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広東語の学び方


 前回書いたように、広東語はマイナーな言語であり、それにふさわしく、広東語を学ぶための教材はどの言語圏においてもあまり充実していないようである。そのなかにあって、日本語による広東語教材はそれでもかなりそろっている方であろう。

 もちろん、外国語を学ぶためには現地で暮らすのがいちばんいい。よほど例外的な才能 ― 特別に記憶力がいい、勤勉である、音感が優れているなど ― があるのなら別だが(私はないけど)、現地に住むことが、外国語を自分のものにするための、ほとんど絶対的な必要条件であり、またかなりの程度十分条件ですらあるように思う。言語とは元来、「あいつの言うことをどうしても理解したい」「あいつにどうして伝えたいことがある」といった具体的で切実な状況のなかで持続的に使用することによって自分のものとなっていくものであり、それは具体的な人間関係のなかでしか生じ得ない状況である。だから、現地で暮らし現地の人と関わる必要がある。

 しかし、現地で暮らす機会が得られないことも多いし、ロンドンで神経症に陥った漱石を持ち出すまでもなく、それと自覚しなくても深く結びついている対人関係や文化全体から遠く離れて外国で暮らすことにはそれなりの危険もある。

 そこで、ここでは日本で広東語をどう学ぶかということを書こう。私も短期間しか広東語圏に滞在したことがなく、日本で広東語を学んできた。

 まず「普通話」(=中国語の共通語)を学ぶのが得策である。なぜなら、普通話の教材・学習環境は日本ではかなり充実してきており、国内での学習でもかなりのレベルにまで達することが可能だからだ(ちなみに私がはじめて中国語にふれた1990年ころは、普通話の学習環境は今日の広東語のそれに近く、辞書も使いにくかった)。普通話と広東語では発音はまるで違うが、その他の面はよく似ており、とくに書き言葉のレベルではさほど違いがないとさえいえる。普通話を身につけていれば、あとは広東語特有の言い回しや漢字を若干覚えるだけで、広東語を「読む」「書く」ことはかなり容易になる。先に普通話を学ばなければいけないとはずいぶん遠回りではあるが、日本人であえて広東語を学びたいという人はすでに普通話をある程度学んでいる人が多いだろう(なお、普通話を学ぶのであるなら、ネイティブに教えてもらうことはもちろん大切だが、おすすめの自習用教材として、人気のある相原茂氏の多数の教材のほかに、長谷川正時氏が流行の「シャドウイング」の方法を採用してつくった一連のものがある)。

 普通話を学んでいるにせよ学んでいないにせよ、広東語を学ぶうえで最初の、そして最大の難関は発音であり、とりわけ「声調」とよばれるものの習得である。声調とは、一音節内の音程の高低のことであり、広東語には、数え方によって違うのだが、6つないし9つの声調がある。どんな言語にも声調(のような音程の高低)はあるのだが、中国語では一つの語に一つの音節が対応しており、さらにそれに一つの声調が明確に対応しており(逆に、例えば日本語であれば、語の声調は前後の語との関連でどんどん変化していく傾向が強い)、この声調を正確に聞き取り発音することが、他の言語以上に求められる。普通話でも4つある声調の習得は大事なのだが、広東語ではこの数が多いので、とくにやっかいなのである。

 教材についているCDを聴くだけである程度習得できる人もいるかもしれないが、普通はやはりネイティブ・スピーカーに教えてもらうのがいいだろう。ただ問題として、近所でネイティブの人を捕まえるのは、普通話に比べて日本ではずいぶん難しいだろうということがある。大都市圏には広東語教室がいくつかあるようだ。私が通ったことがあるのは、大阪のアジア図書館 ― 中国系の方言だけでなく、ウィグル語やベンガル語といった日本人にとっては馴染みの薄い言語も教えてくれる貴重な場所である ― というところの広東語教室である。香港出身の、日本人ではあまりみかけないタイプの、からっと気さくな先生だった。ネット上だと「中文広場」という所で中国語の家庭教師をみつけることができるが、たまに「広東語も教えられます」という人がいる。もっとも、前回書いたように広東語が「国家言語」ではないということもあって、ネイティブの人たちの多くは広東語の発音表記法を知らない、という難点がある。発音表記なしで声調を含めた発音を学ぶのは非常に難しいので、ネイティブと一緒に発音表記法を理解していかなければならない場合があるかもしれない。これは結構やっかいなことである。

 だが、声調という最大の難所を超えれば、あとは平坦になる。声調以外の発音は、英語よりはやさしいと思う。文法も、普通話を学んでいればほとんど問題にならないだろう。あとは、広東語特有の言い回しを学び、語彙を増やしていけばいい。その段階ではネイティブの先生がいなくても、自習である程度はやっていけるだろう。とはいえ、この平坦な道は、長い長い道である。ただ、普通話の習得とかぶる部分がかなりあるだろう。

 自習するためにはどの辞書・教材がよいか。前回書いたように、広東語は標準化されていないので、「正しい広東語」なるものがなく、それぞれの辞書や教材は、それと明示することなく、あるいは明示して、特定の広東語に偏っていることになる。また英語や普通話の教材と比べると、著者の個人的な好みが色濃く反映されているようにみえるものが多いので注意が必要である。それはそれでおもしろかったりするが。

 広東語-日本語の辞書は、『東方広東語辞典』(千島英一編著、東方書店、2005年)がある。他にも小さいものや古いものはあるが、これがもっとも使いやすいと思う。逆に、これがなかった時はいったいどうしていたのか、と不思議である。日本語-広東語の辞書としては、『日本語広東語辞典』(孔碧儀・施仲謀編集、東方書店、2001年)がある。これは小さいがかなりよい辞典だと思う。香港的な広東語といっていいだろう。

 教材としては、私がいいと思うのは、『広東語入門教材 香港粤語[発音]』(2001年)など、吉川雅之氏が白帝社から出している一連のものである。これははっきりと香港の広東語の教材と位置づけており、香港出身の留学生にきいたところ、この教材の広東語は、香港の若者たちの自然でラフなことばが中心になっているらしく、「なんかなつかしいなあ!」とさえ言っていた。私が実際に学習用として使用したのは、このなかの『広東語中級教材 香港粤語[応用会話]』(2003年)で、解説が的確で、スキットも楽しく、確かによいものであった。発音表記は、世界的には最も流通しているイェール式と香港で開発された「常用字広州話読音表」を併記しており、親切である。ただし、東大生に広東語を教えている吉川氏によるこの一連の教材は、全体に詳しくすぎるし分厚すぎるし理屈っぽくて、かえって使いにくいという声もきく。本気でしっかり学びたい人にはいいシリーズだと思う。

 逆に、頼玉華『日本人のための広東語』シリーズは、説明は簡素だが、実際に学んでいくプロセスを上手におさえた現実的な教材であると思う。これは香港に滞在する日本人向けに現地で出版されたもので、版を重ねて、現在は香港の「青木出版印刷公司」から出ている。昔は旭屋書店が扱っていたが、今は国内では手に入りにくいようだ。3年ほど前に香港に行ったときには、銅羅湾のSOGOの旭屋書店と中環の三聯書店の書架には並んでいた。手に入るのであれば、多くの人にとってこの頼玉華氏のシリーズがベストかと思う。ただし20年以上前に初版の出たこの本は、内容がいくらか古くさく、発音記号はわかりやすいが、独自のものを採用している。

 他には、陳敏儀『ゼロから話せる広東語』(三修社、2004年)がある。説明はたいへん簡略だが、自然な香港的な広東語であるようで、最初の1冊としてはいいと思う。辻信久『教養のための広東語』(大修館書店、1992年)という、薄いが洗練された入門書もある。しかし、もう新刊本屋にはない。最近のものでは張淑儀・上神忠彦『身につく広東語講座』(東方書店、2010年)がある。ぺらぺらとめくってみただけだが、少し硬い真面目な表現に偏っているものの、全体に説明がしっかりしており、分量も少なすぎず、今なら簡単に手に入るので、現実的にはこのテキストがいいのかもしれない。

 以上は主要な入門書だが、その次にくるべき中級の教材はもっと少なくなる。先にふれた『広東語中級教材 香港粤語[応用会話]』が入手しやすいが、他には頼玉華氏のシリーズには中級者向けのものもある。香港の青木出版印刷公司は、必ずしも日本人向けではないが、いくつかの広東語教材を出版しているようで、そのなかには中級者向けのものもあるようだ。

 あるいは、香港映画を教材として活用するのも一つの方法であろう。陳敏儀『香港電影的広東語』(キネマ旬報社、1995年)は、ジャッキー・チェン(成龍)やウォン・カーウァイ(王家衛)らの全盛期の香港映画のいくつかのシーンを抜き出して、そのセリフを題材にした本。香港映画が好きな人には楽しく役立つだろう。広東語では、文末につける語気を示す音によってかなりいろいろな感情・ニュアンスを表現することに特徴があるのだが(この点で日本語によく似ている)、それは人工的なスキットよりも映画の一シーンで学ぶ方がピンとくることが多いように思う。

 自分で好きな香港映画を選んで教材とするのもよいだろう。ただし、香港映画では、ほとんどの場合役者たちは広東語をしゃべっているが、DVDなどの字幕は、中文のものはあっても、意外なことに、原則として広東語の字幕はない。しかし、神戸にある「香港王」という香港グッズのショップの店員さんによれば、一昔前の一部の会社のものに限られるが、広東語字幕があるDVDもあるそうだ。例えば『亜娜瑪徳蓮娜』(1998年、邦題『アンナ・マデリーナ』)には広東語字幕がある(ヴァージョンによっては広東語字幕がないかもしれないが)。この映画はかなりの俗語を含めた日常的な会話が多く、しかも金城武と陳慧琳というこの時代の中国語圏を代表する美男美女が主演している映画なので、楽しめるかもしれない。ちなみに、香港映画のDVDを入手するには、yesasia.com というサイトがもっとも便利である。

 どのレベルを目指すかにもよるが、いわゆる「学習」というスタイルでいけるのはこの辺までだろう。この辺でも、香港映画を楽しんだり、観光旅行をする程度であれば、かなりの程度役立つだろう。たいていの日本人はそれでよいかもしれない。さらにステップアップしたいなら、あとは、それぞれの必要に応じて、i-tuneを活用する(現段階でも、i-tuneやネットによって、ニュースをはじめとして、かなりの広東語音源を拾うことができる)など各自工夫しながら長い道をとぼとぼ歩くしかないかと思う。英語やフランス語よりも、普通話や広東語には、日常的なレベルでも使われる語彙が多いせいか(そういう気がするのだが)、この「とぼとぼ」感が強いように思う。

 こんな感じでとぼとぼ歩いていると、「生は限りがあるが、知は限りがない」という荘子の警告が時々頭をかすめる。しかしまあ、とにかく、後から歩いてくる若い人の目印にでもなればいいかもしれないと思って書いてみた。

 最後にもう一言。日本において広東語を専門とする研究者・教育者の方々はそんなに多くないかと思うが、今後の課題として発音表記法を統一するということは、やはりあってよいのではないだろうか。個人的には、イェール式がよいと思う。英語圏をはじめ広く使われているし、声調の表記においてぱっと頭に入りやすく(数字を使ってないのが一つの理由だろう)、発音の表記も分かりやすいように思う。発音の表記が分かりやすいのは、それが英語的だからだろうか、あるいは単に私が最初にふれたのがイェール式だったので、そう思うのかもしれない。
by kohkawata | 2010-02-24 00:28 | 香港の文化 | Comments(4)

広東語のおかしみ



 5、6年ほど前から広東語を少しずつ勉強してきてきた。

 勉強し始めてすぐにわかったのは、「メジャーな言語」と「マイナーな言語」とでは、言語としてのありように根本的な違いがある、ということである。広東語はむろんマイナーな言語であり、私にとっては初めてのマイナーな言語であった。

 これまでに私は英語、中国語(普通話)、フランス語などを勉強したことがあるが、それらはいずれもメジャーな言語である。ここでいう「メジャーな言語」とは、言語としての標準化がしっかりと行われているということであり、標準化されているとは、「正しい」言語がかなりの程度意図的・人工的に設定・整備されている、ということである。具体的には、正しい文法、正しい表記法、正しい発音・発声、正しい文章作法などが存在している(と話者たちが漠然と信じているような状態がある)ということであり、またその背景には、かなりの程度画一化された言語教育をはじめとした国家的な言語政策がある、ということもいえるだろう。

 広東語は、母語として5000万人ほどの使用者がいると言われており、その数からいえばそれなりにメジャーとも言えようが、しかしそのような標準化がほとんどなされておらず、その意味で「マイナーな言語」であるといえる。とりわけ目立つのは文字表記のレベルであり、広東語のなかには文字(漢字)に対応していないことばがあるし、対応していても当て字的なものが多く、地域や使用者によって異なっていたりする。例えば、複数であること(あるいは「もっと」の意味)を意味する、発音記号でいえば di などと表記されうることばにたいしては、「的」の左に小さく「口」をそえた広東語に独自の漢字によって表記するのがわりと一般的だが(広東語では、こうした口偏をそえることによって造語された漢字によって当て字的に表記することが多い)、香港の使用者によってはローマ字の「D」で表記したりすることがある。例えば「もっとたくさん」を意味することばが「多D」などと表記される。そんな表記は正しくない、とは誰も断言できないという状況が、言語の標準化がなされていない、ということなのである。

 外国語として広東語を学ぶ者がもっと困惑するのは、標準化された発音表記法が存在しない、ということである。日本人にとって広東語の難しさはとくにその発音にあり、発音記号なしには広東語の学習はほとんど不可能であるので、研究者や教育・研究機関がそれぞれに工夫して発音表記法を開発している。主なものだけでも、イェール式、常用字広州話読音表、千島式、あるいはライ式などがあり、日本でもそれらの発音表記法が併存している。しかも、日本で出版されている広東語のテキストや辞書はそれぞれに独自の工夫を追加していたりするので、結果として、著者の数だけ発音表記法がある、とさえいえるような状況である。これはもちろん、学ぶ者にとってたいへん不便なことである。

 不便だというだけではない。標準化されていないということは、言語のありかた自体に深く関わっている。すなわち、広東語が標準化されていないということは、「正しい広東語」なるものが存在せず、ただ地域や話者によって異なる広東語がばらばらに存在している、ということでもある。その結果、これはまた不便だという話にもなるが、学習者はどの広東語を学べばいいのか、わからなくなってしまう。広東語のテキストだとか広東語の辞典などと称していても、実際にはある特定の地域の、ある種の広東語 ― より口語的であったり、よりかしこまったりしている広東語など ― に偏っていることになる。それゆえ、例えば日本で出版されている広東語のテキストをみて、香港出身の人が「こんな広東語の表現は聞いたことがない」と驚くということがあったりするし、広東・広西の人にとっては英語由来の言葉がよくまざる香港の広東語はかなりおかしな広東語に聞こえるだろう。例えば、香港では生徒・学生が先生を呼びかけるときに(あるいは一般の人が警官をよびかけるときなどに)、 a sir と普通に言う。 a は阿などと表記する、敬意ないし親しみをあらわす広東語の接頭語で、 sir は英語由来の敬称で、これに対応する漢字はないようである。

 広東語が、話者が多いにも関わらず他の中国語方言と同様に標準化されていないのは、広東語がこれまで「国家の言語」になったことがないためであろう。歴史学や社会言語学などがしつこく跡付けてきたように、国民国家的な国家はその最初期の事業の一つとして国民全体が共有できる共通語をある程度人工的に作り出し、教育やマスメディアを通して言語の統一化を図ろうとした。それは多少の時間はかかるが、基本的に成功してきたのであり、結果として大多数の国民は共通語と方言との二重言語体制のなかを生きることになる。広東語もまた、例えば日本における関西弁と同様に、そういう共通語として採用されたことはなく、方言であり続けた。

 もっとも、広東語の位置づけは、日本の方言などとは多少異なる。広東語の話者の多くは、近代以降も共通語(=普通話)がしゃべれず広東語しかしゃべれない人が多かったようである。本土の広東語使用圏でも香港でも学校での「国語」の授業は広東語読みで行われてきたらしい。それゆえに広東語は、共通語によって公共性を大きく奪われた日本の方言などよりは、より公式的な場でも使用されるような、ある種の公共性・社会性をもより強くもつ方言であるということもいえる。例えば、広東のテレビ局のアナウンサーはやはり広東語(的なあらたまったことば)をしゃべるらしい。こうしたことが起きる背景には、発音のレベルでは、普通話と広東語の距離が日本での共通語と方言との距離などよりも大きいということ、しかも書き言葉のレベルではさほど違いがない、という特殊な言語的状況があるのだと思われる。

 香港においては、やや事情が異なる。返還前は、しゃべることばのレベルでは、英語と広東語の二重言語体制的な状況であったが、誰もが英語をしゃべれるわけではなく、広東語しかしゃべれない人も多かったし、今もそうである。他方、書き言葉のレベルでは、英語と並んで「中文」が返還前も返還後も公用語であるが、それは「中文」 ― この場合の「中文」とは何であるのか、というのは微妙な問題だが、いずれにしても文章語で、広東語圏以外の中国人も読解できるもの ― として表記されたものを公式の場でも広東語式の発音で読むということであり、いわゆる「広東語」を公用語にしていたとはいえない。広東語は基本的にはしゃべり言葉であり、公式的な書き言葉(=この場合の中文)とは異なる。例えば、先にもふれた di などといったしゃべり言葉的な表現は表記だけでなく発音のレベルでも、香港におけるこの「中文」では使われない。それでも、この「中文」は香港では公式の場でも広東語式で読まれるということが、日本の方言などとは異なる、広東語の独特の地位を示している。香港の歌手たちの歌う歌も、少し意外なことだが、中文を広東語式に読むというこのやり方と同様である。

 それゆえ、広東語には、日本の方言などとは異なり、よりしゃべり言葉的な広東語からより書き言葉に近い広東語までの広がりがあり、大雑把にいえば、広東語は共通語=普通話からの自律性が高い、といえるだろう。こうした広東語の独特の広がりと自律性は、広東語と広東語文化圏の力強さと深く関わっていると思われる。

 こうした広東語の若干特異な位置づけ(それは他の中国語方言と同様なのかもしれないが、私にはよくわからない)はともかくも、非国家的なマイナーな言語が標準化されていないこと、それゆえに正しい言語なるものも存在しないという状況の方は、わざわざ学ばなくても最初からわかりきったこと、研究者たちがくどくど強調してきたことではないか、と思う人もいるだろう。けれども、実際に私が学んでみて実感したのは、自分が知識としてはそうしたことを知っていても、それでも言語には「正しい言語表現」があるとどこかで信じていた、ということである。少し大げさにいえば、どこかに「正しい唯一の広東語」なるものがあって、テキストや辞典はその正しいものに基づいて編集されたものであり、広東語を学ぶとはその正しいものに無限に近づいていくということである、と漠然と信じていたのである。

 ふりかえって考えてみれば、英語であれフランス語であれ、私はそのような正しさの存在を前提にして学習してきたように思う。もっといえば、「母語」であるはずの日本語であっても、正しい日本語があるものと漠然と信じて身につけて使用してきたように思われる。あるいは教師としても学生のレポートを読んで、しばしば「これは話し言葉的な表現で、書き言葉では普通は・・・」などと添削している。我々は、結局のところ、共通語の人工性・恣意性を知識としては知っていたとしても、それでも国家化され標準化された、仮想上の「唯一の正しいことば」なるものの磁場のなかで言語活動を行っているのであり、それは意識のレベルを超えて深く身に染みついているのだと思われる。こうしたことは、国家的な秩序・力というものがいかに偏在的で深くにまで達しているかを示す、重要な現象であるといえるだろう・・・そのようなことを広東語を学びながら改めて気がついたのである。

 だから、せっかく標準化され多くの人に通じる便利な国家語があるのに、広東語のような標準化されていない言語、つまり無数に分枝している言語を母語としてではなく学ぶ、という行為にはどこか滑稽さがある。特定の地域や各人の固有の属性に根ざすことのない「正しい方言」なんか原理的にありえないのに、にもかかわらずあえてそれをしゃべろうとするのは不自然であり、ましてそれを正確に運用しようとすることは原理的に不可能なことである。外国人が例えば関西弁をしゃべるとどうしてもある種の滑稽な感じがするのはこうした事情ゆえなのだと思われる。私は関西にもう20年以上住んでいるが、今でも関西弁はほとんどしゃべらないし、イントネーションも関西風にならない。結局、関西弁といっても地域や話者によってずいぶん違いがあり、そのうちのどれかを私が選んで使用する必然性がないのだと思う。先日、大阪でタクシーに乗ったとき、岸和田出身という運転手のおじいさんのしゃべる関西弁が、若い人たちの吉本風の関西弁とはかなり異質な、とてもゆったりとした関西弁であることに驚き、いいなあと思ったが、だからといって私が今さらそんな関西弁を身につけてしゃべることはありえない。

 だが、それでも方言には余所者にとっても魅力があると思う。とりわけ、広東語は私には魅力的である。広東語には、国家化されたメジャーな言語とは異なって、ある種の強迫性というか生真面目さのようなものが少なく、より自由な雰囲気がありユーモアが豊かであるように思われる。また広東語使用圏は一国を形成してもおかしくないほどの人口と経済的な豊かさがあり、また先にふれたような日本の方言にはみられないような「広がり」があるので、文化的な開放性と多様さをともなっているようにも思われる。先にふれた「多D」だとか「阿 sir」といった表現には、そうしたユーモアと開放性があるように思われ、私にはとてもおもしろく心地がよい。あるいは、広東語を習い始めた時に最初に知って笑ったのだが、「ない」ことを意味する漢字(普通話でいえば「没有」)を、「有」という漢字から真ん中の「=」の部分を引き抜いた漢字を新たに造って表記する、というやり方にも広東語的なユーモアがあるように感じられる。この開放的なユーモアは、関西弁のそれにも通じると思うが、関西弁以上であるとさえ思う。

 それゆえ、たしかにかなりドンキ・ホーテ的だとは思うが、それでも広東語を学ぶことは楽しく意義あることなのである・・・そう信じて広東語を学ぼうという人たちのための、実践的な助言を、今日はずいぶん長くなってしまったので次回に、書いてみよう。
by kohkawata | 2010-02-14 10:39 | 香港の文化 | Comments(0)

『東方見聞録』


マルコ・ポーロ『完訳東方見聞録』1・2(愛宕松男訳注、平凡社ライブラリー、2000年) 

 この世界史的な大旅行記をいまごろはじめて読んだ。

 この本を読んでいくと、私(たち)が教科書的な知識で知っている歴史的な世界と非常に異なる、多様で豊かな世界が立ち上がってくる。マルコ・ポーロは行く先々で、「広大な王国」を通過し、「とてもりっぱな大都市」に遭遇し、「雑多な人種」や豊富な産物を目にする。あるいはこんな楽しげな記述もある。「騎行すること七日間でこの平原を横断し終わると、そのはずれに巨山がある。この巨山を越えると道は長い下り坂となる。まる二日間というものを下り続けるのだが、この間を通じて至る所、さまざまな果実がおびただしく実り続けている」(116頁)。今のイラン中央部辺りの記述であるようだ。あまりに多くの魅力的な国・都市・文物・景勝が出てくるので、彼が旅したアジアとはどこか他の惑星のことであるかのように思われる。

 なかでも、彼の描く「キンサイ」(=杭州)の繁栄ぶりは魅力的である。この旧都は、周囲100マイルに及び、総戸数は160万戸、城内には大小無数の運河が掘削され、その運河には12000もの橋が架かっている、と彼は記述する。商工業も極めて盛んで、例えば工匠組合は12あり、それぞれに12000ずつの工作店舗があり、それぞれの店舗には10人あまりの職人がいるという(だとすると、キンサイには職人だけで100万人以上いることになってしまうが)。市の南側には周回30マイルの湖水があり、湖上の遊覧船には清遊にふける客でいつも満員である、云々。

 アジアを放浪する欧米からのバックパッカーたちのなかにはこの本に触発された人が多いとどこかできいたが ― 本当かどうか知らない ― 、なるほどこれは世界中を旅したいという衝動を若い人にもたらすような、壮大なおもしろさがある。西洋の、中世の、商人の目を通してみた「オリエント」が、我々が一応知っていると思っている歴史的世界とは別に、茫々と広がっている。

 同時に、マルコ・ポーロという人が、人間の愚かさというものをたっぷりと体現していることにもまた、ある種のおかしみがある。最も目立つのは、彼が、キリスト教以外の宗教の信者たちを無反省に蔑視していることだ。なかでもイスラム教徒にたいしては「とても人が悪くて信用できない」などと敵愾心が顕わであるし、中国の諸民族や日本人はみな「偶像教徒」と一括して、わざわざ嫌うほどでもない一段下の存在であるかのようにみなしている。また、彼は元の皇帝「カーン」(フビライ・カーンのこと)の途方もなく強大な権力に敬服しきっていて、何にたいしてもカーンの視点から、つまりとんでもない「上から目線」で見下す傾向が強い。また自分を誇大にみせるのも好きなようで、例えば元が南宋を征服した一つの契機は、カーンにたいして自分が適切な軍事技術上の助言をしたことにある、などと大嘘を並べてみたりもしている。

 この旅行記の本筋ではないが、『東方見聞録』のなかで私がとくに惹かれたのは、ポーロが道中の人たちから聞いたという「山の老人」の逸話である。よく知られたているのかもしれないが、こんな話だ。

  「山の老人」は、狙った人物は必ず殺すという暗殺集団のボスであり、数多くの国王や領主たちは彼に殺されることを恐れて、友好関係を築こうとして貢ぎ物を欠かさない。山の老人は次のようにして暗殺者たちを養成している。老人は、ペルシア北部にあるムレヘットという国にある、二つの山脈にはさまれた峡谷に、壮大美麗にして贅をこらした庭園と邸宅のある宮苑をつくった。老人は、12歳から20歳の若い男たちを手なずけ老人のことを真の預言者だと信じさせたうえで、秘かに一服の薬を飲ませ昏睡させ、この宮苑のなかで目覚めさせる。すると若者たちは、そこがあまりに美しい場所で、しかも絶世の美女たちが集まっているので、自分たちは天国に来たのだと信じ込む。「美女たちは終日そのかたわらに侍って音楽を奏し歌を歌い、珍味佳肴の饗宴に給仕する。若者たちはこれらの美女を相手に存分の快楽を享受する。かかる次第で、若者たちはしたい放題できるものだから、この宮苑を去りたいなどとはつゆほども望まないのである」(上巻、138頁)。しかし、老人は、しかるべき時に若者たちに再び薬を飲ませ、老人のもとに運ばせる。目が覚めた若者たちは自分が天国にいないことにがっかりする。そこで預言者を装う老人は次のように告げる。「もう一度お前たちをあの天国にやってやりたいと思うから、特にお前たちを選んでこの使命を託するのだ。さあ行け。ただ某某を殺しさえすればよいのだ。万一お前たちが失敗して死ぬようなことがあっても、そのまままっすぐ天国に行けることは疑いない」(上巻、141-2頁)。かくして若者たちは天国を夢みて驚喜しながら、老人に命じられるがままに暗殺を遂行するのである。

 この「山の老人」の話は、多くの人の心をとらえるようで、ネット上などでもテロリズムとの関係などでよく言及されているし、私もだいぶ昔にテレビなどで聞いたことがあるように思う。この話は、注釈によれば ― なお、愛宕松男という人による詳細な注釈はたいへん高い水準のものだと思われる ― 、「新イスマーイール派」という名のイスラム教の一宗派が反対派の要人を倒して教勢を拡大するために刺客の養成をやっていた、という歴史的な事実に起源をもつとのことである。そして、英語で暗殺者を意味する assassin は、この一派が使った麻薬の名 hashish を語源とするそうで、このことからも、この逸話周辺のことが昔から遠くへもよく伝わっていたことがわかる。

 この話がなぜ私も含めて多くの人を惹きつけてきたのかを考えると、一見したところ、魅力的な悪役が活躍する奇想天外で安っぽいアクション映画のような話でありながら、同時に、この暗殺者たちの悲しい運命が私たちの、とりわけ男たちの人生の寓話にもなっているからではないか、と思われる。男たちの人生とは、天国・幸福・永遠・快楽・栄達・名誉・承認・安心などを夢みて、時間や苦労や危険などを顧みず何かをやり遂げようとするのだが、結局は何も得られずに終わっていくのであり、そのような普遍的な運命を若い暗殺者たちは体現しているのではないかと思うのだが、どうだろうか。
by kohkawata | 2010-02-05 15:46 | 近世中国の文化 | Comments(0)