2月の下旬に台南の古い廟をたくさん見て廻った。台南を訪れるのは二度目で、前回は駆け足でよくある観光をしただけだったが、今回は少しゆっくり見物できた。 台南にはたくさんの古い廟がある。そのことは、1930年代に台南に暮らした前嶋信次の『〈華麗島〉台湾からの眺望』や四方田犬彦『台湾の歓び』(2015年)などを読んで、かねて知識としては知っていたが、実際に台南の古い市街を歩いてみると、想像をはるかに超えて、街のそこかしこで大小様々な廟に遭遇し続けた。細い路地のどんずまりにも、賑やかな市場のなかにも、ひっそりと静かな住宅街の一隅にも、古廟はあった。廟の密度は、京都市中における寺社の密度をはるかに上回るだろう。 台南は、よく知られているように、台湾で最も古くから漢族が住みついた街である。中国本土が、とくに19世紀半ば以降何度も大規模な内乱と戦渦に巻き込まれたのとは対照的に、また本土の都市や台北が近代化・現代化のなかで急速に発展しその市街地の容貌を大きく変えてきたのとも異なり、台南では平和が続き都市化もゆるやかであった。大東和重氏の『台南の文学:日本統治期台湾・台南の日本人作家群像』(2015年)を読むと、日本統治時代も、台南を訪れた佐藤春夫が台南をノスタルジックに「廃市」としてその荒廃の美を描くほどに、台南の変化はゆるやかであったようだ。ちなみに、この本によれば、 「廃市」という魅惑的なイメージは、フランス語圏からの輸入品だが、廃市という漢語そのものは北原白秋がその故郷柳川をそう呼んだのが最初であろう、とのこと。 むろん、今日の台南は「廃市」どころではなく、どのエリアも大いに賑わっている。しかしそれでも、その古い市街地を歩いていると、古い廟は大切に残され、今なお神々への信仰はしっかりと残っており、廃市ではないにしても、「古都」という名にはふさわしいと思われた。近年では、台湾の人たち自身もこの古都を大いに再評価しているらしく、『移民台南』(魚夫、2013年)という本が売れたりして、台南に「移住」するのが流行っているのだとか。実際、古い市街を再生したエリアである五條港には、お洒落なカフェや雑貨屋が多くみられた。 さて、廟に祭られている神々は、廟によって異なりかなりの多様性をみせるが、最も人気のあるのは、やはり媽祖であるようだ。台南のなかでも早くに開けた地区である安平に、海に向かって建っている媽祖を祭る安平天后宮は、なかなか壮麗なもので、 遠慮しながら撮った下の写真ではあまり伝わらないかもしれないが、 内部の装飾の豪華さは、人々の篤い信仰ゆえのものであろう。台南には媽祖を祭る廟としては他にも大天后廟と開基天后宮が著名で、どちらも信仰を集めている様子だった。媽祖は様々な名で呼ばれるが、最も多く見かけたのは、「天上聖母」という表記だ。この名前に、人々の媽祖への篤い気持ちが表れていないだろうか。 また、関帝、観音菩薩、臨水夫人なども、なかなかりっぱな廟に祭られていた。全体に、台湾海峡を挟んだ海の向う、福建省近辺での信仰が移植されたものが多いようだ。他にも、孫悟空を「齊天大聖」とよんで祀っている廟もあったし、織姫とその姉妹たちを「七星娘娘」として祀っている廟もあった。台南市の北隣の嘉義市には、日本統治時代の警官が神となって祀られている廟もあるらしい。誰が神となるのか、その辺の事情なり気持ちというものを知りたく思うが、よくわからない。ただ、実在の人物が神となっていく場合、不幸な亡くなり方をした人、あるいは夭折した人が多いようだ(関羽、臨水夫人、廣澤尊王、五妃、森川清治郎など) このように、祭られている神は多様であるものの、実際に多くの廟の様子を見て廻ると、それぞれの廟による違いよりも、むしろどの廟も同じような雰囲気の佇まいであることが印象的であった。 廟の前には、たいていは石畳の広場があって、老木が木陰をつくっていたりする。そこに古ぼけた木の椅子が置いてあって、お年寄りがのんびりと腰をかけていたりする。廟の外観は、たいていは凹型の曲線を描いて反り上がっていく屋根が目立つ。しばしば電光掲示板が目立つところにあって、イベントの告知をしていたりする。内部に入っていくと、正面手前には、日本のものよりずっと大振りの線香が香炉のなかにたくさん刺され燃えていて、落ち着く匂いがする。その左右には必ず大振りで派手な色の生花がたくさん供えられている。かなり熱心に信仰している人たちがいる証であろう。香炉と生花の手前には、跪いてお祈りする人たちのための膝置きがある。どこでみたのも、茶色いビニール風の生地で覆われたクッションであった。実際に、跪いて、あるいは立ったまま、お祈りしている人たちがたくさんいて、お年寄りばかりではなく、ごく若い人たちも熱心にお祈りをしていた。 祈る先には、もちろん神様がいらっしゃる。どの神様であれ、必ず、たいへん派手は衣装をお召しになっている。刺繍で華やかに飾らた、たいていは黄色を主体に原色を多用したもので、決して古びてはおらず、真新しい。しかし、神像のお顔は、対照的に、長い年月を経たように黒光りをしている。表情の造形は、かなり繊細なもので、射奇峰『台湾神明図鑑』(2014年)によれば、清代より今日にいたるまで、台南には仏像を彫る職人たちがいてその高度な技術が継承されてきたらしい。とてもよいお顔の神様をたくさん拝見することができた。 正面の神様の他に、ほとんどの廟には左右に神様が祭られている。またしばしば、奥に別の棟があって、そこにも神々が祭られている。また二階があってそこにまた別の神様が祭られていることもある。これらの、配祀(従祀というべきか)された、左右・奥・階上の神々は、いわば脇役になるわけだが、よく祭られていたのは、観世音菩薩と註生娘娘であった。 造形も色使いも派手な中国式の宗教建築と祭器の数々は、わびさびた渋いものをよしとする傾向のある日本人には落ち着かないように感じられるが、台南の街で廟を見慣れてくると、華やかな装飾でありながら、次第にそこに懐かしい落ち着きのようなものを感じるようになってきたのは、意外な体験であった。装飾と生花に彩られた、気配りの行き届いた静かな空間のなかで、男女の神々がこちらを斜め上からご覧になっていて、どこか懐かしい匂いにつつまれて、もはや存在しないはずの、自分が子どものころの家に帰ってきたよう安心感に包まれるような感じがした。あるいはそれが、台南の、あるいは漢民族の、廟の魅力の中心なのかもしれない。 また、廟の内部の左右には、王爺とよばれる、大きな神像が一体ずつ置かれていることが多かった。この王爺は、瘟疫神として台湾全土で祀られているらしいが、他の神像とは異なって、内部が空洞の、いわゆる「はりぼて」でできている。前嶋信次の前掲書によれば、この王爺像は、船に乗せられて流される(これを「送瘟」といって、疫病を払う効果があったと信じられていた)ものなのだが、今でもそうした習俗は行われているのだろうか。お顔のつくりもごくおおざっぱで、ベロを出したりしておどけた顔をしているのは、災厄をもたらす疫神を戯画化しているのだろう。 ちなみに、仏教系であるはずの観世音菩薩を祀る廟と道教系の神を祀る廟とのあいだにはとくに違いはない。日本の神仏習合よりもいっそう、儒・仏・道は混淆して区別がつかないが、仏教系で祀られているのは、私がみた範囲では他に地蔵菩薩のみで、儒教系は孔子廟だけで、この廟は、拝観料を徴収するせいか、生花も飾られておらず、地元の人に信仰されている様子があまりなかった。大ざっぱにいえば、すべて道教的な方向に収斂していったということだろうか。 これらの廟には、どうやら専従の僧侶というものはいないようだ。僧侶なり道士といった、その廟に専従している人、あるいはその廟の所有者といった人みあたらず、その代わりに、たいていは「◯◯管理委員会」というところがそれぞれの廟の管理をやっていることになっている。◯◯には、「開隆宮」などといった具合に廟の名前が入る。この管理委員会がどういった法的な地位にあるのかわからないが、おそらくその実質的な運営の主体は、近所のお年寄りたちであろう。 日本の小さな寺を訪れると、個人宅にお邪魔してしまような感じになることがあるが、台南の廟にはそういう感じはないし、また政府なり自治体が管理している様子もまったくなくて、どの廟もみな、地元の人たちの共有のもの、といった趣が強い。拝観料も、私が訪れた範囲でいえば孔子廟を除いて、まったくとらない。 近所の人が大切に管理しているという点で日本の寺よりも神社に近いが、神社よりははるかに参拝する人が多く、よく手入れされている。 台南の廟は、宗派や国家権力ではなく、台南の人々の自立的な信仰によって育まれてきたということ、そして人々の生活のなかに今でもしっかりと根ざしているということだろう。 今回の台南では、幸運にも元宵節の祭りをみることができた。元宵節の祭りは農歴の正月十五日に燈籠を灯して楽しむ祭りで、漢民族でははるか漢の時代にまで遡れるものである。
by kohkawata
| 2016-03-25 16:31
| 近世中国の文化
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