満街聖人

 ここ半年ほど、王陽明の「満街聖人」という言葉をよく思い出す。これは、街中の人みんな聖人だ、という意味。

 本来、「聖人」とは儒教徒にとってかなり重たいことばである。 それは最も理想的な人格者であり、堯や舜といった神話的君主がその言葉にふさわしい。孔子は端的に「自分は聖人に会ったことはない」と言っている。にもかかわらず、街中が聖人だなんて、おめでたすぎる言葉にも響く。なのになぜか、それはそうだなあ、本当にそうなんだろうな、としきりと思う。

 「満街」という表現が、たくさんの人々が気ままに自由に行き交う、活力に満ちた感じでとてもいい。以前は私はこの言葉から、何となく、台湾の夜市の光景を思い出すことが多かった。南国の暖かい夜に人々の賑わうさまはとてもよいものだ。酒を出さないせいか、日本の盛り場のような怪しげさは少しもなくて、老若男女が楽しく集っているようにみえ、本当に「街中いい人ばかり」という感じがする。

 ところが、とくに理由も思い当たらないのだが、最近になって世界のどこだって日本だって、「満街聖人」だと感じるようになった。結局のところ、あの人もどの人も聖人なのであり、かつてそう感じられなかったのはむしろ自分の側の問題なのではないだろうか、と。こうした「満街聖人」の感覚は、前回書いた、同じ明代中期の、沈周の愉悦に満ちた桃源郷的な絵画の世界にも通じるようにも思われる。

 ところで、この言葉が出てくる王陽明の『伝習録』を読むと、この四語にはもう少し含蓄があるようだ。

 弟子の一人が「出遊」して帰ってきたのをみて、陽明先生は何を見たかと問う。すると、弟子は「満街人都是聖人(街中の人、みんな聖人でした)」と答える。それにたいして先生は「街の人も君が聖人であると見てとっていただろうよ」と応じる。また別のとき、別の弟子が帰ってきて、「めずらしいことに出合いました」と言う。陽明先生が「どんなめずらいことか」と問うと今度の弟子も「満街人都是聖人」と答える。先生は「そんなことは当たり前だ、何もめずらしいことではない」と応じる。

 「出遊」して見たのが、仏陀のように生老病死だったのではなく、聖人であったとは、やはりすごいことを言い放つなと思う。しかし、なぜ王陽明は異なる応じ方をしたのだろうか。この前後には答えは見当たらないが、『伝習録』全体の読解から私は次のように考えるのがよいと思う。

 陽明の考え方を表面的にでも知っていれば、「満街聖人」ということは、発想としては必ずしも理解し難いわけではない。陽明は、すべての人には善なる本性である「良知」が生まれつき備わっており、子どもたちや「愚夫愚婦」にもそれがある、いや彼らこそそれをよく体現している、と言っている。だから、「満街聖人」であること自体は、めずらしくもなく、「当たり前」なのだ。だが、陽明的に考えるならば、大事なのは知識や言葉による知的な認識などではなく、本当に「満街聖人」と実感できること、つまりすべての人の「聖人性」つまり「良知」を感得できる、ということだ。しかるべき「功夫」(香港映画でいう「カンフー」のことであり、平たくいえば修行である)を積み重ねて、しかる後に、良知を取り戻し磨きをかけたとき、はじめて「満街聖人」だと実感・感得できるのであって、その境地にあるものこそが本当の「聖人」だ、そして誰もその意味で聖人たりうる、ということであろう。

 『伝習録』には次のような言葉もある。「天下の人の心は、すべて自分の心であります。天下に狂気を病む人があるかぎり、どうしてわたし一人がそれを免れることができましょう」(溝口雄三訳『伝習録』中公クラシックス、2005年、272頁)。そもそも自他の区別は本質的なものではなく、自他を超えたある種の境地のなかでは、狂気をも含み込んだ「満街聖人」の世界が広がっている、ということなのだろう。

 だが、狂気をも含んだ聖人とは何事なのか、これは確かに知的には理解しにくい。しかし、陽明的には、にもかかわらず、人の本質は狂気などではなく良知にあるのだ、それは理屈では説明しがたいが、「功夫」によって実感とともに体得する真実なのだ、その時には自分の良知も他人の良知も区別なく渾然一体とした「満街聖人」の世界とともにある、ということになるのだろう。これはやはり、今日的な意味での学者の言葉というよりは、むしろ「宗教的体験」(W.ジェイムズ)、つまりある種の「回心」を経た宗教者の言葉に近いのだろうと私には思える。

 私はむろん、そんな回心を経験したわけではまったくない。ただ最近なぜか、どうしようもない人というのはたしかにいるが、しかしなお「満街聖人」であるとなんとなく感じるのである。これは奇妙だが、相当に幸せな感覚でもある。もっとも、そういう感覚をもつのは、王陽明とは異なり、単に中年の男の気に緩みのせいなのかもしれない。


 ところで、また論文を発表した。

 「「白蛇伝」にみる近代の胎動」というタイトルである。

 これは、蛇をめぐる中国の文化史・心性史のようなもの。とくに「白蛇伝」という、王陽明や沈周の時代の少しあと、明末から清朝初期に最高潮を迎える、様々に変異した物語の変遷を辿っている。皇帝を殺す複数の物語群のなかに、近世中国の人々の心性のダイナミズムを読み込もうとした、前回発表の「皇帝を殺す」の姉妹編のようなものになる。

 思えば、「白蛇伝」を初めて読んだのは、大阪のアジア図書館の書架にそれをみつけた2000年のことで、「白蛇伝」の演劇を初めて観たのは、2002年の夏に訪れた北京の、たしか正乙祠戯楼という名の小さい京劇の劇場でのことだった(「盗仙草」の段だった)。以来「白蛇伝」には心惹かれてきたが、これをテーマにする論文を書こうと思い立ったのはようやく2011年のことだった。ずいぶん時間をかけて暖めてきたテーマなので、まだ不十分な点は多々あるが、まずは報告しておこうと思った次第である。

 ご一読いただければ幸いです。こちらです。

 なお、 「白蛇伝」は抜群に面白い物語なので、研究も中日でずいぶんなされてきたが、清代以降は多様な芸能のジャンルに流入し文献も増え、私の論文もふくめてその部分についてはまだ十分研究が進んでいない。この時代の芸能にかんして予備知識がある程度あれば、清代・民国期の「白蛇伝」は、トライするべき未踏の分野だろう。
by kohkawata | 2014-05-17 13:38 | 近世中国の文化 | Comments(0)
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