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最近おもしろかった近代日本に関わる本、2冊


ナンシー・K・ストカー『出口王仁三郎 ― 帝国時代のカリスマ』原書房、2009年(Nancy K. Stalker Prophet Motive: Deguchi Onisaburo, Oomoto, and the Rise of New Religions in Imperial Japan, University of Hawai’i Press, 2008 )

 出口王仁三郎は、近代日本を代表する新興宗教である大本教の二代目であり、国家による大規模な弾圧を二回にわたって招いたことでも知られる。だが、彼の知性と行動は、近現代の日本のなかで例外的といってよいほどの、巨大なエネルギーと創意とユーモアに満ちたもので、その全貌は十分には研究されてこなかったしほとんど知られていないといえるだろう。私の勤めている大学は、このカリスマの出生地 ― 亀岡市穴太(あなお) ― のすぐ近くにあり(歩いて15分くらい)、その活動の中心は亀岡にあったが、大学も亀岡市も、同じ亀岡出身の石田梅岩は盛んに顕彰しても、出口王仁三郎はほとんどまったくとりあげることがない。十年ほど前、大学の研究所にR.N.ベラーをよんで石門心学についてのシンポジウムを行ったとき(その記録は、the Monograph series of the Institute for Interdisciplinary Studies at Kyoto Gakuen University, No 1. 2001年 にある)、若かった私は「次回のシンポジウムは王仁三郎を取り上げてはどうですか、とてもおもしろい人ですよ」と提案してみたが、「それは大学ではなく大本さんにおまかせするとよいでしょう」とすぐに却下されてしまったのを思い出す(まあ、却下するのが妥当な判断だとは思うが)。

 この本はアメリカの学者が学位論文をもとにしてまとめたもので、この巨人の生涯の足跡を冷静かつコンパクトにまとめてくれている。出口王仁三郎は、終末論的宗教家・予言者であり、大規模な運動を展開することができる扇動と組織化の天才であり、日本で最も熱心なエスペラント語の推奨者でもあり、さらには世界の精神的統一を目指すパラノイア的な国際平和主義者でもあり、書・陶芸・詩歌の創作者でもあった。そのすべての面で彼は卓越した活動をしているが(芸術の創作者としては即興的な大量生産に特徴があったようだが)、なかでも驚かされるのは、政財界の指導者3000人 ― そのなかには閣僚や陸海軍の上級将校もいた ― を集めて王仁三郎が中心となって発足させた、昭和神聖会なる右翼的・愛国的な団体が、時代の波に乗り官民を巻き込んで、800万人の支持者を得たと公称するほどに、大規模な運動体へと発展していったことである。この国民的な運動や、それ以前から発展してきていた大本教やその別働隊である「人類愛善会」など、出口王仁三郎を中心とした宗教的運動の急激な膨張 ― 例えば人類愛善会の機関誌『人類愛善新聞』は34年には当時の全国紙大手の読売新聞の約二倍の100万部に達したという ― にたいして、支配層の一部は恐怖を覚えたようで、そのために(といってよいようだ)、あの第二次大本事件が起きるのである。宗教的カリスマ・右翼的運動・支配層・マスコミ・インテリを巻き込んだ、このあたりの一連の劇的展開は、まだ十分には研究されていないようで、才能と野心のある若い研究者にとってはかっこうのテーマになるだろう。

 また、二度にわたる弾圧のやり方が、最近の民主党幹部や少し前のIT企業社長らへの検察の捜査・摘発の手法と似ていることにも気づかされる。いずれにあっても共通しているのは、急速に力をもったカリスマ的な人物とその運動にたいして、警察権力が(本当は信憑性のない)それらしい情報をマスコミに流し世論の攻撃を煽りながら、法理上かなり無理のある捜査ないし弾圧を強行し、カリスマから活動の自由を奪ってしまう、しかし犯罪の確たる証拠が出てこないので、最終的には有罪にならないのだが、それでもカリスマとその運動体はその間に社会的な打撃を受け再起が難しい、というやり方である。つまりは権力組織が実質的な超法規的処置によってカリスマを攻撃し無力化しようとするのである。王仁三郎も最終的には保釈されているのだが、大本教と王仁三郎の全盛期は戻ってこなかった。

 出口王仁三郎にかんして、私が最も興味深く思うのは、彼がこのように(一部の)人々から嫌われ理不尽かつ徹底的に弾圧されたにもかかわらず、最後まで持ち前のユーモアと明るさを失わなかったようだ、ということである。「延々と続く裁判のあいだ、王仁三郎はいつもどおり元気で楽天的だった。法廷内で茶目っ気を示すことも多く、無期判決が言い渡されたときにはベロを出し、ときには卑猥な冗談を言ったり、法廷で退屈したときには大騒ぎで病気のふりをしたりした」(277頁)。警察や検察が甘かったわけではないのは、彼の後継者と目されていた人が拷問の結果神経を病んだことからもわかる。本書のなかにはこうした彼のユーモアを示すエピソードが他にもいろいろとあるが、そのなかでの最大の傑作は、第二次世界大戦のさい前線へと向かう信者の兵士たちに持たせたお守りであろう。そこには、暗号で「我敵大勝利」と書いてあったのだ、という(この逸話は出口京太郎氏への著者のインタビューによる)。

 今でも大本教は明智光秀が築いた亀山城の跡に本拠を構えている。私は仕事帰りにこの境内を歩くことがあるが(境内を横断する道は誰でも自由に歩ける)、大本教は今ではとても静かな教団であるようにみえる。


野口良平『「大菩薩峠」の世界像』(平凡社、2009年)

 この本の著者は私にとっては学生時代からの知人である。そのため著者のこのはじめての本にたいしてはある種の感慨があり、他の本とは読み方が当然違うが、とにかく、読み始めたらほんとうにおもしろくて、他の用事をおいてどんどん読み、数時間で読了した。

 まず、この本は射程はものすごく長い。合理的・科学的な方法では把握できない、人間の業(カルマ)とでもよぶべき性質 ― それを著者は、「人間が自分の責任では選ぶことのできないような受動的な関係性」としている ― を、中里介山が1913年から1941年までの30年近くにわたって書き継いだ大作『大菩薩峠』の読解、とりわけ無辜の人を理由なく繰り返し殺してしまう主人公机龍之助の姿を追いかけるという形で、探求している。

 この業の探求において著者がとりわけ注目するのは、私なりに単純化すれば、業からの「自由」の可能性をめぐる問題なのだと言えるだろう。彼はフィクションを定義して次のようにいう。「フィクションとは a 現実の自分からの自由、および b 現実の世界からの自由、という二つの希求を、創作者と享受者が相互に認め合うための手段であり、かつ目的である。 a・b のいずれが欠けても、フィクションは成立することができない」(232頁)。そして『大菩薩峠』というフィクションは、この二つの希求に応えようとしたものであり、著者は次のように言っている。「作中人物たちが一様に示しているコミューンへの希求は、胆吹王国の瓦解、無明丸の試練が象徴しているように、決して完全に満足されることはないが、だからといって雲散霧消してしまうというわけではない。『大菩薩峠』が描こうとしているのは、コミューンというよりはむしろ、コミューンへの希求を持たずには生きていくことが出来ないという人間の条件それ自体であり、そういう人間の眼に映じたものとしてのコミューンの諸類型なのである」(173頁)。

 同時にこの本は、細部において興味深い示唆・指摘・分析を繰り返している。『大菩薩峠』にはコミューン(=国家に包摂されない拠点)へのコースが七つ ― 主人公の存在様式そのもの、路上・平原へ、かくれ里へ、信心へ、書物の世界へと求められるコミューン、海のコミューン、山のコミューンの七つである ― 示されているとか、伊勢神宮の内宮と外宮の間にある「間の山」についての分析であるとか、桑原武夫の「日本文化三層論」であるとか ― 西洋的・近代的な意識の層、サムライ的・儒教的な封建的といわれる層、ドロドロした規定しがたい民俗的な層、の三層― 、あるいは折原脩三・堀田善衞・安岡章太郎・橋本治などの『大菩薩峠』をめぐる興味深い説が次々と紹介されている。

 このような細部の輝きと射程の長さは、野口良平という人が、繊細な感受性とともに集積した厖大な知識をもちながら、なおかつ不屈の思考者であることを確認させるものである。また、桑原武夫・鶴見俊輔・橋本峰雄・多田道太郎といった京都学派たちの仕事が何度もていねいに参照されており、この本が、もはやほとんど絶えてしまったようにみえる京都の、とりわけその反エリート主義的な知的エリートたちの、人文的・思想的伝統のなかから生まれてきたこともわかる。

 むろん、著者が示した射程は、『「大菩薩峠」の世界像』のなかで堅固な目的地へと着地したわけではない。中里介山の『大菩薩峠』が未完に終わったように、深い問いを読者に残したままであり、そのような原理的に解くことのできない「原問題」を抱えながら、「一人ひとりがはじめの一歩から世界との関わり方を構想する、という思考態度」(51頁)をもって生きていくほかはない、という覚悟が現在の著者の「世界像」であると読める。
by kohkawata | 2010-01-27 13:26 | 近代日本の文化 | Comments(0)

最近おもしろかった映画関連、3本


『白銀帝国』(桃樹華監督、中国・香港、2009年)

 これは傑作の予感のある映画。19世紀から20世紀への世紀の転換期前後、山西で代々金融業を営んできた古い家の物語。
 まず、中国の近代化のなかで金融システムが揺らぎ治安も悪化して、金融業の旧家が時代の荒波にもまれる、という状況設定が興味深い(なぜ山西のような辺鄙な地域に金融業が栄えたのか、私には謎である)。そして、物語の主筋もかなりいい。この揺れる旧家の三男が西洋的な教養を身についた家庭教師の女性に惹かれ結婚を願うが、その彼女を三男の父親が自分の後妻にしてしまう。そのために三男は酒色に溺れるようになるが、彼女が巧に夫を欺き家を抜け出して・・・というものだ。あるいは、金融業が危機に陥ったが、実家の庭に実は先祖が埋めた銀が大量に埋まっていて・・・といったモチーフも楽しい。
 しかし残念なことに、主役たちの配役がよくなかった。三男を演じる郭冨城は、『父子』(譚家明監督、2006年)で迫真の演技をみせたのが忘れがたい香港出身の役者だが、この映画では不調。初恋を忘れられないこの青年はどう考えてももっと若い役者が演じなければ、文字通り「話にならない」。継母役の郝蕾も、「レッド・クリフ」の林志玲など最近の本土の女優によくあるタイプ、つまりモデル的にきれいだけれども演技は大根、という感じだった。もっとも、千両役者がいない、というのは現代の本土の中国映画全体が共有する問題でもあり、香港のベテラン俳優に頼っている点でもこの映画は典型的である。
 とはいえ、物語世界は、最近の中国映画によくみられることだが、実に豊かである。加えて、中国には成長する市場があり、撮影所を含めた撮影環境も充実しているようで、さらに香港や台湾など近隣地域の映画の人的・文化的伝統を活かすこともできているので ― ちなみにこの『白銀帝国』は『悲情城市』(侯孝賢監督、台湾、1989年)をかなり意識して構想したのではないだろうか ― 、中国本土のこうした流れのなかからいい映画が生まれてくることは大いに期待できるだろう。あとは、才能と魅力のある役者が新たに出てくれば、そして収益の短期的獲得の最大化を最優先にするような極端な「ハリウッド化」に多少は歯止めがかかれば、傑作が出現するのは時間の問題だと思う、というか、そうなればいいなと思う。


『映画でたのしく中国語 ― アン・リーの〈飲食男女〉』(信世昌主編・LiveABC製作東方書店、2009年)

 李安の『飲食男女』(1994年、台湾、邦題『恋人たちの食卓』)は何度見ても楽しい。細部まで配慮の行き渡った、高度な文学的エンターテイメントである。
 例えば、この映画は朱さんという中華料理の名コックが主人公なのだが、その三女の彼氏という脇役でさえも実に上手に描かれている。両親が金儲けのために海外を飛び回っているのでがらんとしたマンションに一人暮らしをしているという国倫という名の彼は、寝たきりになって意識のない祖母を病院に毎週見舞いにいき、祖母がカメラのフラッシュにだけは反応するようなので、いつも写真を撮って帰ってくる。その写真を現像して、人間的な表情を欠いた老いた老女の顔が浮かび上がってくるシーンは、この若い男の孤独と愛情を巧に示していると思う。
 この本はこの李安の傑作の正確なスクリプトとDVDの映像を使っての語学教材で、台湾師範大学の人たちと台北の会社が共同開発したもの日本語版である。セリフの細部もまた行き届いたものなので、中級の教材としてもとてもよいものであろう。もっとも、映画は台北が舞台で、登場人物たちの発音は普通話と少し違って、「国語」(台湾の標準語)ふうである。北京出身という設定の朱さんも、この教材には「北京なまりがある」と書いてあるが、北京出身の知人によれば「残念なことに発音がへん」だそうで、やはり国語的であるようだ。けれども普通話偏重の時代にそれはそれで貴重なことだと思う。
 ちなみに、『飲食男女』の続編が予定されているらしい。出演に帰亜蕾や周迅の名が伝えられている。李安はどうやら関わっていないようだが、少し楽しみ。とはいえ、あまり知られていないがこの映画の続編的な映画はすでに存在していて、『今天不回家』(張艾嘉監督、台湾、1996年)がある。これは『飲食男女』のフェミニズム的な批判にもなっていて、おもしろい。


『コロンビアのオイディプス』(原題Edipo Alcalde、ホルヘ・アリ・トリアーナ監督、コロンビア=スペイン=キューバ=メキシコ、1996年)

 これは「キューバ映画祭2009」の一本として東京と大阪で、日本では初公開されたもので、最後の公開になるかもしれない。私は先週の日曜日に十三の第七芸術劇場でみた。脚本は、ガルシア=マルケスで、ソフォクレスの『オイディプス王』を、現代のコロンビアに舞台を代えて再現したもの。たいへんおもしろかった。
 日本語による情報はあまりなさそうなので、話の大筋を書いておこう。
 三十才になる男が村長に任命されて、反政府ゲリラの活動などのために極度に治安が悪化している山間の村に入ろうとする。途中、橋の上で正体不明の一団に襲撃されるが、村長は同行の警官らとともに応戦し撃退する。村に入ると、村の有力者ラヨが何者かに殺される事件がおこったところで、村に和平をもたらそうと意気込む新任の村長は早速犯人探しに乗り出す。手がかりはなかなか見つからないが、村長はラヨの未亡人ヨカスタに、だいぶ年上ではあったが、誘惑され惹かれ、性関係をもつようになる。村長の勇敢な努力にも関わらず治安がますます悪化していくなか、ヨカスタの弟は、村長は実はラヨの息子なのだと仄めかす。そして、ラヨはかつて息子に橋の上で殺される夢をみて、生まれてきた息子を殺害するように配下の者に命じたのだ、とその妻であったヨカスタから知らされる。それは三十年前の話で、村長はちょうど三十才なのである。そして、ラヨの遺骸を調べてみると、そのこめかみに埋まっていた銃弾は、あの橋の上での応戦のさいに村長が放った銃弾であることが判明する。自分が殺したのは本当に父親なのか、そして自分の子を妊娠しているヨカスタは自分の母親なのか ― 村長は戦慄しつつ、ラヨの生まれたばかりの息子を殺したはずの老女を探しだして、事の真相を問いただす。老女は、ラヨの息子を秘かに他の夫婦に預けたことを告げ、その夫婦とはたしかに村長が自分の両親と思っていた夫婦なのであった。ヨカスタは、愛人=息子が真相を知ったことを知り、自殺する。村長は盲目の乞食となってコロンビアの都会を放浪する。
 この映画をみて思ったことの一つは、映画の感想としては的はずれなことかもしれないが、この映画はたしかに『オイディプス王』のかなり忠実な翻案ではあるものの、しかしフロイトたちのいうようないわゆる「エディプス・コンプレックス」の物語としては感じられなかった、ということである。例えば、魅惑的な未亡人として登場するヨカスタが実は生みの親であった、という設定には十分な迫真性がない。この映画でも再演されている、『オイディプス王』における、王国の秩序を揺るがせた殺人事件の犯人を探したらそれが実は自分自身であることがわかったとか、亡き王の妃と結婚したらそれが実は自分の母親であることがわかったといったモチーフは、たしかに信じがたいほど独創的である。しかし、こういった独創的で特異でもあるモチーフは、「エディプス・コンプレックス」という、単純にいえば、邪魔者をどかしてママを独占したいという幼い男の子の素朴な心理的現象とは、基本的に別の次元のものとして考えるべきなのではないだろうか。ただ、ソフォクレスの戯曲があまりに天才的で、読者のさまざまな感情を受けとめることができる大きなうつわなので、そこにエディプス・コンプレックス的なものや、禁忌ないし規範の侵犯といった人類学的・社会学的なテーマを感じとることもできる、ということなのだと思われる。しかし、この辺の問題はちゃんと論じようとすると、かなり長い話になりそうだ。
by kohkawata | 2010-01-18 14:44 | 現代中国の映画 | Comments(0)

詞のアンソロジー


 詞についてのよい本をようやくみつけた。村上哲見注『李煜』(岩波書店、1959年)である。

 この本は、吉川幸次郎・小川環樹編集校閲『中国詩人選集』全32巻の一冊である。この選集ははるか半世紀も前のものだが、白いカバーの装幀はたいへん美しく、内容もいまだに古びていないよいもので、長く私の愛読のシリーズであり、その一冊『宋詩概説』を初め何度も読んでいる卷もある。

 しかしこの中の『李煜』は読んでおらず、選集中唯一の、「詩」ではない「詞」の本であるとは、うかつにも気がつかなかった。前半は李煜の詞の紹介・注釈が中心だが詞一般の解説も含まれており、後半は李白にはじまり李煜の父李璟にいたる詞 ― それは『花間集』という現存する詞の最古のアンソロジーとほぼ重なるものである ― とその注釈からなる。この本は日本で最初のある程度本格的な詞の本のようで、また今日でも最もよい詞の入門書であると思う(同じ村上氏に『宋詞の世界 ― 中国近世の抒情歌曲』大修館書店、2002年、という一般の人を対象にした本もあるけれども、ちょっとわかりにくい)。

 以前から、私は宋詞のことが気になっていた。

 中国語圏の大きな書店にいくと、唐詩・宋詞・元曲はそれぞれたくさんのアンソロジーが並んでいる。あるいは、漢文・唐詩・宋詞・元曲と四つが並び称されることも多い。だが、日本で広く知られているのは漢文と唐詩であり、宋詞と元曲はほとんど紹介されていない。私は、宋詞や元曲のアンソロジーを何冊か買って帰って読んでみたが、貧しい語学力のせいか、その味わいはよくわかなかった。

 なるほど詞とはこういうものか、と生半可ながらも理解できるような気になったのは、詞の朗読をはじめて聞いた時である。「パンダと学ぶ中国語」というサイトで詞の朗読を聞くことができて(i-tuneでも同じ朗読を拾える)、かなり美しい響きであることがわかる。もっともこの朗読が詞の朗読として標準的なものなのかどうかわからないし、そもそも詞には、中国でも早くに喪われたのだが、元来メロディーがあったという。それでも、韻文は音をもって楽しむものであり、ごく僅かとはいえ詞の朗読を聞くことができるのはありがたかった。

 この「パンダと学ぶ中国語」にもあるが、私の好きな詞には例えば、宋代の李清照(1084年生まれ)の「如夢令」というのがある。訳は試訳である。

昨夜雨疎風驟   昨夜、雨はさほどではなかったが、風はひどく強かった
濃睡不消残酒   深く眠ったつもりだったが、昨夜の酒はまだ残っているようだ
試問捲簾人     御簾をあげにきた侍女に聞いてみると
却道海棠依旧   庭の海棠の花は散らずにまだきれいに咲いていますよ、という
是否、是否      そうだろうか、そうだろうか
応是緑肥紅痩   きのうよりも緑が濃くなり、花はしぼんでいるはずだ

 『李煜』を読むと、この李清照らの宋詞へと展開していく詞の流れがよくわかる。この本のなかでとくに印象的であったのは、李煜の次の「虞美人」という詞である(なお、詞のタイトルは元々存在したメロディーに対応しているので、内容とは基本的に無関係)。訳はこの本にあるもの。

春花秋月何時了      春の花、秋の月、それらは昔も今も変わることなく、尽きること
               を知らずめぐりきて季節をいろどる。
往事知多少         それにひきかえ変わりはてたこの身、花をみるにつけ、月を見
               るにつけ、過ぎし日の思い出のみは数限りない。
小楼昨夜又東風      このわびしき高殿に、昨夜またしてもそよぎくる春風。

故国不堪回首 月明中  はるかなる故郷、眺めやりてものおもう悲しみにどうして堪えら
               れよう、さえわたる月明かりの下に。
雕闌玉砌依然在      雕(えり)せし欄干、玉の砌(みぎり)、豪奢な宮殿は今もその
               ままに在るだろうに、
只是朱顔改         ただこの身だけは、若き日の輝やかしい容姿はどこへやら、み
               じめに変わりはててしまった。
問君都有幾多愁      わが胸に満ちる悲しみはいったいどれほどといえばよかろう
               か。
恰似一江春水 向東流  長江の満ち溢れる春の水が、東を指して流れてゆくさまをその
               ままに、こんこんと流れて尽きるときを知らないのだ。

 李煜は、皇帝になる人の息子として937年に生まれ、25才で皇帝となり、在位の14年間、豪奢な歓楽を尽くした人である、という。だが、南唐という彼の帝国が宋によって滅ぼされ、その虜囚となっていた2年ほどの晩年に、彼はその生涯でもっとも優れた詞を残すことになる。そのなかでも、この「虞美人」は李煜の詞を代表する名作とされてきたそうだ。

 私もまた『李煜』を通読した限りでいえばやはりこの詞がもっともいいと思うし、深い嘆きと諦念のなかに不思議な華やぎがあると思う。遙か後に映画のタイトルともなった最後の行がなかでも忘れがたい。この詞が42才で亡くなる彼の最後の詞だという説が本当であるならば、李煜は、最後に最高の詞を創造した、ということになる。

 私が読んだ範囲だけでも、李清照や李煜のほかにも、晩唐の温庭筠や李煜の父親李璟、宋代の柳永などよさそうな詞人は数多い。と同時に、詞の世界には、詞人の個性を超えて、ある一つの小宇宙的なまとまり ― それを簡単に表現することは難しいが ― が感じられる。日本語の詩的な才能にも恵まれた人が、詞のアンソロジーを編んで、この美しい小宇宙を世に贈り届けてくれたら、と思う。
by kohkawata | 2010-01-12 18:52 | 近世中国の文化 | Comments(0)

絵師金蔵

 先月末、高知県香南市の赤岡町にある、「絵金蔵」を見学した。研究者の知人(どなただったか忘れてしまった・・・)がここはおもしろいと教えてくれたのが一つの動機であった。絵師金蔵、略して絵金は、幕末前後に土佐で活躍した絵師で、彼の描いた「芝居絵屏風」がこの絵金蔵という古い米蔵を改装した小さな美術館に収められている。

 高知城下の髪結いの家に1812(文化9)年に生まれた絵金は、若くして江戸にでて狩野派に学び、土佐藩家老の御用絵師になったのだが、陰謀めいたもののために追放となり、民間の絵描きとなる。放浪ののち、赤岡のおばの許に身を寄せて、浄瑠璃・歌舞伎の物語を一幅の絵に凝集させた芝居絵屏風を数多く生み出し、土佐で広く好まれたようだ。

 Googleなどで検索しても見ることができるが、絵金の絵は、少し後の月岡芳年にも通じる、かなり露悪的なもので、私は元々あまり好きではなかった。どの絵も、浄瑠璃・歌舞伎の、もっとも残忍な場面を中心にすえて大げさに描いており(細部で物語の他の部分を再現していておかしみがあるのだが)、お約束のように真っ赤な流血がある。そもそも私は江戸時代も下った時期の芝居一般に十分な共感ができないのだから、絵金が好きになれなかったのも当然である。

 けれども今回絵金の絵を直に見て、また彼の来歴も知って、少し共感できるように思えた。一端をふれただけの印象だが、絵金は非凡な絵の才能をもっている人で、本当はどんな画材でも描けるのだが ― ちょっとしたスケッチなどにも彼の並々ならぬ才能があふれている ― 、時代の要求に従って、芝居絵をものした、ということではないだろうか。彼は土佐藩の御用絵師の地位を失わなくても、十分に優れた作品を生みだし続けたであろう。しかし同時に、おそらくはかなりの失意のなかで上方で歌舞伎・浄瑠璃をたっぷりと楽しみ学んだことのある絵金(これは近森敏夫『絵金読本』改訂版(香南市商工水産課刊行、2006年)にある説。この本は絵もきれいで、解説もわかりやすい)は、同時代の露悪的な歌舞伎・浄瑠璃の世界をかなり深く自分のものにしていたのだと思う。だからこそ、その芝居絵には、人形や役者による浄瑠璃・歌舞伎よりもいっそう生々しい迫真性が備わっているのだと思う。絵金の絵も江戸の終わり頃の歌舞伎も、人がいとも簡単に自害したり人を殺害するという露悪的なものであり、いかにも趣味の悪い作者と退屈しきった観衆との不毛な共犯の揚げ句、といった感じはある。けれども、そのようにして徹底して人間の悪を描くことの裏にはやはりそれなりの情念があるのだ。社会のまともな一員でなければならない、人を裏切ってはならない、人を殺してはいけない、といった普遍的な掟を侵犯してしまう、どうしようもない人間の性(さが)への共感が絵金の絵の迫真性を支えているように思う。

 私にはなかでも「浮世柄比翼稲妻」が印象的であった。わけあって脱藩して江戸に向かう途中に追っ手を見事に惨殺した美青年と、その美青年に同性愛的に惚れ込む侠客、という極めて頽廃したモチーフなのであるが、その頽廃がなお様式を保ちながら見事に描かれていると思う。

 ところで、この「絵金蔵」という絵金専門の美術館は、2005年に開館したもので、小さいながらもいろいろな工夫がこらしてあってとても楽しい所であった。また同館が発行を続けている「蔵通信」という小冊子も、おしゃれで楽しい冊子である(その一部はネット上でみられる)。私は少し前にある自治体の文化振興関係の委員をやっていたこともあって、地域の文化振興というのはともすると空疎なものになりかねない事情(官僚制と文化とは原理的に相性が悪いのだ、もちろん)を多少は知っているのだが、赤岡町のこの取り組みはたいへん優れた、模範的なものであるように思う。「旧長宗我部遺臣団の反山内体制の気風をうちに秘め、廻船問屋、商工業者の財力」(前掲『絵金読本』5頁)をもって栄えたこの町の歴史が、絵金を通じて立ちあがってくる。
by kohkawata | 2010-01-03 18:23 | 近世日本の文化 | Comments(0)