2017年 05月 06日 ( 1 )

七夕伝説と目連救母



 最近、論文を2編発表した。

 一つは、「中国における七夕伝説の精神史」。

 これは、紀元前の中国で発生したとされる牽牛と織女についての物語の歴史的変遷を追いかけ、そこに精神史的な発展の軌跡を見出そうとしたもの。

 儚くも美しい物語であって、これを調べるのは実に楽しく、論文の執筆もかつてなく軽快であった。論文では直接には活用していないが、フィールドワーク的な調査も行っていて、台南の街で七夕の習俗に接することができたのはいい思い出になった。

 いくつかの主要なバリエーションのある七夕伝説のなかでも、「牛郎型」とよばれる物語についての分析は、一定の独自性と妥当性があるのではないかと自分では思っている。

 「牛郎型」とは、牛飼いの青年が下界の泉に降りた織女の衣を、牛の助言に従って盗んで結婚するという発端をもつ七夕伝説の類型の一つで、近世以降の中国の七夕伝説ではこれが主力で、今日でも七夕といえばこの系統である。

 この発端部分は、世界中に散らばる「白鳥乙女型」とよばれる民話の一類型で、日本の羽衣伝説もその一つである。その点で「牛郎型」には、ある種の民俗的な普遍性があるといえる。この普遍性についてこの小論のなかで十分に論じたわけではないが、解釈の一つの方向性を示すことは多少はできたのではないかと思う。

 ちなみに、今日の日本人が知っている、天の川の両岸に引き離された織姫と彦星が七夕の日にだけ再会するという話は、中国では最も古い形に属する七夕伝説である。中国では様々なバリエーションが生まれ発展していった物語が、日本では古いまま保存されてきた、というのも興味深い現象だと思う。

 とはいえ、日本でも、前にこのブログでふれたように、実は地域によって七夕伝説にまつわる多様な習俗があった。七夕伝説はこれほど広く好まれてきたのに、日本における七夕の伝説と習俗についての総論的な研究も本もまだ存在していない。中国についてはすでに存在するが、まだ研究の余地はある。


 もう一つの論文は、「目連救母の精神史:中国文明における母殺しの彼岸」

 「目連救母」の物語も古い起源(魏晋南北朝期といわれている)をもち、やはり論文ではその変遷を追いかけている。また、七夕論文と同様に、日本に伝播したものとの比較考察も若干行っている。

 だが、七夕伝説とは違って、かなりグロテスクな話で、調べるのは必ずしも楽しくはなかったし、時代や地方による違いが大きく、一通り把握するだけでもずいぶん時間がかかった。七夕伝説を調べ始めるよりずっと前に始めたのに、完成したのは、七夕論文の後になってしまった。1本の論文を書くのにこれほど手間取ったのは初めてだ。

 多様な変異形をもつ「目連救母」だが、「近世」前後の長い時代に共通するのは、目連の母親が地獄で苦しむさまを延々と描く、ということである。

 健気で偉大な親孝行が主題のはずなのに、母親が責め苛まれて何度も殺されては生き返るなどという残酷極める場面が見せ場になっているのはいったいどういうことなんだ?という素朴な問いから出発する論文なのだが、それにたいする答えはもちろん、そもそもこの素朴ににみえる問題設定自体、これまでの研究にはなかったと思う。

 その点で、この論文には十分独自性があると自負するが、「答え」の部分にどれほどの説得力があるかは別問題である。

 どちらの論文も、どなたでも、ご意見をいただければ幸いです。


by kohkawata | 2017-05-06 18:52 | 近世中国の文化 | Comments(0)