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石田梅岩、再び

 
 先月、私の論文が入っている、片岡龍・金泰昌編『公共する人間 第2巻 石田梅岩:公共商道の志を実践した町人教育者』が出版された。

 私の論文「石田梅岩の普遍主義 ー 閉ざされた国家的秩序の中から」は、私にとっては4本目となる石田梅岩についての論文である。香港映画についての本を出した人間が近世日本の儒者を扱うとはどういうことか、と怪訝に思われるかもしれない。その辺のことは、例えば、最近掲載された、「研究室の窓」という私の研究についての文章を読めば、多少はわかってもらえるかもしれない。これは高校生に読んでもらうために企画された、勤め先の大学のweb上の文章。

 私はいつも、『愛の映画』で論じた5人の映画作家をはじめ、論じるに値すると自分自身が判断して勝手に研究している。しかし、梅岩に関しては例外で、ずっと人から依頼されて書いたりしゃべったり、ということが続いてきた。最初は、私が1997年に京都学園大学の講師となった直後で、当時学長であった傳田功先生から、梅岩について書いてくれと依頼されたのだった。傳田先生は、農業経済学者で、とくに明治期日本の農業経済史を専門とされていた。この時期の農業を理解するうえで欠かせない老農たちの活動の起源の一つには心学があり、それもあって梅岩を重要な人物であると考えておられたのだだろう。その後も、二年に一度くらいのわりあいで、学内外の人なり機関から梅岩について書いてくれとかしゃべってくれと依頼されてきた。これもご縁と思ってだいたい引き受けて来たが、こういった具合に何度も頼まれるのは、勤め先の大学が梅岩の生まれた亀岡にあるためであり、またおそらく、梅岩については多くの人が関心をもちながらも専門的に研究している現役の研究者が存在しないといっていい、という事情もあるのだろう。

 今回は、「公共哲学京都フォーラム」という研究団体と東北大学の日本思想史家の片岡龍先生からの依頼で、論考を準備し、シンポジウムに参加して議論する、ということになった。このシンポジウムは去年の夏に開催されたのだが、そのときの記録が今回の本の元になっている。

 この「公共哲学京都フォーラム」には、梅岩を取り上げた回の前後数回に参加させてもらったのだが、驚きの連続であった。まず、活動の形式がハードであった。様々なテーマで年に5、6回開催されているようだが、その1回が3泊3日の日程で、毎日9時から5時、6時まで討議するのである。さらに、参加者が、韓国出身の哲学者金泰昌(キム・テチャン)先生をはじめ、国内外の錚々たるメンバーが揃っていて、まるで「賢人会議」であるかのようであった(といってもよく存じ上げない方もいたが、肩書きが、東京大学名誉教授とか、りっぱな人が不思議なほど多かった)。当然、石田梅岩を捉える関心や学問的なスタイルも、これまでになく、かなり多様でアカデミックなものとなった。

 そんなこともあって、このフォーラムで発表するのには多少プレッシャーもあったけれども、おかげで改めて梅岩についてこれまで以上にしっかりと調べ考え直すことができた。その内容については、私の論文を読んでほしいが、一言でいえば、梅岩という学問的にもステレオタイプ化されてしまっている「偉人」を、特定の歴史的・社会的状況のなかに生きる、一人の人間としてよりリアルに、また多角的に捉えることができたように思えた、ということになるだろう。私が依頼に応じて散発的に行ってきた梅岩研究の決算報告書的なものにもなっていると思う。

 今後、梅岩に関わる研究はどんな方向に発展していくだろうか。石田梅岩その人については、この本でだいたい重要な論点は出そろったように思われる(もちろん、後世畏るべし、まったく新しい視点で梅岩を読み直す、ということが行われるかもしれないけれども)。これらの論点を発展させていくのも一つの道筋かもしれないが(例えば、梅岩の言語のより詳細な思想史的解析の仕事はまだ残っているだろう)、それ以上に成果が期待できるのは、梅岩以降の石門心学の発展と衰退の歴史であろう。これについてはもちろん、石川謙による、おそらくは誰にも超えられなような大きな仕事があるのだが、もうずいぶん昔の研究である。この間、国家や思想史についての一般的・学問的な理解はそれなりに深まり、心学周辺の諸研究も諸々の蓄積があるだろう。それゆえ、若くて勤勉で優秀な研究者がこのテーマに取り組み直せば、かなりいい研究ができるかもしれない。私はこのテーマについては、修士課程の学生のころ部分的に取り組んで、1994年の修士論文と単発の論文「道徳と主体」にまとめたが、もちろん若書きだし、それ以降手をほとんどつけておらず、残念ながら今後もトライする時間はないだろう。どなたか挑戦してみてはどうでしょうか。

 なおこの本には、フォーラムのなかで口頭で行われた討議の様子も収録されており、私の発言も載ってしまっているのだが、そのしゃべりぶりを読み直すと、奇妙にぶっきらぼうだったり冗長だったりして、ちょっとがっかりした。私は、こういうたくさんの人が集まっている場でしゃべるときに、いろいろなことにつまらない配慮をしてしまう弱さがあるようだ。本来は、錚々たるメンバーであっても、肩書きや年齢と関係なく対等に遠慮なく議論するべきだし、黙してかまわないことは黙してさっさと前に進まなければならないと思う。いい年をしてまだまだ修行が足りないのであった。
by kohkawata | 2011-11-28 00:19 | 近世日本の文化 | Comments(0)