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ソウルの印象

 先週、ソウルを数日間訪れる機会があった。以下、旅行者のうわっつらの感想なのでご容赦を。

 第一印象は日本とよく似ているなということだった。仁川国際空港から鉄道でソウルに入ったのだが、とくに、地下鉄の車内で見かけた、会社帰りらしい背広姿のおじさんたちは見た目が日本人に酷似していていた。ゆるやかな坂の路地などからなるコンパクトな中心街の明洞(ミョンドン)は、若い人たちと観光客で夜遅くまで賑わっていたが、昔修学旅行で行った夜の新京極のようでもあり(今はどんなか知らない)、さほど異国にいるという印象がなく、ごく馴染みやすかった。ソウルにはかつては喫茶店はあまりなかったときくが、今では街のいたるところにカフェがあって、スタバの模倣みたいな感じのとこが多かったけれど、広々とした穏やかな感じのカフェが多く、やはり馴染みやすく居心地がよかった。

 しかし、時間を経るごとに違いもみえてきた。大雑把にいえば、「社会化」されているなあ、と感じられた。

 社会化とは、社会が広く共有する行動の様式や認識・価値のありようを、個々人が内面化・身体化していくことをいうのであり、どんな社会のどんな人も多かれ少なかれ社会化されているのだが、ソウルの人たちはその度合いが日本などよりも強く単一的だ、という印象をもったのである。

 具体的にいえば、服装や髪型に無造作な人が少なくて、心配りが行き届いている人が多かったが、その様子は保守的でおとなしい感じがした。髪を染めている人の割合は日本より各段に低く、若い人はみなお坊ちゃん、お嬢さん風の見た目であった。地下鉄の車内では勉強している学生をよくみかけ、なんだか安心させられた。どの世代の人も背筋がよく伸びていて、猫背の人をあまりみかけなかった。食堂のおばさんのなかには、世話焼きの「オモニ」を少し無理して演じている、という印象の人もいた。

 また、私のような初対面の人間にたいする対応が、概して、礼儀正しく穏やかであった。街路上に設置された地図を見ていると、二十代くらいの若い男性が、Can I help you? と声をかけてきて、行くべき道筋を英語で的確に説明してくれて、礼を言うと笑顔で応えて、さっと去っていった。こうした、さりげないけど礼儀正しい親切を見知らぬ人にするということは、日本の男性にはあまり見られないことであり、日本の中年女性たちが「韓流」をうっとりと褒めそやす理由の一端もわかった気がした。

 上下関係を重視すること、受験競争が厳しいこと、あるいは民族感情の強さや恨(ハン)の文化、世論が沸騰しやすいこと、あるいは韓流スターたちのどこか人工的な立ち居振る舞い、といった私が断片的に知っている韓国社会についての知識や印象(ごくあやふやなものです)も、考えてみればこうした社会化の強さと関係がありそうである。この社会は、今の日本を含めた他の東アジアの諸地域よりも、日常的な緊張感が強く、ちょっと息苦しい社会なのだといえるのかもしれない。

 もう一つ感じたのは、この社会化の強さということと関係しているのかもしれないが、国家的な力のプレゼンスが高いなあ、ということであった。

 第一に、国境が近い。わざわざソウルに行かなくてもわかることだけど、この首都からみると北朝鮮との国境(正確にいえば軍事境界線)は本当に近くて、街の中央を流れる漢江を下っていくと、その河口はもう国境地帯となる。50キロ程度だろうか。ソウルを京都に置きかえると、距離的には、淀川を下った大阪辺りがすでに北朝鮮だということになる。

 第二に、ソウルにおける米国ならびに軍隊の存在感は予想以上であった。李氏朝鮮時代の王宮跡から南に延びる世宗路が、ソウルの、ひいては韓国の象徴的な中心であるようで、世宗(という朝鮮の国家的英雄)の大きな像がこの通りの中央分離帯に南面して鎮座しており、その前方には世宗を含めた朝鮮全体を断固として守るかのように、武装した李舜臣の立像がある。韓国政府の中央庁舎もこの世宗路にあるのだが、この庁舎の、世宗路と世宗像をはさんだ、ほぼ正面にアメリカ大使館があるのには意表をつかれた。場所も特権的だし、ビルの大きさもかなりのもので、韓国の中心にはアメリカがあります、といった印象をあたえる。そして、この通りをまっすぐ南へ車で十数分ほどいくと、そこには、街の中心部としてはありえないほど広大な米軍基地が広がっていた(移転が決まったそうだけれども)。街では米兵はみかけなかったが、韓国の軍人を時々見かけた。職業軍人ではなく徴兵された人なのだろう、みな若くて、軍人にしてはひょろっとしていて、痛々しい感じがした。

 これは本当にふと感じたというだけの話なのだけれども、このソウルの北方至近にある国境は遠からず動くのではないか、と感じた。東アジアのなかで存在することが最も不自然な国境であり、この国の責任者たちも一般の人たちもその日が来ることをごく現実的なこととして待っていて、それゆえの首都における軍事力の大きさであり、それを一因としての緊張感なのではないか、といったことを漠然と思った。

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 上の写真は檀香梅という花。私が滞在した3月下旬は関西と変わらない程度の気温だったけれど、花はほとんど咲いていなくて、梅さえもまだ少し蕾を開いた程度だった。昌慶宮という李氏朝鮮時代の宮殿の奧に広がる静かな公園に咲いていた、この壇香梅はめずらしくちょうど見頃だった。山の木々は落葉樹が多くてまだ緑が少なく下草もほとんどなかった。そのさびしい木々の間を忙しげに活動していたのは白黒の彩りが鮮やかな鵲(かささぎ)と思われる鳥で、ソウルでは何度もみかけた。しかし、他にはカラスも雀も見かけず、時々路上などで見かけた鳩はひどく痩せて小ぶりであった。ソウルの冬はよほど厳しいのだろう。
by kohkawata | 2010-04-01 11:05 | 韓国の文化 | Comments(0)