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岸西の『月満軒尼詩』

a0152719_2231672.jpg 香港の映画監督、岸西(Ivy Ho)の新作『月満軒尼詩』(Crossing Hennessy、2010年)をDVDで見た。

「パラサイト・シングル」の中年男性が、息子に早く結婚してほしいと願う母親のみつくろってきた、知人の姪にあたる若い女性を紹介されて、気乗りがしないままつきあいだすが、その女性はワケありで・・・といった話。

楽しげなDVDのケースの様子からしても、この二人のコメディー的なラブ・ストーリーなのかと思って気安く見始めた。しかし、たしかにある種のラブ・ストーリーではあるものの、コメディーではほとんどなく、張學友演じる阿来という名前の男と湯唯演じる愛蓮という名前の女が、特別惹かれあうわけでもさして反発しあうわけでもなく、ときどき喫茶店で話をする程度で、劇的な展開はまったくなく、不思議なほど盛り上がらない地味な映画であった。

 地味なのは、主演の張學友に若々しさがないためでもあるだろう。張學友はとてもいい役者だと思うけど、いろいろ経験してきてとうに自立した大人の男といった感じで、甘えたパラサイト・シングルにどうしてもみえない。金城武ならはまり役であったのではないかと思いつく。

 けれども、この映画にはいいなと思わされたところがたくさんあった。何よりも、一人ひとりの人間の描写がいい。登場人物たちの全員がどこにでもいそうな凡人なのだが、その凡人の平凡な日常の一コマ一コマを素直に淡々と描いている。

 例えばこんなシーン。本土出身の愛蓮はおじ・おばにあたる夫婦を頼って香港にやってきたのだが、ヤクザな彼氏とまだつきあっていることをおじに遠慮がちながら咎められ、阿来を紹介したときの飲茶の代金のことまでもちだされる。侮辱されたと感じて怒った彼女は店を飛び出して、大股で通り(タイトルの所以になっている軒尼詩街か)を横切っていく。しばらくすると、歩道橋の上で、思いつめた顔をした彼女は一人で静かに悔し泣きをする。次のカットでは、ぼんやり脱力して街頭のベンチに腰掛けている。

 この映画はこうした感情のちょっとした起伏を、香港の繁華な街の様子を背景にして、丁寧に積み重ねている。

 また脇筋としてでてくる、阿来と昔の恋人との復縁譚もなかなかいい。彼女はカメラマンとして活躍する有能で魅力的な女性で、阿来を捨てて他の男と結婚したのだが、夫の浮気ゆえに離婚し、再び阿来に近づいてくる。阿来は、そんななりゆきに戸惑いつつも、またつきあいだす。だが、あいかわらず彼女は多忙で、しかもときどきみせるよそよそしい態度に阿来は悲しみを感じる。対照的に愛蓮は、やくざな男に振り回されて傷ついているだけでとくに魅力的でもないのだが、こんな地味な娘の方が自分のような小さな男にはふさわしいのかもしれない、と阿来は感じる。

 他にも、阿来の母親(『天水圍的日與夜』の鮑起静が演じていて、とても上手)の再婚話などが織り込まれており、こちらもおもしろい。

 とはいえ、全体としてはやはり、いまどきありえないほど地味な映画。よくこんな映画に出資するスポンサーがあったと関心させられる。主演の湯唯に新しい女神として期待したということだろうか。たしかに、『ラスト、コーション』(李安監督、2007年)でデビューしながら本土では干されて香港の居住権をえたらしい湯唯はこの映画ではなかなか魅力的である。ひどい厚化粧にされたりして監督に遊ばれているのも楽しい。それでも彼女はどちらかといえば地味な女優で、いずれにせよ、日本やアメリカでは到底通らない企画であろう。しかもこの監督には、監督としてのデビュー作であった前作『親密』(2008年)という、やはりごく地味な映画 ― 妻子ある男への愛着に苦しむ女の話 ― を撮ったという「実績」すらある。にもかかわらずこの映画が撮られたということに香港映画界の底力を感じる。

 岸西は、『ラブソング』(原題『甜蜜蜜』、監督:陳可辛、1996年)や『男人四十』(監督:許鞍華、2001年)の脚本家として知られている人だが、前作の監督作品『親密』とあわせて考えてみれば、様々な感情の動きのなかでも、親密なはずの二人が別れていく気持ちを中心的なテーマにしている映画作家であるようだ。『ラブソング』も主筋はたしかにわりとハッピーなラブ・ストーリーのようにみえるが、印象的なのはむしろ、主人公小軍が故郷で待っている婚約者を捨てるエピソードであったり、もう一人の主人公李翘が小軍と別れて別の男とともに香港を離れていくシーンなどであろう。

 『月満軒尼詩』 ― それにしても楽しいタイトル ― は、今回の香港金像奨に多数の部門でノミネートされているらしいし、岸西は、いかに地味とはいえ、まだ映画を撮る機会があたえられるだろう。だが、今回の作品も前作『親密』も、役者たちは物語の繊細さにあわせることができていないようにみえた。次回は、彼女の映画にふさわしい役者を得て撮ってほしいものだ。
by kohkawata | 2011-02-21 22:55 | 香港の映画 | Comments(0)