「通俗道徳の役割」

 「通俗道徳の役割」という題の私の文章が載っている、井上俊・伊藤公雄編『日本の社会と文化』(世界思想社)が今週辺りに本屋に出るそうだ。
 
 この本は、全部で11冊からなる『社会学ベーシックス』というシリーズの一冊で、このシリーズは全部で270点ほどの社会学関連の基本文献の解題をしている。編者によれば、社会学の知的遺産の目録となることを企てているという。

 通俗道徳とは歴史家・思想史家である安丸良夫氏の命名であり、近世中期に始まり次第に日本全域で支配的となっていく民衆道徳のことで、安丸氏は『日本の近代化と民衆思想』という本のなかでこの通俗道徳についてかなり詳細に分析している。私の短文は氏のこの通俗道徳論を紹介するとともに、安丸氏のその後の研究についても短くまとめている。
 
 私が安丸氏の研究にはじめてふれたのは、大学院に進学したばかりの1992年の春であったと思う。とある小さな読書会で、メンバーの一人が中井久夫『分裂病と人類』(東京大学出版会、1982年)を取りあげて、そこに安丸良夫の研究がわりと詳しく詳細・分析されていたのである(後で知ったのだが、中井氏と安丸氏は、学生時代の知人であったそうだ)。

  品切れだったので古本屋で探し出した『日本の近代化と民衆思想』を読んで、大学を卒業したばかりの若造の感想としては滑稽なほど僭越だが、これは非常に論理的でクレバーな研究だと思った。当時私はアルチュセールのイデオロギー論などを読んで、社会的な次元の諸力がどのように個々の人間に働きかけるのかといったことに興味をもっていたのだが、安丸氏の通俗道徳論は、イデオロギー的なものと人々の言動との複雑な関係をかなり見事に分析しており、日本のその後の近代化全体への明晰な展望も示している、と思った。

 当時は氏の研究の重要性は、歴史学・思想史学以外の人には、十分には理解されていなかったと思う。しかしその後、次第に広く理解されるようになり、とくにここ数年は氏の古い本が相次いで新書化されたり、氏の研究についての専書(安丸良夫・磯前順一編『安丸思想史への対論』(ぺりかん社、2010年)が出たりと、相当にしっかりと再評価が進んでいる。

  その後私はこの通俗道徳周辺の、近世前期の民衆の心性を自分なりに研究して、次第に通俗道徳論のいくつかの重要な論点について異なる理解をするようになった。それについては拙著『隠された国家』で詳しく書いたので、ここでは繰り返さない。それでもやはり氏の通俗道徳論は今でも、これ以上おもしろい日本の思想史はないといえるほどのものだと思う。

 今回、執筆のために安丸氏の論文をほぼすべて読み直してみたのだが、個人的にとくにおもしろいと思いながら短文には(詳しくは)書かなかったことが二つある。

  一つは、安丸氏の人物伝はとりわけすぐれているということ。『出口なお』(朝日新聞社、1977年)や、短文ながら石田梅岩論(「生活思想における「自然」と「自由」」『文明化の経験』岩波書店、2007年)はとてもおもしろい。石田梅岩関係の文献は一通り読んでいるつもりだが、安丸氏のものが人間としての梅岩をもっともよくとらえていると思った。通俗道徳論をはじめ、安丸氏の思想史というものも、こうした一人一人の人物への洞察というものに支えられていことがよくわかった。

  もう一つは、安丸氏の通俗道徳論というのが、結局は自分の話にもなっている、ということである。彼は富山の砺波地方の農村の出身であり、ここは伝統的に真宗信者の勤勉な人々の多い「通俗道徳」的な地域なのであるが、この地で生まれ育った安丸氏の研究もまた、繊細な他者への共感能力とともに、勤勉な営みの積み重ねの結果である。客観的な歴史研究のはずの氏の文章が自分史・生活史にもなっている、ということは、氏自身が「砺波人の心性」(『文明化の経験』)という論文 ― これは砺波という地域についての出色の分析 ― で回顧しつつ語っていることでもある。

  私もたまたま高校時代の三年間、砺波地方に住んでいたのだが、たしかにこの砺波の風土は特別に深く通俗道徳的なものだと感じられる。大きな扇状地にすみずみまでひろがった田園の風景のなかには、古木に囲まれた宏壮な家屋敷が散在しており、きれいに舗装された道路が、おそらくは自民党への強い支持を背景に、網の目状に張り巡らされていた。これらは多分に、この地域の人々の勤勉や倹約、あるいは権威への従順さなどといった通俗道徳的な姿勢がもたらしたものであろう。

 勤勉とか倹約というと、いくらかせこく未成熟な感じがするが、私が知り合った砺波地方の同級生たちは、たしかに真面目な人ばかりであったが、概してかなり大人びていた。家族や地域の期待をしっかり受け止めていて、その上にたって人生を展望しつつ高校生を勤めている、といった感じの大人である。今の日本の大部分の地域が大幅に失ったようにみえる、ある種の伝統的で道徳的なハビトゥス(習慣)が、この地方にはまだある程度生きていて、私はその残像を垣間見たのかもしれない。

 お釈迦様の大きな腕のなかで飛び回った孫悟空のように、生涯をかけて成し遂げられた極めて質の高い人文研究が実は自分のお話でした、というのは、別に悪いことでも矛盾したことでもないと思う。それほど他者の理解は難しいということでもあり、同時に誰もが他者たちと多くを共有している、大きな宇宙なのだ、ということもあると思う。
by kohkawata | 2010-09-15 13:46 | 近世日本の文化
<< 『永遠の語らい』と元町映画館 雑談の夜明け >>