老いて旅立つ

 新幹線など電車の電光掲示板でニュースが流されていることがある。言葉たらずで目障りな、そうした情報の流し方は好きではないが、今日夕方、名古屋での集中講義の帰りに名鉄の車内でみたニュースには、不思議な感慨を覚えた。

 「日本永住を決めている、コロンビア大学名誉教授キーン氏(89)がNYを出発。日本国籍を取得の予定」

 私はドナルド・キーンの長年の愛読者である。彼の文学批評は深いとか鋭利とかいうものではないが(彼の現代文学にたいする批評は相対的にはおもしろくないと思う)、目配りが広く穏当で、そこはかとないユーモアもあって、いわゆる「コモンセンス」を感じさせる。それは、日本文学の研究・批評の世界ではとりわけ貴重なものだと思う。なかでも私は彼の『日本文学の歴史』(全18巻)が好きで、いつ読んでもとても楽しく、日本文学の通史として最もよいものだと断言してほぼ間違いないと考えている。日本文学の通史としては他に優れたものとして、加藤周一『日本文学史序説』(上・下巻、1975年、80年)と小西甚一『日本文藝史』(全5巻、1985-92年)があるが、どちらも時の流れのなかで少し古びてしまった印象が拭いがたい。だが、1970年代から90年代にかけて書き継がれたキーンのものは今でもすばらしいとしかいいようがない。現在『日本文学史』の名前で文庫化されつつあるようだが、図版を豊富に掲載し装丁もおしゃれなソフトカバーの版を私は気に入っている。他にも、近代日本の作家たちの日記を読み解いた、彼の『百代の過客』や、『渡辺崋山』、『能・文楽・歌舞伎』なども好きな本の一冊である。

 そのキーン氏が、東日本大震災の後、わりとすぐに、「震災と原発事故が起きたからこそ、日本を去るのではなく、日本に行くべきなのだ、私は日本に永住しようと思う」といった意味の発言をして、マスコミでたいへん好意的に取り上げられていた。キーン氏の正確な発言の文脈なり気持ちを知らないが、ただ私は個人的には、そういう理由で移住することにとくに感心したりしないし、氏がどこに住むのか関心を持ちようもない。

 にもかかわらず、私は今回のこの電光掲示板の短文に詩的ともいえるような感覚をもった。89才にして遙か遠い極東の地での永住を決意して、住み慣れた母国の都ニューヨークを後にするその瞬間・・・この、高名な文学研究者は、おそらくは意図せずして、彼の人生において最も文学的に表現されることになる瞬間を実演したのだ、という感じがする。今、彼の脳裏には、旅することを厭わなかった日本の文人たちの最晩年の様々な言葉が浮かんでは消えているに違いないと思う。
 
 
by kohkawata | 2011-09-01 23:35 | 現代日本の文化 | Comments(0)
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