ナンシー・K・ストカー『出口王仁三郎 ― 帝国時代のカリスマ』原書房、2009年(Nancy K. Stalker Prophet Motive: Deguchi Onisaburo, Oomoto, and the Rise of New Religions in Imperial Japan, University of Hawai’i Press, 2008 ) 出口王仁三郎は、近代日本を代表する新興宗教である大本教の二代目であり、国家による大規模な弾圧を二回にわたって招いたことでも知られる。だが、彼の知性と行動は、近現代の日本のなかで例外的といってよいほどの、巨大なエネルギーと創意とユーモアに満ちたもので、その全貌は十分には研究されてこなかったしほとんど知られていないといえるだろう。私の勤めている大学は、このカリスマの出生地 ― 亀岡市穴太(あなお) ― のすぐ近くにあり(歩いて15分くらい)、その活動の中心は亀岡にあったが、大学も亀岡市も、同じ亀岡出身の石田梅岩は盛んに顕彰しても、出口王仁三郎はほとんどまったくとりあげることがない。十年ほど前、大学の研究所にR.N.ベラーをよんで石門心学についてのシンポジウムを行ったとき(その記録は、the Monograph series of the Institute for Interdisciplinary Studies at Kyoto Gakuen University, No 1. 2001年 にある)、若かった私は「次回のシンポジウムは王仁三郎を取り上げてはどうですか、とてもおもしろい人ですよ」と提案してみたが、「それは大学ではなく大本さんにおまかせするとよいでしょう」とすぐに却下されてしまったのを思い出す(まあ、却下するのが妥当な判断だとは思うが)。 この本はアメリカの学者が学位論文をもとにしてまとめたもので、この巨人の生涯の足跡を冷静かつコンパクトにまとめてくれている。出口王仁三郎は、終末論的宗教家・予言者であり、大規模な運動を展開することができる扇動と組織化の天才であり、日本で最も熱心なエスペラント語の推奨者でもあり、さらには世界の精神的統一を目指すパラノイア的な国際平和主義者でもあり、書・陶芸・詩歌の創作者でもあった。そのすべての面で彼は卓越した活動をしているが(芸術の創作者としては即興的な大量生産に特徴があったようだが)、なかでも驚かされるのは、政財界の指導者3000人 ― そのなかには閣僚や陸海軍の上級将校もいた ― を集めて王仁三郎が中心となって発足させた、昭和神聖会なる右翼的・愛国的な団体が、時代の波に乗り官民を巻き込んで、800万人の支持者を得たと公称するほどに、大規模な運動体へと発展していったことである。この国民的な運動や、それ以前から発展してきていた大本教やその別働隊である「人類愛善会」など、出口王仁三郎を中心とした宗教的運動の急激な膨張 ― 例えば人類愛善会の機関誌『人類愛善新聞』は34年には当時の全国紙大手の読売新聞の約二倍の100万部に達したという ― にたいして、支配層の一部は恐怖を覚えたようで、そのために(といってよいようだ)、あの第二次大本事件が起きるのである。宗教的カリスマ・右翼的運動・支配層・マスコミ・インテリを巻き込んだ、このあたりの一連の劇的展開は、まだ十分には研究されていないようで、才能と野心のある若い研究者にとってはかっこうのテーマになるだろう。 また、二度にわたる弾圧のやり方が、最近の民主党幹部や少し前のIT企業社長らへの検察の捜査・摘発の手法と似ていることにも気づかされる。いずれにあっても共通しているのは、急速に力をもったカリスマ的な人物とその運動にたいして、警察権力が(本当は信憑性のない)それらしい情報をマスコミに流し世論の攻撃を煽りながら、法理上かなり無理のある捜査ないし弾圧を強行し、カリスマから活動の自由を奪ってしまう、しかし犯罪の確たる証拠が出てこないので、最終的には有罪にならないのだが、それでもカリスマとその運動体はその間に社会的な打撃を受け再起が難しい、というやり方である。つまりは権力組織が実質的な超法規的処置によってカリスマを攻撃し無力化しようとするのである。王仁三郎も最終的には保釈されているのだが、大本教と王仁三郎の全盛期は戻ってこなかった。 出口王仁三郎にかんして、私が最も興味深く思うのは、彼がこのように(一部の)人々から嫌われ理不尽かつ徹底的に弾圧されたにもかかわらず、最後まで持ち前のユーモアと明るさを失わなかったようだ、ということである。「延々と続く裁判のあいだ、王仁三郎はいつもどおり元気で楽天的だった。法廷内で茶目っ気を示すことも多く、無期判決が言い渡されたときにはベロを出し、ときには卑猥な冗談を言ったり、法廷で退屈したときには大騒ぎで病気のふりをしたりした」(277頁)。警察や検察が甘かったわけではないのは、彼の後継者と目されていた人が拷問の結果神経を病んだことからもわかる。本書のなかにはこうした彼のユーモアを示すエピソードが他にもいろいろとあるが、そのなかでの最大の傑作は、第二次世界大戦のさい前線へと向かう信者の兵士たちに持たせたお守りであろう。そこには、暗号で「我敵大勝利」と書いてあったのだ、という(この逸話は出口京太郎氏への著者のインタビューによる)。 今でも大本教は明智光秀が築いた亀山城の跡に本拠を構えている。私は仕事帰りにこの境内を歩くことがあるが(境内を横断する道は誰でも自由に歩ける)、大本教は今ではとても静かな教団であるようにみえる。 野口良平『「大菩薩峠」の世界像』(平凡社、2009年) この本の著者は私にとっては学生時代からの知人である。そのため著者のこのはじめての本にたいしてはある種の感慨があり、他の本とは読み方が当然違うが、とにかく、読み始めたらほんとうにおもしろくて、他の用事をおいてどんどん読み、数時間で読了した。 まず、この本は射程はものすごく長い。合理的・科学的な方法では把握できない、人間の業(カルマ)とでもよぶべき性質 ― それを著者は、「人間が自分の責任では選ぶことのできないような受動的な関係性」としている ― を、中里介山が1913年から1941年までの30年近くにわたって書き継いだ大作『大菩薩峠』の読解、とりわけ無辜の人を理由なく繰り返し殺してしまう主人公机龍之助の姿を追いかけるという形で、探求している。 この業の探求において著者がとりわけ注目するのは、私なりに単純化すれば、業からの「自由」の可能性をめぐる問題なのだと言えるだろう。彼はフィクションを定義して次のようにいう。「フィクションとは a 現実の自分からの自由、および b 現実の世界からの自由、という二つの希求を、創作者と享受者が相互に認め合うための手段であり、かつ目的である。 a・b のいずれが欠けても、フィクションは成立することができない」(232頁)。そして『大菩薩峠』というフィクションは、この二つの希求に応えようとしたものであり、著者は次のように言っている。「作中人物たちが一様に示しているコミューンへの希求は、胆吹王国の瓦解、無明丸の試練が象徴しているように、決して完全に満足されることはないが、だからといって雲散霧消してしまうというわけではない。『大菩薩峠』が描こうとしているのは、コミューンというよりはむしろ、コミューンへの希求を持たずには生きていくことが出来ないという人間の条件それ自体であり、そういう人間の眼に映じたものとしてのコミューンの諸類型なのである」(173頁)。 同時にこの本は、細部において興味深い示唆・指摘・分析を繰り返している。『大菩薩峠』にはコミューン(=国家に包摂されない拠点)へのコースが七つ ― 主人公の存在様式そのもの、路上・平原へ、かくれ里へ、信心へ、書物の世界へと求められるコミューン、海のコミューン、山のコミューンの七つである ― 示されているとか、伊勢神宮の内宮と外宮の間にある「間の山」についての分析であるとか、桑原武夫の「日本文化三層論」であるとか ― 西洋的・近代的な意識の層、サムライ的・儒教的な封建的といわれる層、ドロドロした規定しがたい民俗的な層、の三層― 、あるいは折原脩三・堀田善衞・安岡章太郎・橋本治などの『大菩薩峠』をめぐる興味深い説が次々と紹介されている。 このような細部の輝きと射程の長さは、野口良平という人が、繊細な感受性とともに集積した厖大な知識をもちながら、なおかつ不屈の思考者であることを確認させるものである。また、桑原武夫・鶴見俊輔・橋本峰雄・多田道太郎といった京都学派たちの仕事が何度もていねいに参照されており、この本が、もはやほとんど絶えてしまったようにみえる京都の、とりわけその反エリート主義的な知的エリートたちの、人文的・思想的伝統のなかから生まれてきたこともわかる。 むろん、著者が示した射程は、『「大菩薩峠」の世界像』のなかで堅固な目的地へと着地したわけではない。中里介山の『大菩薩峠』が未完に終わったように、深い問いを読者に残したままであり、そのような原理的に解くことのできない「原問題」を抱えながら、「一人ひとりがはじめの一歩から世界との関わり方を構想する、という思考態度」(51頁)をもって生きていくほかはない、という覚悟が現在の著者の「世界像」であると読める。
by kohkawata
| 2010-01-27 13:26
| 近代日本の文化
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