カテゴリ:現代日本の文化( 24 )

ゼロ年代の日本社会と山田昌弘氏



 先日、私の勤務先の大学で、山田昌弘氏に来てもらって、講演会と研究会を開催した。

 直接会った人のことをネット上で書くことは、あまりいいコミュニケーションのあり方ではないような気がするので、このブログでは原則としてしない方針だが、氏は著名人だし、再びお会いする機会もなかなかないだろうから、よしとしよう。

 氏はゼロ年代の日本で最も大きな仕事をした社会学者の一人であるといってよいだろう。「パラサイト・シングル」「希望格差」「婚活」といった氏による新造語をはじめとして、彼のここ十数年の仕事は、日本人の自己認識と社会認識を大きく向上させるものであった。

 氏の仕事、とりわけその新造語は、多くの人の心をつかむらしく、社会学の授業で氏の仕事にふれると学生たちの反応がいいように感じられる。香港でも「単身寄生族」(パラサイト・シングル)を語ることが、「隠蔽青年」(引きこもり青年)を語ることと並んで、流行しているという(韓江雪・雛崇銘編『香港的憂悶』Oxford University Press、2006、ix。この頁の文章には2007年の日付が入っている)。氏の仕事の浸透力は、おそらくは東アジアではとくに、高いのだと思われる。

 一連の研究には、とくに斬新な方法や特別な問題意識があるわけではなく、いたってまっとうな調査とまっとうな考察があるだけである。それでもこれだけの仕事ができることには驚きを感じるし、知的洞察・知的貢献とは、とりわけ社会学において、どうありえるのか、改めて考えさせられる。

 「いま社会でも求められる能力とは?」というタイトルの講演会と「なぜ若者は保守化するのか ─ 希望格差時代の若者たち」というタイトルの研究会は、それぞれの聴衆の特徴に配慮した、とてもよいもので、私もいろいろな意味で勉強になった。それぞれの概要は次のサイトにあります。

http://www.kyotogakuen.ac.jp/eco-news/6_4cda7b440d446/index.html
http://www.kyotogakuen.ac.jp/eco-news/6_4cda7e29455b1/index.html
by kohkawata | 2010-11-15 10:35 | 現代日本の文化 | Comments(0)

森毅



 三日間にわたる、メール・チェックもできないほどインテンンシヴな研究会から帰宅して、疲労を覚えながら、数日ぶりにネットをみると、森毅氏の訃報に接した。

 私は森毅の本の長年にわたる愛読者であり、また彼のゼミのゼミ生でもあった。

 森毅の思想というのか、森毅という存在の、そのたぐいまれなおもしろさというものをここに書いてみたいと思うが、うまく書けそうにない。

 彼は、様々な情熱や思惑が渦巻いていた京大のなかにあって、とびぬけて自由な精神の持ち主であったと思う。大学生たちだけではなく、誰でもともすると小さな疑似問題や不安に囚われて自分を小さくしてしまいがちだが、彼はいつもそうした小人たちとのつきあいをユーモアをもって楽しみながら、「それはちょっとちごててね」といった具合に、より広い世界へと精神を開いていく志向をもっていたように思う。京大生たちも、私の知るかぎり、そんな彼を(一刀斎ではなく)「森キ」と呼んで親しんでいたようにみえた。

 私が大学生のころ、彼は京大の教養部の数学の教員であり、「自然科学史ゼミ」も担当していた。毎年、一学期にはゼミ参加者が非常に多く、私は参加したことがなかったが、秋になるとぐっと減って一桁に、時には数人になって、私はこの時期にはだいぶ通った。話題はとくに決まっていなくて、先生の研究室に来た学生が、哲学やら文学やら、あるいは個人的な悩みやら、実に勝手なおしゃべりをして、先生が時々話題に入ってくる、といった感じだった。先生は自然科学史の話などほとんどまったくしなかった。南に面した明るい研究室は、意外にも殺風景なほど整頓されていて、机のうえだけが本や書類が積み重ねられて乱雑であった。

 彼から学んだことはとても多いが、今はやはりうまくまとめられないし、結局かんじんなことは学べていないとも思う。それでも、よく思い出すのは、「どんなことでもずっと続くってことはないしね、変わっていくことを楽しめばええんよ」といった感じの言葉である。その言葉を思い出すのは、時代が変わっていくことを、あるいは自分が老いていくことを、私がうまく受け入れることができていないからだろう。

 晩年の彼は「死に備えない」とも言っていた。どんなふうに老いてどんなふうに死ぬか誰にもわからないからである。実際、オムレツを焼いて大怪我をするとは本人も思いもしなかっただろう。

 亡くなったことはやはりさびしいが、今でも彼の言葉やただずまいを思い出すと、ちょっと笑えてくる。彼は京大という権威的な場所で、「いい加減」なことをして、権威を笑い、退屈な制度と凝り固まった精神の裏をかき、常識をずらしてみせ、周りの人を笑いながら笑わせ、自分のいたずらをたっぷりと楽しんでいたと思う。

 流石に白状はしなかっただろうが、森毅は、自分のことが大好きだったんだろうなと思う。それはやはり笑えることではないだろうか。
by kohkawata | 2010-07-26 21:07 | 現代日本の文化 | Comments(2)

映画評論と満男の告白


 ここしばらく、かなり長い文章の仕上げと、研究会用の長くない文章の二つを平行して書いている。どちらもまあまあ順調に楽しく書いているが、おかげでかなり忙しい。しかも蒸し暑く、しかもワールドカップがあり、しかも意外にもまだ日本に希望が残っている。

 以下の文章はちょっと前に書きながら、アップしていなかった。なんとなく暑苦しい文章だからということもあり、ちょっと躊躇していた。迷ったならしゃべってしまえ、が正しい原則かもしれないと思い直して、アップしよう。

・・・・・・

 映画が好きだし研究もしているので、日本の映画評論家の文章もよく読む。しかし、その内容についてはどうかなと思うこともある。とくに、映画館で素晴らしい映画を見終わったあとの余韻に浸りながら幸せな気持ちでパンフレットをめくっていると、ちょっと浅薄な文章に出くわしたりして、余韻もいくらか醒めてしまう、ということがよくある。高名な評論家・研究者の文章であっても、である。

 そうしたなかにあって、佐藤忠男氏の映画評論を私はわりと信用しているし、同感することも多く、いろいろと学んできた。たいへん博識でありながら、それぞれの映画の勘所をさくっと押さえる感じは、淀川長治に似ていて、しかも説明が丁寧で、くせがないと思う。スノッブさがみられないのも、貴重だ。

 最近たまたま目にした彼の山田洋次についての発言は、まさにそうだと大いに共感した。

「彼[山田洋次]は日本の男にきちんとした愛の言葉をしゃべらせようと一生懸命努力するのですよ。だけれども、それがリアリティがない。そこでいろいろ苦悶してコメディになっているわけです。コメディとして扱っている分には、みんな受け入れるのです。それが生のヒューマニズムの言葉として使うと、「キリスト教の宣伝映画やなにかなら別だけれども、大衆娯楽映画の世界でそういう見え透いたことをやるな」と言って批判される。インテリ中のインテリと目されるような人が「本当にどうしようもない奴だ」という言い方をします。まともに愛を語らせようとするとたしかに大変なんです。」(佐藤忠男「映画とテレビ・ドラマから見た公と私」宮本久雄・金泰昌編『公共哲学 第15巻 文化と芸能から考える公共性』東京大学出版会、2004年、22頁)

 以前、『男はつらいよ』の最後の作品(『寅次郎紅の花』1995年)を観ていたら、寅さんの甥がかねてから好きだった女の子に「愛している」と告白するシーンがあった。そのセリフはかなり唐突で、それこそ何のリアリティーもなく、この名手がこんなダメなシーンを撮るのかと、驚かされたことがある。だが、たしかに、山田洋次の軌跡をちゃんと辿ってみれば、このシーンには万感の思いがあることがわかる。何十年かかかっても、何十作撮っても、どうしても寅さんが言えなかったこと、それを山田洋次は最終作になるであろう作品のなかで、未来を担う若い男にどうしても言わせたかったのだと思う。

 愛の言葉をめぐる山田洋次の逡巡と挑戦、あるいはそれに全面的に共感する同世代の佐藤忠男の思いにたいして、異なる世代である私は完全に同調できるわけではない。むしろ、「ああ、そんなことにずっとうじうじしてたんだなあ」と驚きのようなものを感じさえするし、そんな入口辺りで逡巡してるなよ、と苛立つ人(寅さんに怒って寅さんをすてたリリィーのように)がいても理解できる。それでも、そういう形の、誠実でありたいという願いがかつてあったということにはある種の感銘を覚えるし、そのような願いにおいて山田洋次を理解するという佐藤忠男のとらえかたはいいなと思う。

 そうした持続的な挑戦がなされていることを汲み取れずに、単に「凡庸」と勘違いして小馬鹿にする「インテリ中のインテリと目される人」への佐藤忠男氏の反発もよくわかる気がする。
by kohkawata | 2010-06-23 18:23 | 現代日本の文化 | Comments(0)

正しかった予言


 未来を、もしまぐれ当たりではなく、ある程度正しく予言できるとしたら、それはなんと偉大な知的能力であろうか。

 すでに終わって不確定要素のない過去の事でさえ、十分に理解することは難しい。現在生起しつつある事は、そこに感情の負荷がかかりやすいこともあって、いっそう理解しがたい。さらに未来ということになれば、過去と現在の、膨大な事象・情報をかき集め咀嚼しつつ、そのなかに一見したところささやかであっても、本質的な、あるいは重大な兆候を数多く見いだして、さらにそこから演繹・推論し、未来を短期的・中期的・長期的に、しかも統合的に予想する、ということをしなければならない。そんなことはとうてい無理なので、誰でも未来について希望なり不安なりを抱きながらも、未来を予想してそれを文章にして公表しようなどとは、山師以外には、しないはずだ。

 だが、権威ある学者が、大胆にも日本社会の未来を予言し、しかも結果として大筋のところ正しかった、という文章に、最近二つ遭遇した。

 一つは、アメリカの社会学者で日本研究者でもあるR.N.ベラーの文章である。彼の『徳川時代の宗教』(岩波文庫、1996年)のなかの、1985年の日付の入った「ペーパーバック版まえがき」を必要があってぺらぺらと読み直していたら、こんな文章があった。

 「しかし、急速な近代化に不可避的に伴うと思われる損耗 ― 成功のための諸条件をいずれ否定することになる損耗 ― は、日本にありありとみられ、そのために、将来数十年間、日本が優越さを持続すると予想することは、ほとんどむずかしいと思われる。」(25頁)

 1985年といえば、国際的な経済的比較のなかでいえば、日本の絶頂期と言ってよい。その段階でベラーは日本の衰退をほぼ正確に予見していたということなる。

 そもそも1957年に出版された『徳川時代の宗教』自体が、正確な予言の書であった。この時日本はようやく戦中・戦後の荒廃から立ち直ってきたばかりであり、その段階でベラーは、日本社会には徳川期以来の、家族や地域集団のなかで育まれてきた、集団への忠誠と勤労道徳があって、それが日本の近代化を支えてきたことを力強く主張するとともに、そうした伝統が今後の日本社会の発展をも導くであろうことを暗示している。

 そのような伝統はたしかに戦後も日本の経済成長を促した(それは最も典型的には通産省の官僚たちの優秀な仕事ぶりに表れているとベラーはいう)。しかし、家の構造を含めた家族の変容と地域社会の衰退と都市化のなかで、80年代までにはその伝統は大幅に失われてきているので、日本社会全体が衰退していくだろう、と保守的な社会学者であるベラーは再び予言したのである。ベラーという人はずっと、日本社会の行く末をかなり正確に見通していたことになる。

 しかし、ベラー以上に、正確で詳細な予言になっている文章として、中井久夫氏のものをみつけた。それは「引き返せない道」というタイトルで1988年に書かれた文章で、後に『精神科医がものを書くとき』[Ⅰ](広英社、1996年)に、さらに最近の『隣の病い』(ちくま学芸文庫、2010年)に収められている。彼はそこで、簡潔な文章で、次のようなことが日本において起こるであろうと予想している。

 勤勉・集団との一体化・責任感過剰・謙譲などの徳目は第一線に退き、かわって、「変身」「自己主張」「多能」の性格が前面にでてくる。平凡な人がなる「サラリーマン」が消滅していき、労働組合の存立基盤が危機に陥る。階級格差が広がり、国民総中流の神話は消滅する。労働者内部の格差も拡大する。ナショナリズムはほどほどにとどまる。日本以外に目をむけると、平和が続けば、台湾・韓国・シンガポールのほかにタイ・インドネシアが発展し、社会主義のある面を変革できれば、ベトナム・中国・北朝鮮がそれに続く。だが、中国は地域差が拡大するであろう。アメリカの没落を予言するのは間違いであり、アメリカはとりわけ緊急対応力の最大の国家であり続けるだろう。

 この予言を私は1996年の段階で読んだけれども、漠然と「そうかなあ」と思ったことを覚えている。しかし、文庫版になった最近改めて読み返してみて、細部はともかくとして、大筋のところこの予言が正しいことに、しかも後に中心的な問題とみなされる現象が列挙されていることに非常に驚いた。日本の社会学者や経済学者が格差拡大の問題に本格的に取り組みだすのはゼロ年代の初め頃で(そして格差が本格化したのは90年代末ごろと事後的に確認された)、世間が格差社会に騒ぎ出すのはゼロ年代の半ばくらいではなかっただろうか。また、同時多発テロ以降のアメリカのふるまいを正確に予見したかのような部分にも恐れ入る。

 かく正確に未来を予見できた人が、現段階において日本の未来をどうみているのか、大いに気になるところである。

 1997年の「昭和七二年の歳末に思う」(初出神戸新聞、『清陰星雨』みすず書房、2002年)では、この段階としてはおそらく異例なほど悲観的な予兆を感じていたことを示している。「今の雰囲気はいかにも昭和十九年に似ている。もはや勝利がありえないと感じながら、敗けるとはどういうことかが想像できないままに日々をやり過ごしていた時期である」(184頁)。さらに、「まっすぐに魚雷が迫ってきて、もはや回避できないとわかって乗船者の私が手すりを握りしめて、衝撃を待つ、重苦しいというも愚かな気持ち」(187-8頁)であったとも言う。

 最近の著書『日時計の影』(みすず書房、2008年)にある「先が見えない中を生きる」というエセー(初出2008年6月)では、より悲観的で、もう少し具体的である。およそこんなことを言っている。

 国内的には二大政党制が生まれそうであるが、本当に機能するのかどうか、大いに怪しい。近年、医療・年金・格差が問題化されたが、どう解決するのかまったく見えてこない。官はダメで民ならよいとは言えないであろう。世界的にも人材難である。そもそも、世界の人口は異常発生といってよいほど増えすぎており(二万年前に現れた現人類の総死者数よりも今生きている人間の方が多い)、温暖化も、資源や食糧が枯渇するのも、当然である、云々。そして、中井久夫は次のように結論的に言っている。世界を長いスパンでみれば結局は「すべてがリセットされるかもしれない。もっとも、思いがけない転回もありうる。われわれは先がみえないからこそ生きてゆけるのだと言ってよいかもしれない。」(217頁)

 二十年前の予言よりも、ずっと悲観的で、破滅的とさえいえるトーンになっている。彼は、亡国ということを軽々に言うべきではない、ともどこかで言っているので、これでもある程度遠慮した表現であるのかもしれない。

 むろん、破滅の予言は、一般的にいって幸いにも、外れることが多い。そのような予言は予言する人の個人的な精神状態の投影だ、ということもよくあるだろう。背後には、世界や社会の破滅よりも、個々人の破滅の方がはるかに容易である、といった事情もあるだろう。だが、中井久夫氏の悲観的な予言にたいして、反論の材料をみつけることが、私にはほとんどできない。たしかに思いがけぬよいことが起こるかもしれない。けれども、人体であれ社会であれ回復とは、中井久夫がその統合失調症の回復論で言うように、単発的・散発的な要因で起こるのではなく、全体的な好条件・好環境のなかで徐々になされていくものではないだろうか。
by kohkawata | 2010-05-20 15:37 | 現代日本の文化 | Comments(8)