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『この世界の片隅に』の感想


 今日、8月25日、287日続いたという上映がとうとう最終日だというので、テアトル梅田で『この世界の片隅に』をもう一度見に行った。

 最初にみたときにはひどく動揺して言葉にもならなかったが、二度目は少し落ちついて観られた。感想を書いてみる。監督や評論家とかがどう言っているか、あえてみないようにしている。

 私にとって、もっとも感動的なのは、原爆投下後数ヶ月経った広島で、孤児(みなしご)となった女の子がすずさんの右腕に手を伸ばすところ、そして、すずさんと周作さんがこの女の子を受け入れて一緒に呉に帰るところである。

 孤児からみれば、これは端的な救済である。同時に、主人公のすずさんからみれば、これは自分が親になることを引き受ける瞬間である。

 すずさんは、すでに姪の母親代わりになろうとしていた。しかし、それは姪の命と自分の右手首を失うことによって悲劇的に挫折していた。

 そう考えると、この映画は全体として、すずさんが、戦争のとんでもない暴力に何度も打ちひしがれながらも、力強く大人になったことを描いているとみなすことができる。

 思えば、すずさんも元々は孤児のような人だった。両親の影はなぜか薄くて、すずさんはわけのわからぬうちに嫁に出される。嫁入り先ですずは新しい家族ができたというよりは、足の不自由な義母の代わりの住み込みの家政婦のようである。当惑した彼女は「自分はこんなところで何をやっちょるのだろう」みたいなことを言う。そして、親に売られたのであろう、水商売の女性に友情を抱く。

 元々孤児のような境遇だったうえに、兄は徴兵されて戦士し、初恋の人も死を覚悟の出兵をし、姪を眼の前で殺され、母を原爆で失ってしまう・・・そうした国家的な暴力に親しい人を何度も殺されながらも、すずさんは大人になろうとする。

 そんなことがどうして可能なのか、どうしてすずさんは力強く大人になれたのか、映画はそのことをそんなに丁寧には描いてはいない(映画が丁寧に描いているのはすずさんの日常で、だからこそ暴力による日常生活の破壊が痛ましい)。

 しかし、玉音放送を聞いたさいのすずさんの行動の描写は、そのことを示そうとしていると思える。すずさんは、敗戦を知って、他の人と違って、「最後の一人まで戦うんじゃなかったんかね!?」みたいなことを叫んで激しく怒る。そして、自分の身体が植民地から奪い取った食料によってできていることを嘆く。

 この、原作にないセリフも含んだシーンは、少し唐突でわかりにくい。すずさんは、終戦に激怒するほど軍国主義者ではなかったはずだし、あまり教育を受けていなくて植民地のことなんてさほど理解していなかったはずだ。にもかかわらず、このシーンがあるのは、いかにも前近代的で戦前的だった従順な彼女が戦争の苛烈な運命をすべて受け入れたうえで、それを乗り越える、戦後的な主体の象徴として成長する必要が、映画の展開のうえで必要であったからではないだろうか。大切な人を何人も失ったことも、右手首を失ったことも、得意だった絵を画くこができなくなったことも、さらには日本による大規模な侵略も、米国による大虐殺も、そのすべての運命に苛まれ受け入れざるをえなかった日本人の象徴的代表として彼女は終戦を迎えるのだ。そして、かく理不尽な運命に苛まれながらも、自らの意思と責任で生き抜こうとすることで、戦後日本人の女神的なイコンとして転生する、ということがこのシーンとそれに続く孤児の受け入れのテーマにおいて表現されているのだ、と私には思われる。

 もっとも、これは生身の人の描写としてありえないほど飛躍しているのかもしれない。これはドラマをまとめあげようとするために設けられた、少し無理のある言い訳めいたシーンというべきなのかもしれない。

 この飛躍的すぎるのかもしれない成長が、それでもわりと自然にみえる背景には、周作さんが最初から変わることなくずっとすずさんのことが大好きだということがあるだろう。それが確かにこの映画の救いで、二人が結婚してから次第に信頼と愛着を深めていくさまはほほえましい。しかし、にもかかわらずこの終戦のシーンにおいて周作さんが留守であるのは、この映画の主題が必ずしも夫婦愛にあるわけではなく、むしろやはり、すずさん自身の神話的ともいえる成長にあること示しているように思われる。

 かくなる成長とともに、孤児のようであったすずさんは、自分に母親の面影を感じて救いを求めた孤児を受け入れることを、静かに、しかし決然と受け入れる。

 すずさんの姿は子どもっぽくて、声も可愛らしくあどけない。そんな人が、何度もひどい暴力に苛まれながらも、それでも母親になろうとする、その健気さに、この映画の感動のわけがあると私には思える。すずさんの成長は神話的でもあるが、しかしおおげさな理想化がなされているわけではなく、十分に抑制的に描かれていて、人の好感を逃さない。

 最初にみたときは、動揺しすぎてエンディングなんか目に入らなかった。しかし、今回みたら、そこには、すずさんと引き取られた女の子、それから周作さんの姉の径子さんの姿が描かれていた。みな、可愛らしい戦後風の洋服をきていて、この映画の手抜きのないやさしさをうれしく感じた。


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by kohkawata | 2017-08-25 19:44 | 現代日本の文化 | Comments(0)

懐古的な『さびしんぼう』を懐古する



 闘病中の大林宣彦監督の『さびしんぼう』をDVDで見直してみた。

 私がこの映画を最初に観たのは、高校の2年生が終わる頃の、高岡の御旅屋通りにあった映画館で、であったと思う(記憶違いかも)。1986年の春だったはず。 

 高校生が主人公のこの映画に、高校生であった私はいたく感動したのだが、思い出すと、それはセンチメンタルで美しい初恋のドラマとして感動したように思う。尾道のノスタルジックな光景、富田靖子演じる百合子さんの美しさ、「別れの曲」の甘いメロディー、そんなものがあいまって、映画館を出て、すっかり暗くなった高岡の街で呆然としていたのを思い出す。

 その後、だいぶたってから何度かビデオやDVDで見直したのだが、最初に観たよう時のような感動は必ずしも覚えなかった。音楽を使いすぎているし、効果音が安っぽいし、『さびしんぼう』というタイトルも「さびしんぼう」のキャラもちょっと恥ずかしい。全体にセンチメンタすぎると感じるようになった。

 もっとも、その前後、監督の他の作品もみて、どれもそれぞれによかった。『転校生』(1982年)と『時をかける少女』(1983年)は、映画好きであった私の兄のお気に入りだったこともあって、懐かしいし、『廃市』(1984年)もよかったし、『野ゆき山ゆき海辺ゆき』(1986年)も、タイトルを含めて部分的にはいいと思ったし、そして、山田太一原作で風間杜夫主演の『異人たちとの夏』(1988年)には、かなり強い感動というか悲しみを覚えた。

 しかしそれでも、『さびしんぼう』が大林監督の映画のなかでは最も思い出深い好きな映画であることに今でも変わりはない。そして、今回見直してみて、以前には感じることのなかった作品の中心テーマが、なぜか今ごろになってようやく見えてきたように思った。私は長いあいだ、この作品に感動しながらも、その内実を意識的にはよく理解していなかったようだ。

 尾道三部作の三作目としてよく知られた映画だが、一応書いておけば、こんなプロットだ。 

 尾道に住む主人公の高校生のヒロキ君は、同じ年頃の百合子さんに恋をする。近所の高校の教室でピアノを弾く彼女の姿を双眼鏡で覗いたり、自転車で通学途中の彼女とすれ違ったりしているうちに、彼女の美しい姿に魅了されてしまうのだ。

 言葉を交わしたことすらないのに、ヒロキ君はすっかり彼女に夢中で、他のすべてのことはどうでもいいという態度である。何でもいいあえる仲のよい友人たちのことも、子どものころからの知り合いの近所の母娘のことも、偉そうなのに小心で俗っぽい教師たちのことも、何を考えているかわからない坊主の父親のことも、ぼけかけた祖母のことも、何かと小言を言ってくる母親のことも、すべては当たり前の日常で、全部めんどくさいなあと思って、百合子さんのことばかり考えている。

 そんなとき、ピエロの格好をした「さびしんぼう」と名乗る女の子がどこからともなく現れて、ヒロキ君と母親に何かと騒がしくまとわりついてきて、この母子の日常をかき回すのである。

 映画は、このピエロによるドタバタを少しくどく描いていくのだが、そのなかでこの「さびしんぼう」が実は16才のときの母親であることを明らかにしていく。母親は16才のときにヒロキという名前の男の子に恋をして失恋してしまうのだが、後に別の男性と結婚して生んだ子に同じ名前を付けたのだ、という。この失恋をしたときの16才の母親が、どうしたわけか現在の世界に現れた、というわけだ。そして、「さびしんぼう」は、現在の母親=自分にたいして、息子にたいして叱責ばかりせずにもっと息子の気持ちを汲んで受け入れてやれ、といった意味の説教をしたりする。

 この「さびしんぼう」はなぜか雨に濡れると弱ってしまうらしく、散々母子の生活に土足で踏み込んで荒らしまわったあげくに、ある雨の日に、もうお別れをしなければいけないと泣きながらヒロキ君のもとを去っていく。ヒロキ君の方も、結局百合子さんに振られてお別れとなる・・・というお話である。 

 今回はじめてわかったのは、この映画が、ヒロキ君の初恋の話というだけではなく、むしろヒロキ君とその母親との別れのドラマなのだ、ということである。我ながら信じがたい鈍感さだが、高校生のときには少しも気づかなかった。

 高校生のヒロキ君とその母親は別れが近づいていることをお互いとくに気にしている様子もないが、「さびしんぼう」は、百合子さんに恋をして母親=自分のもとから息子=ヒロキ君が去っていくことをひどく悲しんでいて、悲しすぎて弱って死んでしまうかのようである。「さびしんぼう」が泣く姿をみて、のんきなヒロキ君もさすがに少し同情して悲しくなる。つまり、映画は、表面的にはいつもと変わらぬ日常の深層で進んでいく、母子の分離のドラマを描いているわけだ。

 この映画は、この母子の別れの悲しみを歌い上げているのだが、同時のこの母と子の互いの思いが、微妙に、しかしはっきりとすれちがっていることも示している。

 母親の息子への愛情には微妙に性愛的なものが含まれている。ヒロキという名前が母親の初恋の相手の名前からとられていることで、この母親の性愛的な思いが息子に注がれていることがわかるし、「さびしんぼう」は百合子さんに嫉妬している様子でもある。母親のこうした性愛的な思いは当然ながら満たされることはなく、かつてヒロキにふられたように、母親はもう一度ヒロキに捨てられるのである。

 一方、ヒロキ君は、日常的には母親の存在をうっとおしいと思っているし、そんな母親の性愛的でもある愛情を気にもとめない。けれども、そのヒロキ君もどこかでは母と別れていくことを悲しんでいるのであり、それが百合子さんへの思いに移し替えられているようにみえる。ヒロキ君にとって初恋は、初めて異性に性愛的に魅かれるということだけではなく、この母子の分離にたいする補償という意味をもっていることを、映画は、暗示しているというよりは、はっきりと意図的に描いている。百合子さんと「さびしんぼう」は富田靖子の二役で、だからヒロキ君は若き日の母親に似た姿に恋着している、というわけになる。母子がともにあったパラダイス的な日々が終わりつつあるからこそ、母親と似た異性の面影にすがりつこうとするわけだ。

 興味深いのは、「さびしんぼう」の方が怒ったり嫉妬したり泣いたりしてひどく人間的で全人格的なのに、百合子さんはいつも無表情でどんな人かわからないということだ。だから、ヒロキ君が好きなのは、母親や百合子さんの等身大の存在なのではなく、その姿の美しさや声や匂いといった、記憶のなかにある断片的で物質的なものだと考えられる。だから、ヒロキ君は母親との別れを心の奥では深く悲しんではいるのだが、実在する目の前の母親とは無関係に、母親の断片を弄びながら一人で悲しんでいるわけだ。子どもの母親への愛着とはたいがいはそんなものなのかもしれない。

 かくしてヒロキ君は母と別れるのだが、彼が失うのは、母や母と似た百合子さんだけではない。すでに高校生でもうすぐ大人にならなければならない彼は、数年のうちに子ども時代のすべてを急速に失っていくだろう。友だちとの気のおけない関係も、バカバカしくも楽しい学校生活も、家族を支えてくれていた父も、すべてを失っていくのであり、親げながらも儚くもある、どこか「廃市」を予感させる、尾道の風景を丁寧に写し込んでいるこの映画はそうした大きな喪失体験を描いているようにみえる。

 父親は何をしているのだろう、というのがこの母子のドラマにたいする素朴な疑問であろう。妻が初恋の相手の名前を息子につけることをスルーしたこの父親は、無口なうえにたまに口を開いてもトンチンカンなことしか言わず、何の役割も果たしていないようにみえる。そして、この映画は、ヒロキ君の父親だけでなく、すべての「父親的」なものを丁寧につまみだしている。祖母はいても祖父はおらず、校長先生は男だがヒロキ君たちに散々からかわれ、PTAの会長は間抜けなおばさんで、男の担任の先生は悪い人ではないがエロい俗物として笑われている。百合子さんにも母はいるが父はいない。尾道には「父」はおらず、尾道の外の世界はいっさい描かれない。

 『さびしんぼう』で表現された「父」を欠いた母性的な時空、それはいかにも戦後日本的な時空である。もっといえば、それは戦争からも貧困からもバブルからも衰退からも自由であった、「現実」がどこか遠い、ユートピアのような1980年代的な時空、我らが高校時代である(もっとも、映画では向島の百合子さんの家は貧乏で、貧乏なのに和服を着ていたりして、そこには80年代というよりはもう少し前の時代の、たぶん監督の少年時代の雰囲気がある)。

 その母性的な時空にあって、はっきりと自覚しなくても予感せずにはいられない母の喪失が大きければ大きいほど、人はきっとそれに直面などできないのだろう。ヒロキ君が百合子さんを強いて追いかけたりしないのは、結局彼にとって百合子さんが、失われいくすべてのもの(なかんずく母)の悲しい代理にすぎないからで、百合子さんは最初から消えていくべき形象なのだ。百合子さんを失って、それを悲しむことで、むしろ本当の悲しみから何とか逃れることができるような気がしているのかもしれない。

 意識できない別れの悲しみというテーマは、前作の『時をかける少女』でも主題的なものだ。主人公の和子は未来からきたという青年と別れるさいに記憶を消されるのだが、それでも覚えていないはずの初恋の思い出を抱きしめるかのように、独身であり続けるという結末になっている。『異人たちとの夏』では、このテーマが発展していて、亡霊として蘇った若き日の母と父と再会したうえで改めて永遠に別れる、というプロットになっている。それまではちゃんとお別れできていなかった、ということだろう。

 映画は最後に、実はヒロキ君が百合子さんと結婚したことを示すが、これは映画的な慰めといえよう。 映画のなかのヒロキ君は、百合子さんと結婚するばかりではなく、父親の跡を継いで住職に納まっているので、尾道の街とも別れずにすんでいるし、おそらくは老いた父母ともともに暮らし、高校時代の親友たちとも、盆正月には会えるだろう。だから、この映画を観終わった観客は、「なんだ、よかったじゃないか」とちょっと安堵することができる。しかも映画は、結婚した百合子さんがヒロキ君に「もう一つの顔」を見せている、と語る。つまり、失われていくべき形象とは別のより実在的な百合子さんが呈示されているとすることで、ヒロキ君も観客も現実に立ち返ることができるのである。

 しかしながら、実際の人生はそう簡単に幻想から目覚めて心地の良い「現実」に立ち返えられるわけではないだろう。尾道のような衰退していく地方都市には仕事も希望もないから、多くの若者は東京や関西といった大都市圏に移住してちりぢりになって帰ってくることはない。子ども時代の豊かな幸せと小さな不幸は、高校時代の終りととともに、ほとんどすべて失われて記憶のなかにしまわれていく運命にあるのだ。

 大きな喪失を抱えて、人はどうすればいいのだろうか。

 映画『さびしんぼう』は、そのノスタルジックな風景や甘い音楽、あるいは都合のよい結末とはうらはらに、青春の過酷で普遍的な喪失の運命を鮮やかに表現していると思う。



by kohkawata | 2017-07-24 16:11 | 現代日本の文化 | Comments(0)

『この世界の片隅に』


尼崎の映画館で、『この世界の片隅に』を観ました。

感動しました。
できの悪い小学生の感想のようですが、とっても感動しました。

ぜひとも劇場で観るべき映画だと思います。

by kohkawata | 2016-12-06 20:17 | 現代日本の文化 | Comments(0)

「海辺の伝説」の上演

  伯母の森禮子の戯曲が舞台にかかった。

 伯母がまだ37才であった1965年に初演された「海辺の伝説」(『森禮子戯曲集』所収)を、福岡を拠点とする「ゲキダン大河」が今回上演したのである。演出は佐藤順一氏。私は11月26日(土)の13時からの回を拝見した。

 異人館のダイニングルームのなかだけでドラマは進んで行く。こんな話だ。 

 夫亡き後、惚けたようにトランプ占いばかりしている未亡人白沢夫人と、父の残した異人館を守るべく一人で奮闘する長女綾子の二人が物語の中心にいる。他に、未亡人の弟で文学青年くずれで居候の宗吉と、銀行に勤める未亡人の長男信彦、亡き夫が愛人に生ませた次男勝彦とがいる。

 異人館に住むこの五人は、すでに気持ちがばらばらであることが、演劇の冒頭で示される。みな同じ部屋にいるのに、別々の場所で別々のことをしながら別々の方向に視線をむけている。家族にはすでに資産はなくアメリカ人の船長が建てたという古びた異人館と借金だけが残っていて、支払いが滞ってガスさえもとめられようとしている。

 それでも、この家族はバラバラなんかではなく今でも豊かで楽しい生活ができていると惚けた夫人は思い込んでいるし、綾子はがんばれば家族を立て直すことはできるはずだとまだ信じて必死に努力している。神様を信じている綾子にとって、事実はどうであれ信じることが救いなのだ。だが、男たちはみなもうばらばらになっていることを知っていて、信彦は自分さえうまくやっていければよいという態度で家族のためには一銭たりとも払おうとしない。勝彦は反抗的な態度でこの家族が欺瞞に満ちていることをみなに知らしめようとするし、宗吉は劇中で何度も家をでていこうとしている(だが、なぜか彼はその度に出立を延期する)。

 綾子はなんとか一家を救うべく、知人の金持ちのお嬢さんをハンサムな弟信彦に紹介して結婚させようとしている。銀子という名前のこのお嬢さんは異人館を訪れる約束をしていて、舞台の上でみなが、銀子さんこそが一家を救うかもしれないと期待して、その来訪を首を長くして待っているのだが、約束の時間を過ぎても銀子さんは来ない。たまりかねて信彦は駅に迎えに行くが、銀子さんは現れなかった。家族の全員が、とくに綾子は、ひどく落胆する。きっとこの家族にはもはや資産も何もないことがばれたのだろう、だから来てくれなかったのだ、とみなは諦める。

 信彦の結婚がだめならば、最後の望みは「手文庫」だということになる。手文庫とは、未亡人の夫が残したもので、この手文庫のなかには膨大な遺産が残されているはずだ、とみんな信じているのである。

 演劇のクライマックスは、これまで開けずにいたこの手文庫を開けるシーンである。そこにちゃんと期待通りに遺産が残されていれば、異人館を守ることができるし、家族は再出発できるはずだ。みなが固唾を呑んで見守るなか、鍵を管理していた綾子が手文庫をあける。だが、そこには無価値な古い証文の類があるだけであった。

 綾子は、実は、手文庫のなかにはめぼしい遺産は何もないことを最初から知っていたのだが、あえてそれを隠してきたのである。何かあると期待させることでみなをつなぎとめられると思ってきたからであろう。

 だが、何もないことがわかった今、家族はとうとう本当にバラバラになる。ずっと姉の家に居候してきた宗吉は、意を決して本を担いで出て行ってしまう。異人館に憧れてお手伝いをしていた、まだ若くて純朴な喜代は、一つの家族が崩れ落ちていくのを目の当たりにして、呆然とする。

 そんな話である。

 原作では、登場人物たちの個性がかなりくっきりと描かれているのだが、演劇においてはそれぞれの役者さんたちがかなりがんばってその個性をしっかり血肉化していると感じた。原作と演出と役者とが、時代や世代を超えて、ちゃんとうまく繋がっていて、演劇として十分に成立していて、なかなかの迫真の人間ドラマとなっていた。とくに、今風の人物ではない、真面目でヒステリックな綾子は共感しにくかったかもしれないが、熱演であったと思う。白沢夫人の惚けぶりも怖いほどであった。若い役者さんも多かったが、偉そうな言い方で恐縮だが、いい経験を積んでいるのではないかと思った。宗吉は、原作ではちょっと滑り気味の道化役であったので、演じるのはなかなか大変であったかもしれない。

 作品世界と作者の実生活とを重ねるのは邪道とする研究者もいるが、私は一般論として必ずしもそう思わないし、親族にしかわからない部分もあるかもしれないので、ちょっと書いておく。

 前にもこのブログで書いたが、伯母の戯曲作品では、この「海辺の伝説」と同じように、夫を亡くした夫人とその子どもたちという構成の家族が繰り返し描かれている。

 これは伯母自身の若いころの時代の家族構成とよく似ていてる。「海辺の伝説」では、未亡人の子どもは長女・長男・次男の三人だが、現実には、伯母からみれば、母と姉二人、弟一人(私の父親である)の家族であった。長姉は伯母が十七才のときに亡くなっており、次姉は米国人と結婚して渡米している。劇中の次男勝彦は、本当のことを率直にいう説明役ともいうべき存在で、その意味で実在性に乏しいことも考えあわせると、劇中の家族構成と、ある時期の伯母の実際の家族の構成とはほぼ正確に重なる。つまり、母と娘と息子の三人である。

 だが、劇にはもう一人の隠れた重要人物がいて、それは未亡人の夫、綾子の父親である。この人がどんな人であったか、異人館を買って交通事故で急死したこと以外語られていないが、伯母の父親は建築技師で福岡の県庁に勤めていた。伯母はこの父の三女として福岡で生まれ、父親の転勤にともない三才で大阪に転居したが、その地で父親は病をえて、福岡の元の家に一家で帰り、その年のうちに亡くなっている。1933(昭和8)年、伯母がまだ5才であった時のことである(以上は森禮子『じゅすた遺文』所収の年譜による)。

 この一家が異人館のようなりっぱな洋館に住んでいたという話はきかないが、父親が亡くなり終戦を迎えたのちの生活がかなり苦しく、この時期に「家作」を次々に手放したという。この境遇は、劇中の白沢家の状況によく重なる。また、綾子が建築としての家に拘っていることは、伯母の父親が建築技師であったこととも相通じる。また、居候のおじも実際にいたらしい。満州で鉱山を掘り当てて成功したもののわけあって郷里に出戻っていたこのおじには放蕩の傾向があったともきくので、劇中の宗吉の様子とも多少重なる。

 このように見ていくと、この「海辺の伝説」は伯母が自分の家族をベースにして創作したものだ、といって間違いないだろう。

 そして、伯母自身がもっともよく投影されているのは、当然ながら綾子であろう。長姉が亡くなり、次姉が渡米し、弟が就職をして関東に転居するなかで、最後まで母親と暮らしていたのが、伯母である。私の知る中年以降の伯母は綾子のように一家を守るために懸命であったとか真面目な人という印象はないが、当時の彼女の置かれた状況を考えれば、そうなるのは仕方ないことであったろう。三人続けての女の子の三番目であった伯母と最初の男の子であったその弟との間が生易しものではなことは簡単に想像できるし知らないわけでもないが、綾子と信彦のあいだの不信と諍いも深刻なものとして表現されている。

 綾子は神様を信じており、伯母はクリスチャンであった。年譜をみると、19才のときに西南学院バプティスト教会で受洗している。母親が夫の死後に入信しているので、母親の影響であろう。それ以降伯母は終生クリスチャンだった。

 この劇のなかにははっとするセリフがあって、それは勝彦がお手伝いの喜与にむかって綾子への不満をいう文脈で言う「世の中にゃ神様を信じているつもりで、信じていると思っている自分を信じているやつが多いんだ」というところである。これは、信仰というあり方そのものへの批判だし、また「家」を信じている綾子への当てつけでもあって、この批判は劇中で反論されることはない。

 つまり、この劇は、一家の崩壊を描くとともに、綾子の信念が崩れ去っていくことを描いてもいる。もしも、伯母=綾子なのだとすれば、「海辺の伝説」はかなり深刻な自己批判・自己崩壊の劇なのだともいえる。劇が終わったとき、綾子にも白沢夫人にも、もう何の未来も希望も残されていないかのようである。

 現実の伯母は、しかし、28才のときに福岡を離れて上京している。遅い上京であるが、すでに地元の文芸誌に多くの作品を発表し福岡の局のラジオドラマの脚本なども書いていた彼女は、東京で文学者として本格的に身を立てる覚悟であったのだろう。したがって、伯母は、家を懸命に守ろうとした綾子でもあったのだが、結局は姉を捨てて旅立った、文学好きの宗吉でもあるわけだ。

 ちなみにいえば、白沢夫人のモデルにあたるのかもしれない伯母の母は、伯母が上京してから半世紀近く生きた。その大部分の年月を、結婚し子供を生み育てた同じ家で一人で暮らした。その間、惚けたりはしておらず、せっせと家事をし近隣の道の掃除までして、きちっと教会に通っていたようだ。白沢夫人のイメージとかなり異なるが、孫の私からみてあったかいやさしいおばあちゃん、といった感じはほとんどなくて、その点で子どもたちに興味がなさそうな夫人と似ているかもしれない。

 伯母は、実家から去ったがその母と同様に信仰は捨てなかった。だとすると、勝彦の信仰批判は、伯母自身のなかではどう受け止められたのか、私のような信仰のない人間にはよくわからない。ただ、私は、前にもブログで書いたが、父を欠いたまま家族が崩れていくことと神への信仰とは、伯母のなかではまっすぐに繋がっているのではないかと思う。そして、伯母には、自分のことも突き放してみるような、俯瞰的で冷徹なところがあるように感じられる。

 いずれにせよ、「海辺の伝説」は、ある時期の伯母の家族が終わっていった現実をドラマにしたものだと考えていいと思う。そして、どんな家族もいずれは終わっていくのであって、その意味で、今回拝見したゲキダン大河の「海辺の伝説」は、私にとっては親族のドラマなのであるが、同時に、家族の終末という重たい普遍的なテーマにも連なったものを表現していたといえるだろう。

 伯母はずっと独身で、半世紀にわたり東京で一人で暮らしていたが、最晩年には福岡に帰り、2014年の春に亡くなった。


by kohkawata | 2016-12-01 18:36 | 現代日本の文化 | Comments(0)

『森禮子戯曲集』から『じゅすた遺文』へ


 森禮子氏は私の伯母にあたる人で、小説家であったが、一昨年(2014年)の三月に亡くなった。

 実家の書棚には、伯母から送られてきた本が並んでいたが、私はそれらの本をちゃんと読んだことはなかった。理由はいくつかあるが、一つには彼女の作品のなかに私たちの親族のことが赤裸々に描かれているのだろうと思って、そのことにある種の倫理的な違和感があったことがある。なかでも、「モッキングバードのいる街」は、私のもう一人の、渡米した伯母をモデルにしていると聞いて、かなり不安な気持ちになったものだった。この作品はテレビドラマになっていて、私は高校生の時にテレビで偶然ちらりとみたのだが、それは、主人公らしき中年の女性が思春期の息子に Jap!と罵られて激昂して彼を殴り殺してしまう場面で、見てはいけないものをみてしまったように感じて、テレビを切った。

 同じ頃、伯母は、彼女の親戚が家元をしている華道の流派がだしていた『花泉』という雑誌に随筆の連載をもっていた。そのなかに、最近の若者はロボットのように情がない、といった捨て鉢な言葉を読んで、理由はそれだけではないにしても、私はこの文学者に何かを期待してはいけないように思ってしまった。

 私は、しかし、亡くなってしばらくして、近所の駅裏の古本屋の書棚で彼女の小説集『モッキングバードのいる街』(新潮社、1980年)を偶然見かけて、追善の気持ちで、買って読んでみた。

 薄っぺらな倫理観やちょっとした不安を理由にしてこれまで彼女の作品をほとんど読んでこなかったことを私は悔やんだ。表題作「モッキングバードのいる街」も、たしかにその語り手が渡米した伯母をモデルに造形されていることは間違いないが、息子を殺すのはその知人であり、サイドストーリーにすぎないことを今回はじめて知った。私はもっと早くに彼女の作品を読んでつまらない誤解を解き、異郷で孤独を深めながら自分の毒に苦しむ繊細な心理描写にいくらかでも共感したことを伯母に伝えるべきであったのかもしれない。

 そこで、今更であるが、やはり追善の気持ちで、彼女がごく若かったころに書いた戯曲を収めた『森禮子戯曲集』(菁柿堂、2000年)を読んでみたので、これらの戯曲の感想を書いてみる。


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 この本には、1965年から1970年にかけて上演された、四つの戯曲が収められている。「海辺の伝説」「罠のなか」「われらの葡萄園」「通りゃんせ」である。互いによく似た話で、どれもが小さな家族が崩れていく様子を描いている。

 例えば、「通りゃんせ」では、72歳の未亡人の華子の家族を描く。この家には、華子のほかに、その長女と次女、そして長男の妻が暮らしている。長男は行方不明で、みな彼の生存を信じて、彼が残した温室を大切にしながら、帰ってくるのを待っているのであるが、老いた傭人が、長男はこの家族の醜い遺産争いのために殺されたのだと言い出し、みなを狼狽させる・・・といった展開である。

 「海辺の伝説」も、未亡人とその子どもたちの家が没落していく話で、「われらの葡萄園」も、未亡人とその子どもたちの不和を描いており、同じパータンのプロットである。「罠のなか」は、倦怠しきった夫婦を描き、やや異なるプロットではあるが、しかし四つの作品のいずれにおいても、小さな家族が、かつての栄光の日々を抱きしめながら、虚偽と諍いを重ねたあげくに、絶望と離散にまで到る劇が、繰り返されている。家族の泥沼を描きながらも、劇の全体構造は明快であり俯瞰的でもある。

 この崩落のドラマたちにおいて、とくに目立つのは「父の不在」である。石材店を舞台とする「われらの葡萄園」では、十三年前になくなった父が等身大より大きい胸像となって舞台の奥に鎮座している。「海辺の伝説」も、未亡人の夫は家屋敷だけ残してとうに死んでいる。「通りゃんせ」では未亡人の夫も長男もいない。そして不在の父を囲むかのように、なお女たちが家族を演じているが、実はもう気持ちはすっかりばらばらである。

 唯一、彼女たちをつなぎ止めるのは、父の「遺産」である。残された家族は、その遺産に頼りあてにして生きている。それは物質的に頼っているだけではなく、心の支えでもある。「われらが葡萄園」では、長男と次男の不和を描くが、長男の妻は、義父の残した葡萄園を心の支えにして、この家がバラバラになっていくことに耐えようとする。「通りゃんせ」では、父ではなく長男の遺したものなのだが、「温室」が同じ意味をもつ。

 だが、劇のなかで、その父の「遺産」などというものは実は存在しなかったということがわかってくる。ここが、彼女の戯曲の核心である、と思う。娘たちは父の豊かな「遺産」の実在を信じてそれにすがって生きてきたのだが、その遺産なるものは「からっぽ」なのだ。「海辺の伝説」における「手文庫」はその代表的象徴であって、すっかり貧乏になって今日の生活にも困るようになった女たちは、手文庫の中に父が残した財産が入っているとあてにしていたのであるが、いざ鍵をさして手文庫を明けてみると、そこには何も入っていなかったのである。

 あれほど期待し頼りにしていた父の遺産がからっぽであることの衝撃・・・・主人公たちは、そこで凍りついて動けなくなってしまう。そして、思うに、伯母の文学も、少なくとも若いころのそれは、この父の不在とその遺産の欠落に直面するところで終わっているように思われる。

 伯母の実人生においてもその父親は早世している。だが、この「父の不在」は実父の早世のためだけではない、と私には思える。むしろ、在世中から父としてあるべき何かが決定的に欠落していて、早世のためにそのあまりの欠落を受け入れることが難しくなってしまったのではないだろうか、と親族としての断片的な聞き伝えからも、そして彼女の作品を読んでみても、そう思う。伯母が終生独身であったのは、彼女が不在の父の娘であったことと無縁ではなかったのかもしれない。

 この中心がぱっくりと欠落したままという感覚から、「父なる神」への信仰は、伯母のなかではまっすぐにつながっているのではないかと、彼女の作品を読んで感じた。彼女の母親は、夫の死後プロテスタント系のキリスト教に入信しており、その後再婚せず、ずっと教会に通い続けた。伯母が入信した経緯は知らないが、直接にはその母親の影響であろう。そして伯母もプロテスタントであることを終生やめなかった。晩年には、長崎や五島列島にやってきた外国人宣教師たちと隠れキリシタンの足跡を探す旅を続けたという。その旅には、戯曲で示されたあの欠落を探し求める、という意味があったのではないだろうか。

 ともかくも、伯母の残した作品を読んでみて、この薄情であった甥にも伯母のさびしさが人ごとならぬほど骨身にこたえてわかった気がする。そう記すことが少しは追善になるだろうか。

 なお、伯母の死後、その友人たちの篤志によって遺稿集が編まれた。『じゅすた遺文』(弓町本郷協会、2015年、非売品)である。その表題作は、戦国時代末期の動乱を背景として、運命に翻弄されて孤独な晩年をすごすことになった、有馬晴信の妻じゅすた(洗礼名)の思いを書簡のかたちで一人称で綴る。私が読んだ範囲でいえば、伯母の最も優れた小説の一つであって、どうしうもない欠落に苦しみ続けたのであろう、伯母その人の晩年の諦念が、歴史絵巻のかすかな華やぎのなかに示されていると感じられる。



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 多くの人の好意によって遺稿がこのように美しい本になったことは、伯母の実人生が、少なくともその晩年においては、その作品から感じられるほどには、孤独ではなかったことを示しているように思われる。
by kohkawata | 2016-07-18 18:04 | 現代日本の文化 | Comments(0)

海街diary

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 去年、格別感銘を受けた本といえば、吉田秋生『海街diary』。

 仕事帰りに立寄ったイオンモールで、漫画の原画の複製(変な言い方だが、そんな表現だった)が展示してあって、そのなかに『海街diary』の絵があった。写真撮影していいとあったので撮って、それをここに載せてみた(それはダメかな?)。この二人の子どもの元気一杯な様子はとてもよくて、お母さんの深くやさしい眼差しを感じた。よく知らなかったけど、吉田秋生ってこんなやさしい絵を書く人だったんだと意外であった。

 そこで6巻まで刊行されている『海街diary』を読んでみた・・・これは本当に素晴らしい漫画だった。冒頭の第1話がすでに完璧なドラマだ。父の葬式の翌日、孤児同然になってしまった、まだ中学生のすずが会って日の浅い異母姉の幸に苦労をねぎらわれて号泣する場面、これは6巻全体のクライマックスでもあって、数十ページでここまでドラマを盛り上げていることに大いに驚かされた。そしてその後数頁で、もうすずは異母姉たちと暮らすことを決意してしまうのだが、こんなふうに瞬く間にゆるぎのない絆が生まれるドラマに感涙してしまった。幸姉の、強さと賢さをもった愛情、それは優柔不断なやさしさとはまったく別次元なんだと思い知らされる。

 第2話以降は、鎌倉での静かな美しい物語。そこで繰り返されているのは、大切なものを突然取り返しのつかないかたちで喪う痛みと、そこからゆっくりと回復していく願望充足的な時間である。 父に母にも去られた姉妹、右足を失うサッカー少年、初めての彼女が去っていく予感に慄く中学生・・・いくつもの取り返しのつかない喪失に遭遇しながらも、美しい鎌倉の風景と祖父母の残した家のなかでそっと慰めあい助けあいながら生きていく人たちの姿を静かに描いている。

 漫画を読んで分かったのだが、載せた「原画」は、海猫食堂ですずと風太があじフライ定食を食べているところであるに違いない。この食堂のおばちゃんは病気で店を閉じることになるのであって、ここでも取り返しのつかない喪失が描かれている。取り返しのつかないことばかりだけど、それでも、子どもたちにはうまいものをもりもりと食べてくれよと願う、素朴だけどゆるぎのない愛情がこの漫画を支えていると思う。

 原作を読んだ後、映画版を観るべきか、ちょっと迷った。原作の素晴らしさを壊されたくなかったからである。しかし、実際に観てみると、是枝監督がこの原作をとても大切に思って撮ったことがよくわかって安心した。すずが号泣するあの場面を二つにわけたのは、役者の力量に応じた、理解できる工夫だ。鎌倉の四季を背景に美しい情景を存分に映し出しているのは、漫画にはできない映画のわざである。

 それにしても、こんな境地に達するまで、吉田秋生という人はどんな修羅場をくぐってきたのだろう、と思う。ずいぶん前にこの作者の漫画は幾つか読んだはずで、もっと怖い作品であったように記憶するが、『海街diary』があまりにも素晴らしいので、今は再読しないでおこうと思う。



by kohkawata | 2016-01-25 19:34 | 現代日本の文化 | Comments(2)

衰亡しつつあるとしても


 日本社会は衰亡しつつある、どんどんひどいことになるのではないか、と心配になることが多い。

 ひどいなあ、つまらんなあ、と思っていた領域は、最近、ますますひどい。国政はその代表で、ごく一部の人たちの都合と思い込みで動いているようにみえる。むろん、政治のような目立つ領域だけではなく、たいていはどの領域もひどくて、人材不足は深刻なのだろう。端的に、日本社会の劣化、ということを言う評論家も多い。国の財政も経済全体も破綻目前と力説する人もいるし、憲法改正はもちろん、戦争の実行すらも既定路線に違いないと恐ろしいことを言う人もいる。

 その一方で、そうした劣化は社会の表層で起こっているだけ、という気もする。私が子どものころと比べても、日本社会はより抑圧が弱く自由で多様な社会になったと思う。むろん、まだ抑圧はあり、差別や偏見を蒸し返すような動きもある。けれども、それらは多くの場合、目立つけれどごく一部の動きであり、大抵はどうにもならないわけではない、と思う。

 幕末維新期に日本を訪れた欧米人たちが関心した昔から、日本は「普通の人」がちゃんとしていると言われてきた。今でも、経済規模は世界のトップクラスだが、それを下支えするのは中小零細の企業とされる。子どもたちの学力も、これでもなお世界一を争うレベルにあるらしい。PISAの15歳の学力調査では、上海、香港、シンガポールなど大都市には劣るが、国単位でいえば韓国・台湾にならんでトップクラスである。治安もすばらしくよく、若者の犯罪率の低さはおそらく類例がない。

 大学生たちなどをみていて思うのは、どうやらお母さんがしっかりしている人が多いらしい、ということだ。だいぶと問題があるいい年をした子でも、お母さんはまずめったに見すてない。河合隼雄などが言っていた「母性社会」は今でも日本のなかに生きているとに思う。

 しかし、「普通の人」がしっかりしている社会は、息苦しい社会でもあるだろう。母に甘やかされ続けて育った男の子たちは、幼稚さをどこかにもったままで、ちゃんとした大人の男にはなかなかなれないだろう。以前留学していたメルボルンでは、大人の男のイメージは窮屈なほどしっかりと共有されているように感じたが、ここ日本では「男らしさって何だっけ」(ミスチル)と、私も含めてみな惑っているのではないだろか。だから、日本はとくに政治家をはじめ、エリート的な資質を必要とする現場における人材不足にあえぐことになるのかもしれない。大人の男のいない小心な社会は風通しが悪い。

 だが、男の子ほど甘やかされないせいか、日本の女性はわりとしっかりとした大人が多いと思うし、家庭はもちろん、もろもろの職場も実は有能な女性に支えられていることは多いように感じる。文明化は男性的な強がりよりも女性的な繊細さを美徳とするように進む、とは歴史社会学の教えである。日本の底力である彼女たちが息子を甘やかす頼れるお母さんとなって、同じようなサイクルがぐるぐるまわるわけだ。

 そう考えると、このまだ平和で豊かな社会を生きることはそんなに難しくない、ともいえる。周りの微妙に息苦しいせこい空気や上司の器の小ささにめげずに、勝手に生きる気概があればいい、ということではないだろうか。どうせどこも人材不足なのだし、そもそも労働力の絶対数も足りなくなってきたのだから、自分がまっとうで健康でさえあればどこかで働いて暮らしていくことはそんなに難しくない。田舎にいけば人手不足で土地も家もあまっている。結婚できなくて困っている異性も多いのだから、家族とともに生きていくことは本当は難しくないはずだ。

 自分次第、とは何ともありきたりな教訓だ。しかし昔は自分一人ではどうしようもない貧困や病気や戦争が多かった。国の財政や社会保障の近未来は絶望的だが、それでも人生の大筋は自分次第である、とは、衰亡しつつあるとしてもなお平和で豊かな社会の、この上なく素晴らしい恩恵ではないだろうか。

 そう思いたい。

by kohkawata | 2015-04-30 17:55 | 現代日本の文化 | Comments(0)

ゴジラとヤマトとぼくらの民主主義



 佐藤健志の『ゴジラとヤマトとぼくらの民主主義』(文藝春秋)をしばらくぶりに読み直した。

 きっかけは、最近一部で話題の白井聡『永続敗戦論』を読んだことにある。『永続敗戦論』は、敗戦後の日本の永田町の政治家や霞ヶ関の官僚たちに根強く働いている、「対米従属」の宿痾とでもいうべき根強い傾向を雄弁に描き出しているのであるが、『ゴジラとヤマトとぼくらの民主主義』(以下、『ゴジラとヤマト』と略称)もまた、戦後の日本人のなかに潜む対米従属の心情を、かなり見事に分析している。

 白井もこの本を当然参照していると思ったが、まったく言及されていない。そういえば、同じように、戦後日本における政治家・官僚たちの対米従属の歪みを鋭く告発している、オーストラリアの政治学者ガバン・マコーマックの『空虚な楽園』や『属国』、あるいはジョン・W・ダワーとの共著『転換期の日本へ』も、どれもたいへん優れた仕事だと思うが、この『ゴジラとヤマト』には(たぶん)一度もふれていない。

 そこで、もしかしたらこの本は世間に忘れられているのかもしれないと思い、ちょっと書いてみる。なお、この創見に満ちた本が出版されたのは1992年で、著者は1967年生まれであるから、たいへんな若書きである。

 佐藤は、『ゴジラ』、『ウルトラマン』、『宇宙戦艦ヤマト』の各シリーズと、高畑勲と宮崎駿のいくつかのアニメ、安彦良和と押井守のアニメ・漫画など、戦後の日本を代表する少年向けの作品(佐藤と同世代の私には馴染み深いものばかり)を取り上げながら、そこにみられる、「イデオロギー」の矛盾を析出することで、作者たちのなかのみえざる対米意識と、それと密接にかかわる、しかるべき責任を背負うちゃんとした大人の男にいつまでもなれない「少年」たちの幼稚さぶりを明らかにしている。

 なかでももっとも面白いのは、『ウルトラマン』の分析であろう。ウルトラマンは宇宙人なのになぜ本来縁もゆかりもない地球人たちのために危険を顧みず怪獣と戦ってくれるのだろうか、ドラマの根本的な欠陥であるはずなのにウルトラマンのありえないほど博愛的な態度になぜ視聴者である男の子たちは違和感を抱かないのだろうか、と佐藤は疑問を投げかける。

 佐藤の答えは、単純である。ウルトラマンが実は米軍だからである。

 米軍もまた、外国人なのに、日本を守ってくれるはずだと日本人は信じている。その信仰にはたいした根拠はないのであるが、にもかかわらず米軍=米国の絶対的な強さと米国人の日本人への好意を戦後の日本人は信じている。そしてそのご都合主義的信仰は、日本の子どもたちも共有するところであって、制作者や子どもたちのなかにある対米従属の信仰が、ウルトラマンという作品のなかで起動して、ウルトラマンが、まるで米軍のように、自分たちのために敵をなぎ倒してくれることに拍手喝采するわけだ。それが証拠にみればよい、自衛隊を連想させる「科学捜査隊」は登場しても、在日米軍を連想させるような軍隊は、舞台が日本であるにもかかわらず、いっさい出てこないではないか。米軍の不在はウルトラマンが米軍を代替しているという解釈によってしか説明できないのだ、という。

 この本における佐藤の論証は理詰めだが結局厳密なものではないし、地政学的大状況と個々の心情とを結びつけるこの種の議論を厳密に論証することは一般にそもそも難しい。それに、ウルトラマンや仮面ライダーのようなヒーロー物には、米軍の投影ばかりではなく、男の子たちの万能感や醜い愚か者への近親憎悪といった感情も当然反映されているだろうし、庇護的な父親と酷薄な父親という分裂した気持ちも織り込まれていたりするだろう。いわば、ヒーローとその敵とは、作者と子どもたちの様々な情念の複雑なアマルガムであるはずであり、それゆえ佐藤の分析は一面的だとは思う。とりわけ、数々の乱暴で醜い怪獣たちが何を表しているのかを考えようとしていないのは、ヒーロー物の物語分析としては大きな欠点である。怪獣たちは、ソ連を表していたわけではないだろう。

 だが、それでもなお、日本のヒーローたちは実は米軍の化身なのだという主張は独創的であるし、本質の一端を射抜いている、と私には思われる。

 ゴジラもまた、佐藤の主張を私なりに思い切って単純化していえば、米軍の力を具現化したものである。眠れる恐竜であったゴジラは、米国の水爆実験によって目をさまし、南洋からやってきて日本に上陸し都市で暴れ回るのであるが、その様子はやはり南洋から飛んできて日本の街々を空爆した米軍のアナロジーなのである。そして、映画のなかでは自衛隊は出撃しても、やはり在日米軍の存在は描かれないのであるから、ゴジラも米軍なのである。ただ、1954年という戦後間もない段階で撮られた『ゴジラ』においては、米軍は日本を無償で守ってくれる都合のよい守護神であるよりは、日本を破壊した恐ろしい加害者として表現されている、というわけである。

 佐藤は、こうした戦後の映画やアニメの分析に基づいて、そこに現れている対米従属の必ずしも意識されない思い込みの根強さを剔出しながら、さらにある種の戦後批判にも踏み込んでいる。すなわち、自分たちの国の安全保障を真剣に考えることなく、米国が守ってくれると米国の善意を期待しながら、「小市民的な日常」に埋没して惰眠を貪ろうとする、こうした日本人たちは、どうしようもなく甘えた幼稚さに満ちており、マッカーサーが言ったようにせいぜい12才にしかなれない、だから、現実を見据えてもっと大人になるべきなのだ・・・・

 こうした、戦後批判としての対米従属論というスタンスは、白井やあるいは江藤淳の一連の対米占領・対米従属についての仕事、またそれをうけた加藤典洋の『アメリカの影』などにも共通するスタンスではある。ただ、私は、対米従属の剔出の部分には膝を打ちつつも、これらの戦後批判の部分にはあまり共感できない。いずれもが、地政学的な歪みをもって、政治論から人生論まで一気に語ろうとして、その政治論・人生論の中身はそれぞれであるが、いずれもが性急な提言になりすぎているように思われる。

 私がこの『ゴジラとヤマト』という本に感心したのでは、そうした性急な部分ではなく、子どもたちにすら地政学的な力関係が無意識的にすりこまれており、そのことが様々な形をとって現れている、という世界と人間とのダイナミクスを如実に示してくれていることにある(そのようなダイナミクスは、江藤淳の仕事全体にも豊かに示されていると思うが)。

 私たちは、他人とは異なる自立した自分を感じて生きているが、しかし、私たちはいつでもこの世界とともにある。戦中・戦後の歴史の積み重ねも、日本に展開する米軍も、あるいはきっと中国や台湾や韓国も、あるいは北朝鮮や、ひょっとすると「イスラム国」ですらも、私たちとともにある、たとえそのことを意識してなくても、私たちの「こころ」のなかに、それらの諸々はうごめいているのだ、そこには「従属」ということに止まらない豊かさがあり、そのことに驚きもっと楽しむべきなのではないか・・・・などといったら諸々の対米従属論以上に飛躍した抽象論になるだろうけれども、そのような豊かさを感じさせてくれるものが、この忘られているのかもしれない『ゴジラとヤマトとぼくらの民主主義』という若々しい本のなかには確かにあると思うわけである。
by kohkawata | 2014-09-30 17:40 | 現代日本の文化 | Comments(0)

四畳半神話大系


 私の授業にでている学生が面白いというので、読んでみた。

 森見登美彦『四畳半神話大系』。

 森見登美彦風にいうならば、その面白さは無類であった。

 まず第一に、小説の舞台が私にとって馴染み深い場所で、その場所がよく生かされていた。主人公たちが行き交うのは、出町柳から鴨川デルタの辺りを中心に、百万遍、京大キャンパス内、御蔭通、北白川、浄土寺、吉田山、岡崎辺りであり、少し離れて河原町三条から四条辺りにも彼らは出没する。これは私が学生であったころの行動範囲とほぼ正確に重なる。一つの街角、一つの通りにもたくさんの記憶がつまっているのであり、その多くを私は作者ないし主人公たちと共有できる。例えば、「まどい」という百万遍に実在するレストランが小説には出てくるが、この名前をきくだけで、様々な情景が鮮烈に目に浮かぶ。

 私のように地方都市にしか住んだことのない者にとっては小説や映画の舞台とはほとんどいつも馴染みのない時空なので、自分のよく知っている場所が舞台になることがこれほど楽しいとはいままでわかっていなかった。この森見登美彦という人は舞台となった土地にたいして、心地よいユーモアを交えた深い愛着を抱いているので、時の流れのなかで私にはいつのまにか色あせてしまった街角が、この小説のなかでは再び生彩をもって輝き始め、そのために、失ったものを取り戻したかのような喜びを私にもたらしてくれる。

 他の小説もいくつか読んでみたのだが、このような喜びは森見登美彦の他の小説にも共通することであって、例えば『有頂天家族』では、主人公は京都に住まう狸の一家なのであるが、狸であるにも関わらず彼らの行動範囲はほとんど『四畳半神話大系』の「私」と同じなのである。例えば、夷川の発電所とか出町柳の商店街を北に上がったところにあるアパートだとかに狸たちの根城があったりして、そのいずれも私の知人たちの住んでいた近辺であって、私は在りし日の知人たちと自分のことをまざまざと思い出した。

 しかし、主人公たちと学生時代の私とが共有しているのは地理的な記憶ばかりではない。驚かされたのは、両者が、あまりにも多くの経験と感情を共有していることである。具体的に書く勇気などないが、ともかくも主人公たちの、七転八倒、こけつのまろびつのほとんどすべてが、あまりにも生々しく私の学生時代の経験でもあるのだ。

 むろん、自分の青春の経験を自分では特殊なものだと思い込んでいても、実はよくある青春にすぎない、ということは一般論としては知っていたつもりだ。過剰な自負心も、世間知らずのお馬鹿ぶりも、感情の大げさな起伏も、異性にころりと幻惑されることも、知人たちとの離合集散も、それらはすべて自分だけの経験でもあるが、若い人というか、若い男であれば、大抵はよく似た経験をしているものだ。

 だが、この小説を読んでそうだったのか、と思わされたのは、自分の青春の経験のありようというもののかなりの部分が、よくあるものであるばかりではなく、実はあの大学とその周辺という制度的・地理的なものによって生み出されたものであったのかもしれない、ということである。

 思えばあの辺りは特殊な場所でもあった。永遠にも思えた自由に費やすことのできる膨大な時間、ほとんど拘束のない気楽な立場、未来に豊かな可能性があるとどこかで信じている楽観性、知性の偏重、あるいは、奇妙なサークルが無数に存在していること、多数の個性的な人間と出会えること、自分や周りの人間が比較的狭いエリアに集中していること、夜でも安全にうろうろできること、そのようなあの大学の周辺が生み出した諸条件のなかに自分はいたのだ、だからそこで経験する青春は、小説の主人公たちも、私も、そしておそらく多くの男子大学生(とくに京大の男子学生)たちも同じようなものになってしまうのだ。

 例えば、作中には猫から出汁を取っているという噂の屋台ラーメン店がでてくるのだが、その「猫ラーメン」のことで作者はこう語っている。

 「夜中にふと思い立って猫ラーメンを喰いに行ける世界。これを「極楽」という。」

 この気分は完全にわかる。時間はある、情念もある、だから夜更かしをする、それで腹がへる、冷蔵庫には何もない、街へでる、同じような風体の連中が夜中なのにうようよいる、だから安いラーメン屋はいつまでも開いている、そしてそこまで怠惰でありながら明日はあると信じている、だから極楽なのだ。

 そのように、偏っているとはいえ他の人たちと膨大な記憶を共有できているかのように感じることができるのは、あれは自分だけの馬鹿げた学生時代であったと悔恨するよりは、だいぶと心温まることである。

 というわけで、なるほど、確かに面白かった。
by kohkawata | 2014-07-31 16:18 | 現代日本の文化 | Comments(0)

卒業生を見送る


 今年も卒業生たちを見送った。 

 卒業生を見送るのは毎年のことだが、今年はわりと長くつきあいがあった学生たちが多かった。もっぱら私の専門ゼミの学生たちだが、入学当初からずっと関わりのあった学生もいる。2年半前に専門ゼミで受け入れた14名の学生のうち、1人は退学、1人は早くから留年が決まっており、1人は留学中、残り11名が卒業となった。卒業する11名がそれぞれに次の社会的ステップを何とか決められたことはゼミ担当者としては少し安心させられる。

 ちょっとだけ感慨を記したい。

 長く学生をみていて痛感させられたのは、人は一人一人全然違うんだ、という当たり前のこと。

 教師の認識というは粗雑になってしまうところがあって、ずらりと並んだスーツ姿の新入生や教室でがやがやしている同じような年齢の学生たちをみると、なんだか似たような人たちのようにどうしても錯覚してしまう。同じ年齢、同じ世代、同じ日本人、だいたい関西人。それに、たくさんの試験の採点などをしていると、より「理解できている」かより「できてない」という2次元で判断しがちだ。例外は、相談をもちかけてくる学生とか退学しそうな学生といった、目に見える問題を抱えた学生で、彼らには注意深く関わろうとするが、その他の学生は「とくに問題なし」というくくりに入れてしまいがちだ。

 だが、実のところ、「とくに問題なし」の学生だってそれぞれに問題を抱えているし、誰もがそれぞれの事情や思いのなかで生きている。そうした固有性の高いところまで、教育システムや教師の配慮というのはなかなか届かない。長くつきあうなかで、彼らががんばったり手を抜いたりへこんだり、就職活動したりさぼったり、卒業するためのドタバタをやたりして、そうしたことを、ずっとみていくなかで、また彼らの両親と接触する機会があったりするなかで、ようやくそうした固有のもの、他の誰でもないその人自身の姿が見えてくることもある。1セメスター程度では私にはなかなかみえないような、そうした彼らの固有性とは、いつも私の浅薄な予想や理解の範疇をはみでるようなものであったし、おそらくは本人も十分に自覚はしていないようなものであるように感じられる。そして、私は結局は彼らのことを最後までたいしては理解するには至らなかったとも思う。

 教育関係の業界では、学生を育てるとか成長させるといったことが、簡単に言われる。間違った目標だとは思わないし、教育業界には業界なりの都合があるのも分かる。だが、一人一人の人が抱える事情や思いといった彼らの固有性にまで達するのは組織的・計画的にできるものではないし、固有性にまで響くような働きかけができないなら、本当は「成長」を望むことなどできないのだろう。だから、「成長」とは本来、教育機関や教師の領分ではありえないのだと思う。「指導」とか「成長を促す」といったことは、大抵の場合、業界内のゲームのなかの言葉遊びでしかないように私には思われる。

 教師にできることは、業界の都合に流されることなく、学生たちがその固有のリズムのなかで生きていくことの、ごくささやかな後方支援をする、という程度かなと思う。成長をする主体は彼ら自身であり、しかもそれは彼らの意志や意識とは少しずれた場所に根ざす彼らの固有のリズムのなかで行われるのだと思う。後方支援とは、うまくいえないが、彼らの固有性のありかを察知しながらもそこには踏み込まず、彼らのまだ未熟な意志や意識に働きかけ、彼らの意識の風通しをよくするようにする、というようなことであろうか。いや、もちろん、それすら少しも簡単ではない。人生はいつも人智を超えるのだ。

 さらにいえば、そうした「成長」なるものは、目につかない、喪失や歪み、あきらめや衰弱などをともなうものであり、手放しで「成長」を語ることは軽薄だと思う。だが、成長を語る教育関係者や「社会人」の言葉を気のない表情で聞き流しているのも、まさに彼らの固有性のなせることだと私には思える。

 だが、いわゆる「社会」は冷徹で、個々の社員の固有性など理解することも配慮したりすることもあまりないだろう。それでも自分自身の人生の決定権者は、他の誰でもなく自分自身にあることをわかっていてほしいなと思う。いや、きっとそんなことも、彼らは、彼らの固有のリズムのなかで、身体的にとっくにわかっているのだろうとも思う。



by kohkawata | 2014-03-26 17:07 | 現代日本の文化 | Comments(0)