『東京家族』、かぎりなく優しい映画

 採点と入試が終われば今度は研究会の準備とか研究費の精算やら請求やらと、何かと気ぜわしいのだが、それでも山田洋次の新作は見なければならないというような軽い義務感もあって、西宮で『東京家族』を観てきた。

 素晴らしい映画だった。父母と子ども、姉と弟、女と男、労働と家族、東京と地方、過去と現在、失意と希望、そして生と死のサイクル、それらのすべてを2時間余りの静かなフィルムのなかに美しく、そしてかぎりなく優しく収めている。

 前にこのブログで佐藤忠雄の山田洋次論について少しふれたが(こちら)、その時は、山田洋次がさらにこんなに良い映画を撮るとは期待していなかった。小津が手本であったにしても、この『東京家族』に込められた思想には、小津も及ばない熟慮の積み重ねがあるように思う。あるいは山田と共同で脚本を担当している人など、他のスタッフたちの力も相当なものなのだろうか。

 それにしても、映画館でこれほど素晴らしい映画を観たのはいったい何年ぶりだろうか。もう終わりかけているようだが、まだ一部の劇場では上演している。今の日本を描いているので、今観るといい映画だと思う。私の個人的な心情にぴったりくる、ということはあるにしても、広くすすめられる映画である。いや、今観なくても、きっと多くの日本人がいろいろな媒体でこの傑作を、十年後も五十年後も、何度も観ることになるだろう。

 その時、今の子どもたちが大人になってこの映画を観たら、どう感じるだろうか。もしかしたら、この映画のなかに懐かしくも美しい世界をみるのかもしれない。映画のなかで橋爪功が「この国はどこかで間違ってしまった」と遠い目をして嘆息しているが、「何も間違っていなかった、夢のように平和で豊かで自由なかわいらしい時代だった」と平成時代を回顧するのではないかと夢想する。

 そして、寅さんもようやく結婚するんだな、と思ったりすると感慨もひとしおである。阪神淡路の地震のすぐあとに寅さんは最後の訪問先の一つとして長田を選んでくれたが、今回は東日本大震災後の南相馬でマドンナに出会ったことにしてくれている。変わることのない、いや、いっそう深まった、優しく惜しみのないサービス精神を感じる。
by kohkawata | 2013-02-22 19:11 | 現代日本の文化 | Comments(0)
<< 初春の香港 宝塚歌劇をはじめて観る >>