中国本土の不安な未来


 中国本土はこれからどうなっていくのだろうか。この13億人以上を擁する、人類の歴史上最大の国家の秩序はこれからどうなってしまうのだろうか。最近しきりと懸念されている中国の経済バブル崩壊よりも、国家的な秩序全体の混乱の方にもっと不安を覚える。

 長年独裁を続けてきた共産党支配の腐敗はもはや常規を逸しているようだ。例えば薄煕来一族の不正蓄財は5000億円近くに昇るという。どれほどの不正が積み重ねられたのか、想像を絶する。あるいは、公権力であるはずの地方政府は、紛争解決や利益誘導のために大小の暴力を秘かに行使しているという。近代国家にあるまじき事態である。中国の学会では論文の掲載に賄賂が必要だということを聞いたこともある。それが本当なら学会のすべてが茶番になってしまうが、その手の大小の腐敗・茶番は今や中国社会の隅々にまで及んでしまっているのかもしれない。

 歴史が教えてくれるのは、独裁は腐敗を生み腐敗の深刻化は体制の崩壊に帰結する、という一般的法則である。だとすれば、中国共産党の支配も早晩終わるはずである。

 もっとも現代中国についての専門家はだいたい、近いうちの体制の崩壊を予想しないようだし、体制の崩壊よりもバブルの崩壊を心配しているようである。私もまた次のようにも思う。中国共産党の政治権力の奪取・維持へのマキャベリズムぶりにはただならぬ伝統がある。また、共産党員だけではなく多くの中産階級が現在の経済発展の恩恵を受けているし、貧しい階層にも物質的な豊かさを求めるエネルギーが溢れている。そして、中国人は概して現実的で、決死の覚悟の政権打倒などという幼稚な幻想などは抱かずに、たとえ不当なものであったにしても、無秩序よりも秩序を選ぶだろう。だから、この体制は、バブル経済が多少弾けたとしても、まだしばらくは続く可能性は大いにある。

 しかし他方で、体制が末期的であることを示している兆候は他にもある。チベット族やウイグル族への弾圧、あるいは民主派への抑圧は、あまりに不当で道義を欠いており、もはや共産党の正当性など内外の人の誰も信じられないに違いない。実際、共産党の幹部たちはその資産の多くを海外に移転させており、親戚や子弟の多くがすでに海外移住しているともいう。彼らですら体制の未来を信じていないのであって、だとするならば、値上がりしすぎた株価と同じように、体制が崩壊する時は一気呵成ではないだろうか。そして、国民の全体が豊かになる前に経済成長は減速を始めてしまったようで、もし減速傾向が強まれば、格差が縮小する見通しは消え去り、大多数の国民は先進国並の豊かさを手に入れる夢も失うだろう。そうなれば、多くの人にとって茶番を続ける理由がなくなってしまう。

 仮に共産党の支配体制が崩壊するとしたら、その代わりに現れるのは何であろうか。これはきっと当事者たちにも専門家にも誰にも予言できないことだろう。しかし、ごく最近になって、欧米諸国が期待するような民主派ではなく、ある種の毛沢東主義の復活が報告されている。中国は、近代に至って、太平天国を生み毛沢東の共産党を生んだ。どちらも誰も予見しえなかったであろう、未曾有の得体のしれない集団だが、共通するのはユートピア的な万民平等の幻想と徹底した独裁体制である。そして、とてつもない災悪をもたらして、カリスマ的指導者とともに消えていった。その歴史が繰り返されるならば、今度現れるものも、今の政治体制よりもずっと幻想的で破壊的な性質をもつものかもしれない。

 だが、もうかつてのように中国は孤立していない。人と金と物と情報がかなりグローバル化している今日において、狂信が長く広く続くことは難しい。そもそも教育水準も格段に上がった。ならば、私の貧しい想像力では、多少いびつなものだとしていも、やはりある種の民主的な秩序が模索されるほかないのではないか、と思われる。毛沢東ではなく、むしろ孫文が民主化とナショナリズムを統合する象徴として復活しないだろうか。例えば香港系の映画では孫文は明らかに収まりにいい政治的かつ人間的な理想の象徴であり続けている。かつての台湾の民主化を秘かに促したという米国は、そして欧州も、間違いなく中国の安定的な民主化を望み支持するであろう。そしてもちろん、台湾も香港も韓国も中国本土の安定的な民主化を歓迎するに違いない。

 もっとも、なぜか現代の日本人は、戦前の日本人と異なって、中国の民主化に力を貸す用意がほとんどないようである。中国の民主化運動に関わっている人が来日したさいの、歓迎イベントのようなものに何度か参加してみたが、彼ら運動家たちの気骨ある情熱とは対照的に、歓迎するはずの日本人側の熱意はいつも奇妙なほど低いものしか感じられなかった。そういう私自身も、中国の古今の文化には多大な敬意と興味を抱きながらも、その政治的状況に何らかの形で貢献しようという熱意を持てないでいる(そもそも、私も含めて今の日本人には、自国の政治にたいしてすら貢献するつもりなど、ほとんどないのだろうが)。

 日本を含めた東アジアにとって、そして世界全体にとって、中国の支配体制の崩壊と刷新と民主化が、犠牲の少ない実り豊かなものなってくれたらよいのだが、そのような期待は甘すぎるような気がして心配である。現代の中国はあまりに大きく複雑で、もっと意外な、誰も予想しなかった顛末が待っているのかもしれない。
by kohkawata | 2013-08-14 16:36 | 現代中国の映画 | Comments(0)
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