて、もうそれぞれの領域の第一線のりっぱなものばかりだと思っています。案内をいただいている研究会もそれぞれにたいへん意義のあるものだと思っています。

 新しいものが書けたら、めげずにまた送ってください。今度はきっと、拙いものでしょうが、まとめて返事書きます。研究会も、平日は仕事で忙しく週末は私事で右往左往していることが多いですが、時間さえあえば、きっと参加します。
by kohkawata | 2012-06-03 14:40 | 雑談 | Comments(0)