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正しかった予言


 未来を、もしまぐれ当たりではなく、ある程度正しく予言できるとしたら、それはなんと偉大な知的能力であろうか。

 すでに終わって不確定要素のない過去の事でさえ、十分に理解することは難しい。現在生起しつつある事は、そこに感情の負荷がかかりやすいこともあって、いっそう理解しがたい。さらに未来ということになれば、過去と現在の、膨大な事象・情報をかき集め咀嚼しつつ、そのなかに一見したところささやかであっても、本質的な、あるいは重大な兆候を数多く見いだして、さらにそこから演繹・推論し、未来を短期的・中期的・長期的に、しかも統合的に予想する、ということをしなければならない。そんなことはとうてい無理なので、誰でも未来について希望なり不安なりを抱きながらも、未来を予想してそれを文章にして公表しようなどとは、山師以外には、しないはずだ。

 だが、権威ある学者が、大胆にも日本社会の未来を予言し、しかも結果として大筋のところ正しかった、という文章に、最近二つ遭遇した。

 一つは、アメリカの社会学者で日本研究者でもあるR.N.ベラーの文章である。彼の『徳川時代の宗教』(岩波文庫、1996年)のなかの、1985年の日付の入った「ペーパーバック版まえがき」を必要があってぺらぺらと読み直していたら、こんな文章があった。

 「しかし、急速な近代化に不可避的に伴うと思われる損耗 ― 成功のための諸条件をいずれ否定することになる損耗 ― は、日本にありありとみられ、そのために、将来数十年間、日本が優越さを持続すると予想することは、ほとんどむずかしいと思われる。」(25頁)

 1985年といえば、国際的な経済的比較のなかでいえば、日本の絶頂期と言ってよい。その段階でベラーは日本の衰退をほぼ正確に予見していたということなる。

 そもそも1957年に出版された『徳川時代の宗教』自体が、正確な予言の書であった。この時日本はようやく戦中・戦後の荒廃から立ち直ってきたばかりであり、その段階でベラーは、日本社会には徳川期以来の、家族や地域集団のなかで育まれてきた、集団への忠誠と勤労道徳があって、それが日本の近代化を支えてきたことを力強く主張するとともに、そうした伝統が今後の日本社会の発展をも導くであろうことを暗示している。

 そのような伝統はたしかに戦後も日本の経済成長を促した(それは最も典型的には通産省の官僚たちの優秀な仕事ぶりに表れているとベラーはいう)。しかし、家の構造を含めた家族の変容と地域社会の衰退と都市化のなかで、80年代までにはその伝統は大幅に失われてきているので、日本社会全体が衰退していくだろう、と保守的な社会学者であるベラーは再び予言したのである。ベラーという人はずっと、日本社会の行く末をかなり正確に見通していたことになる。

 しかし、ベラー以上に、正確で詳細な予言になっている文章として、中井久夫氏のものをみつけた。それは「引き返せない道」というタイトルで1988年に書かれた文章で、後に『精神科医がものを書くとき』[Ⅰ](広英社、1996年)に、さらに最近の『隣の病い』(ちくま学芸文庫、2010年)に収められている。彼はそこで、簡潔な文章で、次のようなことが日本において起こるであろうと予想している。

 勤勉・集団との一体化・責任感過剰・謙譲などの徳目は第一線に退き、かわって、「変身」「自己主張」「多能」の性格が前面にでてくる。平凡な人がなる「サラリーマン」が消滅していき、労働組合の存立基盤が危機に陥る。階級格差が広がり、国民総中流の神話は消滅する。労働者内部の格差も拡大する。ナショナリズムはほどほどにとどまる。日本以外に目をむけると、平和が続けば、台湾・韓国・シンガポールのほかにタイ・インドネシアが発展し、社会主義のある面を変革できれば、ベトナム・中国・北朝鮮がそれに続く。だが、中国は地域差が拡大するであろう。アメリカの没落を予言するのは間違いであり、アメリカはとりわけ緊急対応力の最大の国家であり続けるだろう。

 この予言を私は1996年の段階で読んだけれども、漠然と「そうかなあ」と思ったことを覚えている。しかし、文庫版になった最近改めて読み返してみて、細部はともかくとして、大筋のところこの予言が正しいことに、しかも後に中心的な問題とみなされる現象が列挙されていることに非常に驚いた。日本の社会学者や経済学者が格差拡大の問題に本格的に取り組みだすのはゼロ年代の初め頃で(そして格差が本格化したのは90年代末ごろと事後的に確認された)、世間が格差社会に騒ぎ出すのはゼロ年代の半ばくらいではなかっただろうか。また、同時多発テロ以降のアメリカのふるまいを正確に予見したかのような部分にも恐れ入る。

 かく正確に未来を予見できた人が、現段階において日本の未来をどうみているのか、大いに気になるところである。

 1997年の「昭和七二年の歳末に思う」(初出神戸新聞、『清陰星雨』みすず書房、2002年)では、この段階としてはおそらく異例なほど悲観的な予兆を感じていたことを示している。「今の雰囲気はいかにも昭和十九年に似ている。もはや勝利がありえないと感じながら、敗けるとはどういうことかが想像できないままに日々をやり過ごしていた時期である」(184頁)。さらに、「まっすぐに魚雷が迫ってきて、もはや回避できないとわかって乗船者の私が手すりを握りしめて、衝撃を待つ、重苦しいというも愚かな気持ち」(187-8頁)であったとも言う。

 最近の著書『日時計の影』(みすず書房、2008年)にある「先が見えない中を生きる」というエセー(初出2008年6月)では、より悲観的で、もう少し具体的である。およそこんなことを言っている。

 国内的には二大政党制が生まれそうであるが、本当に機能するのかどうか、大いに怪しい。近年、医療・年金・格差が問題化されたが、どう解決するのかまったく見えてこない。官はダメで民ならよいとは言えないであろう。世界的にも人材難である。そもそも、世界の人口は異常発生といってよいほど増えすぎており(二万年前に現れた現人類の総死者数よりも今生きている人間の方が多い)、温暖化も、資源や食糧が枯渇するのも、当然である、云々。そして、中井久夫は次のように結論的に言っている。世界を長いスパンでみれば結局は「すべてがリセットされるかもしれない。もっとも、思いがけない転回もありうる。われわれは先がみえないからこそ生きてゆけるのだと言ってよいかもしれない。」(217頁)

 二十年前の予言よりも、ずっと悲観的で、破滅的とさえいえるトーンになっている。彼は、亡国ということを軽々に言うべきではない、ともどこかで言っているので、これでもある程度遠慮した表現であるのかもしれない。

 むろん、破滅の予言は、一般的にいって幸いにも、外れることが多い。そのような予言は予言する人の個人的な精神状態の投影だ、ということもよくあるだろう。背後には、世界や社会の破滅よりも、個々人の破滅の方がはるかに容易である、といった事情もあるだろう。だが、中井久夫氏の悲観的な予言にたいして、反論の材料をみつけることが、私にはほとんどできない。たしかに思いがけぬよいことが起こるかもしれない。けれども、人体であれ社会であれ回復とは、中井久夫がその統合失調症の回復論で言うように、単発的・散発的な要因で起こるのではなく、全体的な好条件・好環境のなかで徐々になされていくものではないだろうか。
by kohkawata | 2010-05-20 15:37 | 現代日本の文化 | Comments(8)

渡辺保『江戸演劇史』


 今年の4月もひどく忙しく、このブログの更新もできなかった。新入生たちを迎え入れ、新しい授業をはじめ、新しい会議にもでなければならない。桜が咲いて散っていくのがいっそう怱忙と感じられて、ただでさえ移ろいやすいこの季節を年の変わり目とする日本の慣習に八つ当たり的に恨めしい思いを抱いてしまう。

 それでもこの4月は例年以上にたくさんの人たちと出会うことができたことは振り返ってみればよいことであった。個人的に知りあった人のことをブログで書くのはやめておこうと思うが、とくに外国から来た人たちといろいろとしゃべれたことは楽しい経験であった。

 忙しい合間に読んだ本で印象に残ったのは渡辺保『江戸演劇史』(上・下巻、講談社、2009年)。言うまでもなく、博識にして鋭敏な、歌舞伎研究の第一人者であり、この人の本はどれもおもしろいが、この新作はもう名人芸の域だと思う。

 今回の本は歌舞伎だけではなく江戸時代の演劇全般を扱っているのだが、その語り口自体がひどく演劇的で、正確な表現・分析とはいえないのではないかと思うところも多々があるが、しかし演劇が好きな人が読めば、たまらなくおもしろいと思うだろう。

 例えば、近松の『曽根崎心中』にふれた章で、渡辺は、そのもととなった実際に起こった心中事件のあらましを紹介してこう書いている。


  元禄十六年(一七〇三)四月七日、曾根崎の森で、男女二人の死体が発見された。心中である。
  男は、大坂で一番といわれた醤油屋平野屋忠右衛門の手代徳兵衛。二十五歳。手代といっても忠右衛門の兄の息子だから血縁の甥になる。
  女は曾根崎新地天満屋抱えお初。二十一歳。評判の売れっ妓である。
  二人の心中の原因は、男の転勤と女の身請け話のためであった。
 平野屋は江戸へも販路を拡張していた。江戸支店。ところがその江戸支店で事件がおこった。責任者が百八十五両という大金をもって逃亡した。忠右衛門はやはり血縁の者を江戸の責任者にしたいと思った。 当然である。それには十二人の手代のうち徳兵衛を養子の娘と結婚させて江戸へ行かせたい。転勤と縁談が一度にふりかかった。
 大坂での徳兵衛の担当は十二人の手代のうちで曾根崎新地一帯であった。
 天満屋のお初は一ト目で徳兵衛の地味で、さり気ないが隙の身ごしらえ、態度に惚れて、徳兵衛と恋仲になった。ついぞ客にいったことがない「将来をたのみます」つまり女房になりたいといった。それが徳兵衛を動かして深い馴染みになった。
  そこへふって湧いたように九州豊後国の客がお初を身請けして、今日明日にも本国へ下りたい。むろん天満屋は大喜びである。
  江戸と豊後。
  もう二人は一生逢えないかも知れない。そこで二人は心中した。(上巻、188-9頁)


  近松の『曾根崎心中』にはない、徳兵衛の転勤話を少し詳しく織り込みながら、二人が心中に至る様子を簡潔に、しかし劇的に書いている。「将来をたのみます」と本当に言ったのか、典拠は何だ、文章の主述が整っていないではないか・・・などといった疑問はでてくるものの、それでもそうか、徳様ではなくお初が口説いたのか、江戸と豊後だったのか、などと思わされ、読み物としてたいへんおもしろい。

  全編この調子で、あまりに長い間演劇の世界にどっぷり浸かってきたので、この巨匠はもうすべてが演劇的になっているのだと推察される。演劇を演劇的に語る通史 ― 日本の演劇研究には類例のない本だ。
by kohkawata | 2010-05-01 15:10 | 近世日本の文化 | Comments(0)