災害ののちの春

 
 災害から一月余りがすぎ桜花の舞い散るようになって、ふと、杜甫の著名な「春望」は災害の詩であったのだと気がついた。

 国破れて 山河あり
 城春にして 草木深し

 今の日本の状況を「国破れて」というのは大げさすぎるかもしれないが、それでも小なりといえども敗戦のようなものだと感じられる。第二次世界大戦の後に日本が営々と積み上げてきたもの、それが象徴的に、そして実質的にも傷ついたように思う。

 思えば、日本にとっての第二次世界大戦とは、近代的軍隊という怪物を制御できなくなっての戦争であり敗戦であった。この怪物にとどめをさしたのはもう一つの怪物、原子爆弾だった。この爆弾は広島・長崎の人々を殺傷したばかりではない。生き残った被害者たちの心にも深い傷を残した。そのことは、例えば、ロバート・リフトンの『ヒロシマを生き抜く』(岩波現代文庫、2009年)という本をみればよくわかる(この訳書は新しいが、Death in Lifeというタイトルの原著は1967年刊行の古典である)。リフトンは、私の理解ではPTSDという診断名をアメリカで公認させることに力のあった人だと思うが、この本に描かれているトラウマ的体験は、後に少し図式的になりがちになるPTSDについての語りよりももっと生々しく悲惨なものである。

 そのようなたいへんな経験をして「過ちは繰り返しません」と死者たちに誓ったはずなのに、戦後の日本人は、批判と懸念の声を無視して、軽率にも政府・官僚・専門家を信じて、原子力発電所が全国に建設されるのを許した。そして、結局は、この新しい怪物を制御できなくなってしまった。しかも今破損して放射能を漏らしつつある原子炉の核心部分はアメリカの企業がつくったものだという。米国に大量虐殺されながら怒ることのできなかった日本の人々の心理をリフトンは分析しているが、そのまっとうな怒りの欠如はアメリカ製の原子炉を信頼してしまったこととどこかで関係しているのかもしれない。今度はもう少しましな対応をと期待したが、先日の統一地方選挙で最も多くの票を集めたのは、自分たちが長年にわたって推進してきた原子力行政に何の検証も反省も示していない自民党であった。同情や共感はできても正しく理解し批判し反省することがどうやら不得意そうな「我々日本人」の、どこか素朴な弱さにため息がでる。

 先の敗戦の時にも杜甫の「春望」を思い返す人が多かったという。国が敗れても、自然の恵みは豊かで美しい、そのことに驚き感謝する人々がいたという。だが、今回の「敗戦」によってその自然すらも汚染されてしまった。汚染が原発近辺でとどまってくれれば、というのは遠くに住んでいる者の勝手な望みにすぎないが、たとえこれ以上直接に拡大しないにしても、食物連鎖の心配もある。胎児や幼い子どもたちへの影響がとくに深刻になりえるという。今後長いあいだその心配と対処を、信頼できない情報とあやふやな知識をもって、続けなければならないようだ。

 時に感じては 花にも涙をそそぎ
 別れを恨んでは 鳥にも心を驚かす
 峰火 三月に連なり 
 家書 万金に抵る

 冒頭の二行に比べると、この三行はセンチメンタルすぎるように思っていたが、災害の後の読むと、素直に共感できる。杜甫は安史の変によって都での文人としての生活から転げ落ち、そのときにこの詩をうたったのだが、震災によって、程度の差は著しいであろうが、私たちもまた頼りにしていた何かから転げ落ちたのではないだろうか。そういうときに、花鳥や家書のような、頼りになるわけでもないものにさえも心を驚かし頼ろうとするのはよくわかる。

 白頭掻いて 更に短かし
 渾べて簪に 勝えざらんと欲す

 失ったものを取り戻すことなく老いていくであろうという悲哀と諦念をもって終わりの句とする。じっさい、こののち杜甫は二度と都での生活に戻ることなく、家族とともに各地を転々とし続け、それでも何とか都に戻ろうとした旅の途中で客死することになる。この放浪の時代の、とりわけ三峡辺りを行きつ戻りつしていたころの詩は、安定した生活ばかりかすべてから転げ落ちていくかのような、壮烈なものだと思う。

 だが、日本人は多くを失っていく悲哀と諦念に耐えることができるのだろうか。程度の差は著しいであろうが、あまりに多くの人が傷ついた。リフトンの描く広島の経験と同じような苦しみを生きている人たちがたくさんいるのだろう。それほどではない人たちにとっても、母なる国土が汚染されているということは、自覚されるよりも深く心理的にもダメージを被ることではないだろうか。日本人は危機に強いともいうが、無数の傷はどうやって癒えていくのだろうか。

 ところで、災害後を描いた映画として台湾の呉乙峰監督の『生命』(2003年)というものがある。これは1999年の集集地震によって家や家族を失った被災者たちを数年間にわたってていねいに取材したフィルムである。ドキュメンタリー映画というものを私はよく知らないのだが、とてもいい映画だと感じた。

 だいぶ前に見たので、記憶が少しあいまいだが(関西では十三の第七藝術劇場で公開されて私はその時にみた。ビデオがあるらしい)、こんな夫婦が映し出されていた。地震がおきたとき、夫婦は日本に出稼ぎに行っていて無事だったのだが、山中にあった家は地震による土砂で全壊し、家に残されていた二人の息子(小学生と5歳くらいの男の子だったか)は亡くなってしまった。夫婦は耐えがたい日々をすごすが、少しずつ立ち直り、3年の月日が流れる。そしてある夜、二人の息子の母親はこんな夢をみる。上の息子が出てきて、「お母さん、安心してください、弟の面倒は僕がちゃんとみますから」と告げる。そんな夢をみた母親は長男のこの言葉を信じてようやく安心し、第二の新婚旅行と称して、夫とハワイに旅行にいくことにする。

 三年でここまで立ち直るとは、杜甫なんかよりずっとたくましいなと思う。他方で、両親を失って親戚のやっかいになりながら、親戚や周囲の人たちに怒りをまきちらす若い女性の姿もこの映画は映している。

 これから多くの日本人が千差万別の物理的・精神的な回復への長く苦しい道のりを少しずつ歩むことになるだろう。その時、それが、それぞれのかたちで、怒るべきものに怒り、悲しむべきことに悲しみ、そしていつかは反省すべきことを反省できるような、そんな力強く賢い歩みであれと願う。
by kohkawata | 2011-04-17 13:30 | 現代日本の文化 | Comments(0)
<< ベトナムの叙事詩など 今回の災害で思ったこと >>