去年の秋頃から中国の七夕伝説について調べはじめて、最近になって一通り論文を書き終わった。この二千年を超えて語り継がれてきた物語を追いかける作業はこれまでにないほど楽しい作業であった。もう少ししたら紀要かどこかに発表したいと思っている。 私は5歳のころまで平塚に住んでいたのだが、この街で盛んな七夕の祭りの記憶はかすかにしかない。それでも、七夕関係のことを調べるとどんなことであれとても懐かしく床しく思えるのは、記憶の底に華やいだ七夕の祭りのがあるからだと感じられる。無意識的な記憶というのは人の感情を深いところで支えているもののようだ。 それはともかく、日本の七夕についても少し調べたので、そのことを記しておく。 学生たちにきくと、短冊に願い事を書いて笹につるす、という習慣は今日全国的なもののようで、たいていの人が小学生のころに経験している。この習慣は江戸期にまで遡れるようだ。天の川にさかれた織姫と彦星が七夕の夜に再会するというお話もたいていの人には周知のものだろう。 日本に織女と牽牛の話が最初に伝わったのはおそらく万葉集の時代で、二人を詠った詩が万葉集に多くある。乞巧奠という七夕の祭りは、聖武天皇の時代には宮中で行われていて、正倉院にその品々が残っていて、私も去年の正倉院展で乞巧奠用のひどくおおぶりな針と糸をみたことがある。こうした王族・貴族層における七夕に関わる習俗は朝鮮半島経由で伝わったようで、百済の王家の末である百済王氏がかつて支配した枚方から交野にかけての一帯には、天野川や星田、機物神社など七夕にまつわる地名が今も残る。 しかし、日本における七夕の習俗は、こうした大陸系のものだけではなく、日本在来の習俗にも起源がある、とされる。 折口信夫によれば、七夕の「たな」とは、本来「棚」で、これは神の宿るところと観念されていたという(だから、神棚は棚にしてしつらえられるのである)。この神がやってくる場所である棚で、選ばれた乙女が機(はた)を織りながら神がやってくるのを待って結婚をする、という「たなばたつめ(棚機つ女)」についての古い信仰があって、それが七月七日に牽牛織女が再会するという外来の話とむすびついて、七夕のことを「たなばた」と呼ぶようになったのだ、という(「七夕祭りの話」『折口信夫全集』第17巻、1996年、中央公論社)。 折口の時代の民俗学全体がそうなのだが、この折口の説も検証ができるようには書かれていないので、どこまで本当かわからない。しかし、ともかくもこの、在来の「たなばたつめ」の信仰と中国系の七夕の説話とが合流して、日本における七夕の習俗が生まれた、というのが今日でも定説となってる(本居宣長も同様の説を述べている)。 その後、日本各地で展開した七夕に関わる習俗は、今日の短冊に願い事を書く習慣が一様なのと対照的に、地域と時代によってずいぶんと多様性がある。 津軽地方では「ねぶた」の祭りが盛んだが、かつてはこれは七夕の行事という側面が強かったようである。津軽のねぶたを描いた古い絵には、燈籠のようなものに「七夕」と「織女」の文字が書き込まれているのをみたことがある。秋田能代の夏祭りは、能代役七夕というが、能代ねぶながしともいうらしい。「ねぶた」は眠りを醒ますという意味が元来はあって、この「ねぶた流し」の祭りが七夕と重なることは、柳田國男によれば、越後や越中にもみられるそうだ(『年中行事覚書』)。 京都では、西陣織が盛んであった地域にある今宮神社に織姫社という社があって、織女信仰があった痕跡をとどめているが、どんな信仰であったか、よくわからない。今年の8月5日に訪れてみたところ、境内では祭りの準備をしていて、織姫役と思われる女性が舞いの練習をしていた。京都新聞の今月2日の記事に「10年以上前に途絶えた今宮神社末社の織姫社(京都市北区)の七夕祭が今月、同志社大の学生有志や地域にゆかりのある人たちの手によって再興される」とあるが、おそらくこれのことだろう。 また、石沢誠司氏の『七夕の紙衣と人形』(ナカニシヤ出版、2004年)によれば、七夕に紙で作った衣を飾るという習俗は、全国的といってよいほど広がっていたらしく、江戸時代以降の文献にその記録が散見されるようである。例えば、京都の街中でも、七夕の時期に、女の子が紙で衣を織って飾るという習俗が江戸時代以降にあったようだが、今日では廃れている。 同書によれば、松本や糸魚川、黒部などには、七夕に紙衣ないし紙の人形をつくる習慣が今日も残り、 有名な仙台の七夕祭りでも、よくみれば紙衣が今日でも飾られている。砺波の呉服屋の娘として生まれ小矢部に暮らしていた人も七夕になるといつも紙衣をつくって笹につって飾っていたともいう。 姫路市の東南の海岸部一帯(姫路市の妻鹿から高砂市の曾根あたり)でも、七夕の日、すなわち8月6日に、自宅の軒先などに、野菜や果物を供え、七夕人形(紙衣)や提灯あるいは短冊などを細い竹竿にぶらさげて飾って、翌朝には海に流すという習俗が盛んであったらしい。 私も今年の8月6日の夕刻に、この本を頼りにこの姫路の一帯を歩いてみて、大塩にお住まいの方々からお話を伺い七夕飾りを拝見することができた。 子ども(あるいは孫)が生まれて初めて七夕の日を迎えると、その家では8月6日に飾りつけをして、翌朝には川や海に流していたそうで、近年ではゴミになるので細かくきって捨てるそうである。ただし提灯と人形は取っておいて翌年以降も使う。子どもが小さいうちは毎年「七夕さん」を各家庭でしていたが、今では子どもがすくなくなったので七夕さんをする家庭はずいぶん少なくなったそうだ。また、この日には、親から子どもに、あるいは親族から提灯が贈られて、それをたくさん家に飾る、ということも行われていたが、今ではすっかりやらなくなった、ともきいた。この親とは誰のことかちゃんと伺わなかったが、おそらく、生まれた子どもからみれば祖父母のことであろう。 上の写真は、大塩の「柴田提灯店」さんで売っていたもので、織姫と彦星である。店の方の手作りだそうである。拝見した七夕飾りでもこの店の紙の着物や提灯が使われていた。 大塩や白浜の宮の街角には、自治会の連絡用のボードがたくさんたっていて、「初七夕」「七夕初め」といった表現で、誰々さんのところに誰々という名前の子どもが初めての七夕を迎えたことを告知する紙が貼ってあったりした。全体的な印象でいえば、この姫路の「七夕さん」は、少なくとも今日では、子どもが生まれ育っていくことを祝う行事であるように感じられた。 なぜ七夕で紙衣を飾るのかといえば、折口の面白い説がある。棚にやってくる神は、「幼少な上に、身体が不自由で、恐らくは裸であったろうと思われます。此神に「みそぎ」をさせると、俄に成長いたして、大抵は弟姫と結婚いたす事になります。つまり、「たな」の中で、女性が機を織つて居るのは、神の様な尊い人が来て、結婚するのを待つて居るのだとも、考へられるのであります」。そこで、「この七夕で、「たなばたつめ」が、男に貸して上げる着物がなくて、困るであろうといつて、女性が着物を七夕さんに貸して上げます」(『折口信夫全集』第17巻、1996年、中央公論社、264、266頁)。織女に着物を貸すというこのストーリーは、今日の京都や姫路にはないようだが、以前には各地に残っていたようである。 また、高槻で子ども時代をすごした知人によれば、女の子たちが千代紙で衣を折って七夕に飾るという遊びが流行っていたそうだ。織姫の紙衣のことは、「お姫さん」と呼んでいたとか(お雛様のときにも雛人形を千代紙で折っていたそうだ)。1970年代初めの話である。 といった具合に、日本では七夕に関わる習俗は盆や正月ほど盛んではないにしても、時代を超えて様々なかたちで脈々と受け継がれてきたことがわかる。子どもが紙で着物をつくったり、短冊に願い事を書いたりと、全体に可愛らしい習俗で、これは元来の織女と牽牛が年に一度だけ再会するという話の健気さに通じるものだと思う。 各地の習俗の変遷や、竹笹に願い事を書いた短冊を吊すというスタイルの全国化の過程などはまだ不明なところが多く、研究者にとっては格好のテーマがまだ残されているといえるだろう。
by kohkawata
| 2016-08-09 16:15
| 近代日本の文化
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