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許鞍華の新作『桃姐』

 
 先日、上海に数日滞在する機会があって、許鞍華(アン・ホイ)の新作『桃姐』を新天地の映画館で観た。

 許鞍華という巨匠はこの十年以上一度も失敗することなく、ずっといい映画を撮り続けているし、この新作も香港電影金像奨に多数ノミネートされるなど評判がよかったので、大いに期待していたのだが、それはたしかに裏切られなかった。

 映画は、桃姐と呼ばれる女性の晩年を描いている。戦争孤児であった彼女は若い頃からずっと香港のある一家のお手伝いとして暮らして来たのだが、一家はアメリカに移住。彼女が可愛がって育ててきた、ロジャーという名前の男だけは香港に残ったので、桃姐は彼と同居してずっと世話をしてきた。だが、ある日彼女は脳卒中のために倒れてしまう。体が不自由になってもうロジャーの役に立てないと悟った彼女は自ら老人ホームに入居することにする・・・

 この映画にはこれ以上劇的な展開があるわけではなく、老人ホームでの桃姐の生活を淡々と映し出すばかりである。こういうと希望のない暗い映画のようだが、そうはなっていないのがこの映画の一番いい所だろう。世間的には不幸せにみえる境遇であり、老人ホームの様子が生々しく映し出されたりするのだが、にもかかわらず映画は何とも不思議な幸福感に満たされている。

 ロジャーは、映画のプロデューサーとして多忙な生活であるにも関わらず、時間を見つけては老人ホームを訪れ、桃姐との時間を大切にしようとしている。この母息子のような、それでいて少し遠慮がちな二人が一緒にいるシーンが繰り返されるのだが、そのシーンがどれも何とも美しくてかわいらしい。写真は、上海の地下鉄の構内に貼ってあったポスターを映したものだが、その様子が伝わって来るだろうか。
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 元々許鞍華という映画作家は、自らの物語世界の表現に没頭していて、役者の個性を生かすことに長けた人ではなかったと思うが、『男人四十』(2002年)辺りから役者を活かす余裕のある撮りぶりになってきて、前作『得閒炒飯』(2010年)ではもう李安や王家衛さえもしのぎかねないような手練を見せていた。そして今回の『桃姐』は、主演の葉德嫻をはじめ出てくる役者たちがみなとてもいい味をだしていて、若くない役者ばかりなのに、そろってみな不思議なほどかわいらしいくみえる。ロジャー演じる劉徳華(アンディー・ラウ)は、表情に乏しい人で私はあまり好きではなかったのだが、この映画ではその表情の乏しさが、ロジャーという人の優しい人柄をよく表していて、とてもよかった。むろん許鞍華の映画は一筋縄ではいかず、ロジャーは優しいだけの人ではなく、かなり汚い仕事をしていることが示されたりするのだが。『ドリアン・ドリアン』(陳果、2000年)の主演で映画デビューした、ちょっと虚無的な目をしている秦海璐もうまく活かされていたように思う。

 このよく撮れた映画のテーマは何だろうかと考えると、幸せとは、とりわけ女性の幸せとはどのようなものなのか、といったベタなものだといえるだろうし、それを淡々とわかりやく描いていると思う。桃姐が幸せでありうるのは、抽象的に言うならば、彼女が恵まれなくても辛くても、それでも他者への愛情という自分の感情を裏切らずに生き続けてきたからだ、とされているように思われる。 彼女が老人ホームに決然と入居するのは、ロジャーへの、静かだが惜しみのない豊かなこの愛情ゆえなのだ。許鞍華という映画監督は難解とか芸術的と思われることもあったのかもしれないが、この映画はそんな幸せのテーマを誰にも分かりやすく描いている、しみじみと「いい映画」だと思う。だから、香港映画をあまり公開しなくなった日本でも劇場で公開されるといいなあと希望する。英語タイトルは、a simple life で、「桃姐」が与える日本語の語感より内容にふさわしいだろう。

 a0152719_1637183.jpg私は、許鞍華については、東アジアで最も創造的で生産的な映画作家の一人だと思って、彼女の映画について研究してきたのだが、研究対象の作家が現役で、なお素晴らしい新作を観ることができるというのは、書いたものがその度に古びて行くということでもあるが、それでもファンとしても研究者としてもたいへん幸せなことだと改めて感じた。こうした幸運をあと何回経験することができるだろうか。

 ちなみに右の写真には、その許鞍華についての文章を収めた拙著『愛の映画』を撮ったもの。近所のジュンク堂に入荷していたのをたまたま見つけたのだが、美女たちに囲まれて、しかもブルース・リーやジャッキー・チェンに見守られて、何だか幸せそうな本だ。あんなに辛くて苦しそうだった許鞍華も、長い時を経て、こんなにも幸福感に満ちた映画を撮れるようになったし、香港映画を研究してきて何だかよかったなあとお目出度い気持ちを抱いたのだった。


追記:この『桃姐』はその後、香港電影金像奨において最優秀作品賞、主演女優賞、主演男優賞など多くの賞を受賞した。香港電影金像奨の選定はわりと納得することが多いが、今回は格別そう感じた。そして期待通り、日本でも、『桃さんのしあわせ』というタイトルで、2012年10月以降、全国で順次劇場公開されるそうだ。許鞍華の映画が日本の劇場で一般公開されるのは、本当に久々。多くの人に観てほしいし、観て許鞍華に興味をもったら、拙著も読んでほしい・・・・2012年10月17日記
by kohkawata | 2012-03-29 16:48 | 香港の映画 | Comments(0)

初春の台湾、深夜の書店

 
 先週、入試の説明会なる仕事で台湾に行ってきた。

 台湾に行く度に必ず立ち寄るのが誠品書店。十年ほど前に、この書店の敦南店をはじめて訪れて以来、すっかりこの書店のファンなのだが、今回もつくづくいい本屋だと感心し楽しんだ。

 台北にある信義旗艦店というのが今は一番大きいようだ。本の量からいえば、例えばジュンク堂の梅田店をいくらか下回る程度だろうか。しかし、本の見せ方や照明の工夫も含めて空間全体の使い方がとても上手で、購入前の本をゆっくり読めるスペースも設けられていて、長い時間いても苦にならない。しかも、売っているのは本だけではなく、例えば演劇のコーナーには、演劇関係のDVDもあるし、違う階にいけば、文具や飲食店や少しスノッブな服飾関係の店もいろいろと揃っていて、本を選んで買うのが好きな人のニーズをよくわかってるなあと思う。実際、深夜に至るまで(この日は12時閉店だった)この店は多くの老若男女で賑わっていた。

 とりわけ私に嬉しいのは、セレクションの趣味がいいなあと感じられるところだ。例えば、映画のDVDのコーナーに正面を見せる形で並んでいるのが、李安の「お父さん」三部作だったり、許鞍華の『天水圍的日與夜』、あるいは羅啓鋭『歳月神偷』や婁燁『春風沈酔的夜晩』だったりする。いずれも私がずばらしいと思う映画であり、そういうふうに現代的な作品をきちんと古典として扱っているのであろうことに、この書店の確かな見識を感じる。 あるいは、劉若英や李康生の若いころの主演の旧作があったりして、マイナーな作品だが台湾映画が好きならなるほど見てみたくなる映画で、かゆい所に手が届いているという感じ。

 趣味がいい、というよりは、単に私のようなタイプの人間を的確にマーケティングしているだけかもしれないけれども、許鞍華の、またしても傑作とも伝え聞く新作『桃姐』の劇場公開の宣伝ポスターを書店の最も目立つ所に飾っているのを発見したりすると、ついつい嬉しくなってしまう。量だけではなく学ぶべき見識を兼ね備えた本屋なのだと思わされる。元々台湾の本は上品で美しいつくりのものが多いのだから、この書店のよさは日本人の目にはなおさら際立って見える。

 この質の高い書店が台湾全土に展開していることからは、台湾に高いレベルの知的公衆がいること、さらにこの書店に英語の学術書や日本語の本も多いことも考え合わせれば、彼らが外に開かれた風通しのいい知性をもっているであろうことが伺われる。開かれているとは閉じることができないということであり、そこには小国ゆえの悲哀もあるのかもしれないが。

 一通り楽しんで、地階の軽食のフロアで魯肉飯をおいしくいただいていたら、つくづくと楽しい気分になって、もし私にもっと中国語の能力があって台湾に住んでいたら、ボルヘスの図書館のように、このビルのなかだけで望んで生涯を終わることができるかもしれない、と馬鹿げた夢想に捕われた。D.W.ウィニコットがどこかで言っているように、本や映画といった文化的な幻想を誰かと共有できる、というのは人生における大きな幸せの一つであろう。昔はそれを大学の書庫や三月書房やボーダーズなどに感じることもあったが、どれもいつの間にか卒業してしまい、今ではそれを異国の誠品書店に感じる。もちろん、異国でしか感じられないのはちょっとさびいしいことだし、ネット世界が拡大するなか、このユートピアめいた書店もいずれは人影が疎らになる日もあるかもしれない。音楽CDのコーナーは、前回訪れた3年前と比べてだいぶ閑散としていた。
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 写真はこの書店の台中中友店。この書店の、書籍を収蔵する空間構成にたいする意気込みが伝わってくる。アマゾンではどうして感じられないものだ。

 ところで、台湾では本屋に入り浸ってばかりいたわけではなくて、入試の説明で提携校である二つの高校も訪問した。というよりそちらが本務であった。台湾の高校は映画では何度も見て来たが、実際に台湾の高校を訪れたのは今回が初めてで、少々感慨があった。

 台湾の映画はどうしたわけか高校生を主役とするものに傑作が多く、とりわけ私が好きなのは、『藍色大門』という映画(易智言監督、2002年、邦題『藍色夏恋』)で、必ずしも高く評価されていないようだが、たいへん完成度の高い繊細な青春映画だと思う。この映画がどのような心理劇になっているのか機会があれば論じてみたいと思うが、ここでは、このタイトルが、大人になるという大きな門の前で戸惑う高校生の姿をたった四文字で見事に表現している、ということを指摘しておきたい。

 3月1日に私が訪問した彰化という街にある高校には、『藍色大門』の高校と同じように広いグランドと天井の高い大振りな校舎があり、見たことのない小鳥のさえずるガジュマルの大木が生徒たちを見守るかのようにいくつも生えていた。この学校の生徒たちは、その前に訪れた揚梅という町の高校の生徒たちと同様に、お互いに仲良く朗らかで気さくな様子であるように感じられたが、それもまた台湾の青春映画から受ける印象と矛盾しなかった。校庭の近くには、低木に赤い花がちょうど見頃のように咲いていたが、後で調べたら、山桜花という南方系の桜であったようだ。かつて日本人の手によってよく植えられたらしい(黄霊芝『台湾俳句歳時記』言叢社、2003年、による。ちなみにこれは、台湾で生まれ育った著者が日本語で書いた、台湾の季節感が溢れる貴重なすばらしい本)

 まぶしく美しい南国の風景を見ながら、台湾の映画人たちが高校時代に思いが深い理由もわかったような気がした。彼らにとって高校時代とは、未知の世界へと開かれていながらまだどこか守られた、もう子どもでもなくまだ大人でもない、格別に映画的な時空なのかもしれない。

 未来はそんな所から巣立って行く若い人たちのためにあるのであって、書店やら本やらの趣味のよさに関心してばかりいてはいけないな、ともこの文章を書いていて反省してきた。
by kohkawata | 2012-03-10 01:10 | 現代中国の映画 | Comments(3)