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韓国の半跏思惟像



 
夏休みに、釜山とソウルを訪れる機会があった。釜山ははじめてで、ソウルは5年ぶりであった。


 釜山の港近くの、賑わっていながらどこかのんびりと気の抜けた雰囲気の釜山の古い市街もよかったし、ソウルの食堂でいただいたカンジャンケジャン(醤油味のタレに漬け込んだ生の蟹の料理)はとても美味しかったりして、いろいろと楽しかったのだけれど、一番感銘を受けたのは、ソウルの国立中央博物館で拝まさせていただいた、「金銅半跏思惟像」。


 「半跏思惟像」といえば、日本では中宮寺のものと広隆寺のものが著名で、私もどちらにも深い敬愛の念を抱いている。黒い光沢の微笑みをもつ中宮寺の半跏思惟像も、精緻な美しさのなかに素朴さをかいまみさせる広隆寺のそれも、どちらもをこのうえなく素晴らしいと思う。そして、おそらくは多くの日本人と同じように、私も、美しさということでいえば、日本の文化は、この二体の仏像がつくられたであろう時期、つまり飛鳥・天平期の文化の水準をついに超えることはなかったと思うのだが、この時期の文化の清華が、正倉院の宝物たちと並んで、あるいはそれ以上に、この二体だと思うのである。世界の仏像たちのなかでも、もっとも華奢なこの二体の仏像は、端的にいえば、我ら華奢な「倭人」の美意識にもっともかなうのだ、と思うのである。

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 しかし、今回はじめてみた、この韓国の半跏思惟像(国宝78号)は日本の二体に勝るとも劣らない美しいお姿であると感じいった(写真ではあまり伝わらないかもしれないが)。この博物館には、もう一つ美しい半跏思惟像があるそうだが(「金銅半跏思惟像」国宝83号)、今回はお出ましではなく見られなかった。


 半跏思惟像とは、元来はガンダーラ辺りで発生したものらしく、中国を経て、朝鮮に渡ってきた様式であるそうだ。今回拝見した半跏思惟像は、博物館のハンドブックによれば、6世紀後半のものとされており、その「華やかな縦長の宝冠は、太陽と三日月が結合した特殊な様式で、「日月飾宝冠」と呼ばれている。このようなスタイルはササン朝ペルシアに由来し、シルクロードを通じて伝わった」という。いろいろな写真でみるかぎり、数ある半跏思惟像のなかでも、この博物館の二体と中宮寺・広隆寺の二体が出色であるように私には思われる。後ろからも拝見できたのだが(これは中宮寺や広隆寺ではできないことだ)、後ろ姿もまた完璧に優美であった。


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 これらの半跏思惟像に共通するものは何だろうか。まず何よりも、華奢な身体の造形の美しさである。しかし、よくみれば、その美しさは不思議な美しさである。他の仏像と異なって、半跏思惟像たちは仏像的な仏像ではなくて、むしろより人間的であるように思われる。釈尊の像ともされる由縁の一つであろう。ところが、人間的でありながら同時に性別も年齢も超えたものにみえる。実在性を超えた美そのもの、いわばイデア的な美なのだ、とすらいいたくなってくるような美しさを、私のみた三体の日韓の半跏思惟像はみな持っているように感じられる。


 もう一つ、心惹かれる共通点がある。それはこれらの仏の表情である。この仏たちは「思惟」している、つまり大衆をいかにして救済するか思い悩んでいるのだ、などとされてはいるが、実際にこれらの像の表情をみてみれば、苦悩の跡はみじんもなく、深く考えているようにはみえず、むしろ、穏やかにこの世界を肯定し愛でているようにみえる。そして、その穏やかな表情は、解脱し悟り切った覚者のそれであるとともに、幼児の無垢にも通じるような、とても清らかなものだ、と感じられる。そのような精神性が古代の日韓において精緻に表現されている、というのは楽しい驚きであった。


 もっとも、違いはある。木造である日本の二体と異なって、こちらは金銅製であるそうで、また宝冠をはじめ衣装で飾られているせいもあって、より華やかである。頭部が大きくみえて子どもっぽいかわいさがあるが、表情はむしろ大人びていて読み取りにくい謎めいた印象が強く、それだけに魅力的である。全体の造形は、日本の二体ほど写実的ではなく、中宮寺の思惟像の体がどちらかといえばやや少年的(しかしお顔は少し女性的)、広隆寺の思惟像の体がかすかに少女的なところがある(でもお顔はどちらかといえば少年的)とすれば、こちらはより歴然と中性的で、それだけにいっそう美しくあるように思われる。

 

 こんな素晴らしい美しさを日本と韓国が分け合っている、いや、もっといえば、日本の歴史が有したもっとも美しいものたちは、古代中国と並んで、韓国・朝鮮からもたらされたものなのだ、ということはもっと心に刻んでおいていいはずだ・・・。


 そんなことを思いながら、飛行機の離陸時間に迫られて後ろ髪を惹かれる思いで、この仏様とお別れして韓国を後にしたのだが、ふと気がつくと、韓国という時空が自分にとって急に身近になったように感じた。韓国は、日本にとって、重なりきりはしないがかなりの程度重なる、兄であり姉のような国なのだ。


 これまでこの親しいはずの国を不当なほどに疎遠に感じていた自分にいくらか恥じながら、おそらくこれからずっと韓国は私には興味深く身近な時空であり続けるだろうと思った。


by kohkawata | 2015-09-30 18:01 | 韓国の文化 | Comments(0)

ソウルの印象

 先週、ソウルを数日間訪れる機会があった。以下、旅行者のうわっつらの感想なのでご容赦を。

 第一印象は日本とよく似ているなということだった。仁川国際空港から鉄道でソウルに入ったのだが、とくに、地下鉄の車内で見かけた、会社帰りらしい背広姿のおじさんたちは見た目が日本人に酷似していていた。ゆるやかな坂の路地などからなるコンパクトな中心街の明洞(ミョンドン)は、若い人たちと観光客で夜遅くまで賑わっていたが、昔修学旅行で行った夜の新京極のようでもあり(今はどんなか知らない)、さほど異国にいるという印象がなく、ごく馴染みやすかった。ソウルにはかつては喫茶店はあまりなかったときくが、今では街のいたるところにカフェがあって、スタバの模倣みたいな感じのとこが多かったけれど、広々とした穏やかな感じのカフェが多く、やはり馴染みやすく居心地がよかった。

 しかし、時間を経るごとに違いもみえてきた。大雑把にいえば、「社会化」されているなあ、と感じられた。

 社会化とは、社会が広く共有する行動の様式や認識・価値のありようを、個々人が内面化・身体化していくことをいうのであり、どんな社会のどんな人も多かれ少なかれ社会化されているのだが、ソウルの人たちはその度合いが日本などよりも強く単一的だ、という印象をもったのである。

 具体的にいえば、服装や髪型に無造作な人が少なくて、心配りが行き届いている人が多かったが、その様子は保守的でおとなしい感じがした。髪を染めている人の割合は日本より各段に低く、若い人はみなお坊ちゃん、お嬢さん風の見た目であった。地下鉄の車内では勉強している学生をよくみかけ、なんだか安心させられた。どの世代の人も背筋がよく伸びていて、猫背の人をあまりみかけなかった。食堂のおばさんのなかには、世話焼きの「オモニ」を少し無理して演じている、という印象の人もいた。

 また、私のような初対面の人間にたいする対応が、概して、礼儀正しく穏やかであった。街路上に設置された地図を見ていると、二十代くらいの若い男性が、Can I help you? と声をかけてきて、行くべき道筋を英語で的確に説明してくれて、礼を言うと笑顔で応えて、さっと去っていった。こうした、さりげないけど礼儀正しい親切を見知らぬ人にするということは、日本の男性にはあまり見られないことであり、日本の中年女性たちが「韓流」をうっとりと褒めそやす理由の一端もわかった気がした。

 上下関係を重視すること、受験競争が厳しいこと、あるいは民族感情の強さや恨(ハン)の文化、世論が沸騰しやすいこと、あるいは韓流スターたちのどこか人工的な立ち居振る舞い、といった私が断片的に知っている韓国社会についての知識や印象(ごくあやふやなものです)も、考えてみればこうした社会化の強さと関係がありそうである。この社会は、今の日本を含めた他の東アジアの諸地域よりも、日常的な緊張感が強く、ちょっと息苦しい社会なのだといえるのかもしれない。

 もう一つ感じたのは、この社会化の強さということと関係しているのかもしれないが、国家的な力のプレゼンスが高いなあ、ということであった。

 第一に、国境が近い。わざわざソウルに行かなくてもわかることだけど、この首都からみると北朝鮮との国境(正確にいえば軍事境界線)は本当に近くて、街の中央を流れる漢江を下っていくと、その河口はもう国境地帯となる。50キロ程度だろうか。ソウルを京都に置きかえると、距離的には、淀川を下った大阪辺りがすでに北朝鮮だということになる。

 第二に、ソウルにおける米国ならびに軍隊の存在感は予想以上であった。李氏朝鮮時代の王宮跡から南に延びる世宗路が、ソウルの、ひいては韓国の象徴的な中心であるようで、世宗(という朝鮮の国家的英雄)の大きな像がこの通りの中央分離帯に南面して鎮座しており、その前方には世宗を含めた朝鮮全体を断固として守るかのように、武装した李舜臣の立像がある。韓国政府の中央庁舎もこの世宗路にあるのだが、この庁舎の、世宗路と世宗像をはさんだ、ほぼ正面にアメリカ大使館があるのには意表をつかれた。場所も特権的だし、ビルの大きさもかなりのもので、韓国の中心にはアメリカがあります、といった印象をあたえる。そして、この通りをまっすぐ南へ車で十数分ほどいくと、そこには、街の中心部としてはありえないほど広大な米軍基地が広がっていた(移転が決まったそうだけれども)。街では米兵はみかけなかったが、韓国の軍人を時々見かけた。職業軍人ではなく徴兵された人なのだろう、みな若くて、軍人にしてはひょろっとしていて、痛々しい感じがした。

 これは本当にふと感じたというだけの話なのだけれども、このソウルの北方至近にある国境は遠からず動くのではないか、と感じた。東アジアのなかで存在することが最も不自然な国境であり、この国の責任者たちも一般の人たちもその日が来ることをごく現実的なこととして待っていて、それゆえの首都における軍事力の大きさであり、それを一因としての緊張感なのではないか、といったことを漠然と思った。

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 上の写真は檀香梅という花。私が滞在した3月下旬は関西と変わらない程度の気温だったけれど、花はほとんど咲いていなくて、梅さえもまだ少し蕾を開いた程度だった。昌慶宮という李氏朝鮮時代の宮殿の奧に広がる静かな公園に咲いていた、この壇香梅はめずらしくちょうど見頃だった。山の木々は落葉樹が多くてまだ緑が少なく下草もほとんどなかった。そのさびしい木々の間を忙しげに活動していたのは白黒の彩りが鮮やかな鵲(かささぎ)と思われる鳥で、ソウルでは何度もみかけた。しかし、他にはカラスも雀も見かけず、時々路上などで見かけた鳩はひどく痩せて小ぶりであった。ソウルの冬はよほど厳しいのだろう。
by kohkawata | 2010-04-01 11:05 | 韓国の文化 | Comments(0)