広東語の学び方


 前回書いたように、広東語はマイナーな言語であり、それにふさわしく、広東語を学ぶための教材はどの言語圏においてもあまり充実していないようである。そのなかにあって、日本語による広東語教材はそれでもかなりそろっている方であろう。

 もちろん、外国語を学ぶためには現地で暮らすのがいちばんいい。よほど例外的な才能 ― 特別に記憶力がいい、勤勉である、音感が優れているなど ― があるのなら別だが(私はないけど)、現地に住むことが、外国語を自分のものにするための、ほとんど絶対的な必要条件であり、またかなりの程度十分条件ですらあるように思う。言語とは元来、「あいつの言うことをどうしても理解したい」「あいつにどうして伝えたいことがある」といった具体的で切実な状況のなかで持続的に使用することによって自分のものとなっていくものであり、それは具体的な人間関係のなかでしか生じ得ない状況である。だから、現地で暮らし現地の人と関わる必要がある。

 しかし、現地で暮らす機会が得られないことも多いし、ロンドンで神経症に陥った漱石を持ち出すまでもなく、それと自覚しなくても深く結びついている対人関係や文化全体から遠く離れて外国で暮らすことにはそれなりの危険もある。

 そこで、ここでは日本で広東語をどう学ぶかということを書こう。私も短期間しか広東語圏に滞在したことがなく、日本で広東語を学んできた。

 まず「普通話」(=中国語の共通語)を学ぶのが得策である。なぜなら、普通話の教材・学習環境は日本ではかなり充実してきており、国内での学習でもかなりのレベルにまで達することが可能だからだ(ちなみに私がはじめて中国語にふれた1990年ころは、普通話の学習環境は今日の広東語のそれに近く、辞書も使いにくかった)。普通話と広東語では発音はまるで違うが、その他の面はよく似ており、とくに書き言葉のレベルではさほど違いがないとさえいえる。普通話を身につけていれば、あとは広東語特有の言い回しや漢字を若干覚えるだけで、広東語を「読む」「書く」ことはかなり容易になる。先に普通話を学ばなければいけないとはずいぶん遠回りではあるが、日本人であえて広東語を学びたいという人はすでに普通話をある程度学んでいる人が多いだろう(なお、普通話を学ぶのであるなら、ネイティブに教えてもらうことはもちろん大切だが、おすすめの自習用教材として、人気のある相原茂氏の多数の教材のほかに、長谷川正時氏が流行の「シャドウイング」の方法を採用してつくった一連のものがある)。

 普通話を学んでいるにせよ学んでいないにせよ、広東語を学ぶうえで最初の、そして最大の難関は発音であり、とりわけ「声調」とよばれるものの習得である。声調とは、一音節内の音程の高低のことであり、広東語には、数え方によって違うのだが、6つないし9つの声調がある。どんな言語にも声調(のような音程の高低)はあるのだが、中国語では一つの語に一つの音節が対応しており、さらにそれに一つの声調が明確に対応しており(逆に、例えば日本語であれば、語の声調は前後の語との関連でどんどん変化していく傾向が強い)、この声調を正確に聞き取り発音することが、他の言語以上に求められる。普通話でも4つある声調の習得は大事なのだが、広東語ではこの数が多いので、とくにやっかいなのである。

 教材についているCDを聴くだけである程度習得できる人もいるかもしれないが、普通はやはりネイティブ・スピーカーに教えてもらうのがいいだろう。ただ問題として、近所でネイティブの人を捕まえるのは、普通話に比べて日本ではずいぶん難しいだろうということがある。大都市圏には広東語教室がいくつかあるようだ。私が通ったことがあるのは、大阪のアジア図書館 ― 中国系の方言だけでなく、ウィグル語やベンガル語といった日本人にとっては馴染みの薄い言語も教えてくれる貴重な場所である ― というところの広東語教室である。香港出身の、日本人ではあまりみかけないタイプの、からっと気さくな先生だった。ネット上だと「中文広場」という所で中国語の家庭教師をみつけることができるが、たまに「広東語も教えられます」という人がいる。もっとも、前回書いたように広東語が「国家言語」ではないということもあって、ネイティブの人たちの多くは広東語の発音表記法を知らない、という難点がある。発音表記なしで声調を含めた発音を学ぶのは非常に難しいので、ネイティブと一緒に発音表記法を理解していかなければならない場合があるかもしれない。これは結構やっかいなことである。

 だが、声調という最大の難所を超えれば、あとは平坦になる。声調以外の発音は、英語よりはやさしいと思う。文法も、普通話を学んでいればほとんど問題にならないだろう。あとは、広東語特有の言い回しを学び、語彙を増やしていけばいい。その段階ではネイティブの先生がいなくても、自習である程度はやっていけるだろう。とはいえ、この平坦な道は、長い長い道である。ただ、普通話の習得とかぶる部分がかなりあるだろう。

 自習するためにはどの辞書・教材がよいか。前回書いたように、広東語は標準化されていないので、「正しい広東語」なるものがなく、それぞれの辞書や教材は、それと明示することなく、あるいは明示して、特定の広東語に偏っていることになる。また英語や普通話の教材と比べると、著者の個人的な好みが色濃く反映されているようにみえるものが多いので注意が必要である。それはそれでおもしろかったりするが。

 広東語-日本語の辞書は、『東方広東語辞典』(千島英一編著、東方書店、2005年)がある。他にも小さいものや古いものはあるが、これがもっとも使いやすいと思う。逆に、これがなかった時はいったいどうしていたのか、と不思議である。日本語-広東語の辞書としては、『日本語広東語辞典』(孔碧儀・施仲謀編集、東方書店、2001年)がある。これは小さいがかなりよい辞典だと思う。香港的な広東語といっていいだろう。

 教材としては、私がいいと思うのは、『広東語入門教材 香港粤語[発音]』(2001年)など、吉川雅之氏が白帝社から出している一連のものである。これははっきりと香港の広東語の教材と位置づけており、香港出身の留学生にきいたところ、この教材の広東語は、香港の若者たちの自然でラフなことばが中心になっているらしく、「なんかなつかしいなあ!」とさえ言っていた。私が実際に学習用として使用したのは、このなかの『広東語中級教材 香港粤語[応用会話]』(2003年)で、解説が的確で、スキットも楽しく、確かによいものであった。発音表記は、世界的には最も流通しているイェール式と香港で開発された「常用字広州話読音表」を併記しており、親切である。ただし、東大生に広東語を教えている吉川氏によるこの一連の教材は、全体に詳しくすぎるし分厚すぎるし理屈っぽくて、かえって使いにくいという声もきく。本気でしっかり学びたい人にはいいシリーズだと思う。

 逆に、頼玉華『日本人のための広東語』シリーズは、説明は簡素だが、実際に学んでいくプロセスを上手におさえた現実的な教材であると思う。これは香港に滞在する日本人向けに現地で出版されたもので、版を重ねて、現在は香港の「青木出版印刷公司」から出ている。昔は旭屋書店が扱っていたが、今は国内では手に入りにくいようだ。3年ほど前に香港に行ったときには、銅羅湾のSOGOの旭屋書店と中環の三聯書店の書架には並んでいた。手に入るのであれば、多くの人にとってこの頼玉華氏のシリーズがベストかと思う。ただし20年以上前に初版の出たこの本は、内容がいくらか古くさく、発音記号はわかりやすいが、独自のものを採用している。

 他には、陳敏儀『ゼロから話せる広東語』(三修社、2004年)がある。説明はたいへん簡略だが、自然な香港的な広東語であるようで、最初の1冊としてはいいと思う。辻信久『教養のための広東語』(大修館書店、1992年)という、薄いが洗練された入門書もある。しかし、もう新刊本屋にはない。最近のものでは張淑儀・上神忠彦『身につく広東語講座』(東方書店、2010年)がある。ぺらぺらとめくってみただけだが、少し硬い真面目な表現に偏っているものの、全体に説明がしっかりしており、分量も少なすぎず、今なら簡単に手に入るので、現実的にはこのテキストがいいのかもしれない。

 以上は主要な入門書だが、その次にくるべき中級の教材はもっと少なくなる。先にふれた『広東語中級教材 香港粤語[応用会話]』が入手しやすいが、他には頼玉華氏のシリーズには中級者向けのものもある。香港の青木出版印刷公司は、必ずしも日本人向けではないが、いくつかの広東語教材を出版しているようで、そのなかには中級者向けのものもあるようだ。

 あるいは、香港映画を教材として活用するのも一つの方法であろう。陳敏儀『香港電影的広東語』(キネマ旬報社、1995年)は、ジャッキー・チェン(成龍)やウォン・カーウァイ(王家衛)らの全盛期の香港映画のいくつかのシーンを抜き出して、そのセリフを題材にした本。香港映画が好きな人には楽しく役立つだろう。広東語では、文末につける語気を示す音によってかなりいろいろな感情・ニュアンスを表現することに特徴があるのだが(この点で日本語によく似ている)、それは人工的なスキットよりも映画の一シーンで学ぶ方がピンとくることが多いように思う。

 自分で好きな香港映画を選んで教材とするのもよいだろう。ただし、香港映画では、ほとんどの場合役者たちは広東語をしゃべっているが、DVDなどの字幕は、中文のものはあっても、意外なことに、原則として広東語の字幕はない。しかし、神戸にある「香港王」という香港グッズのショップの店員さんによれば、一昔前の一部の会社のものに限られるが、広東語字幕があるDVDもあるそうだ。例えば『亜娜瑪徳蓮娜』(1998年、邦題『アンナ・マデリーナ』)には広東語字幕がある(ヴァージョンによっては広東語字幕がないかもしれないが)。この映画はかなりの俗語を含めた日常的な会話が多く、しかも金城武と陳慧琳というこの時代の中国語圏を代表する美男美女が主演している映画なので、楽しめるかもしれない。ちなみに、香港映画のDVDを入手するには、yesasia.com というサイトがもっとも便利である。

 どのレベルを目指すかにもよるが、いわゆる「学習」というスタイルでいけるのはこの辺までだろう。この辺でも、香港映画を楽しんだり、観光旅行をする程度であれば、かなりの程度役立つだろう。たいていの日本人はそれでよいかもしれない。さらにステップアップしたいなら、あとは、それぞれの必要に応じて、i-tuneを活用する(現段階でも、i-tuneやネットによって、ニュースをはじめとして、かなりの広東語音源を拾うことができる)など各自工夫しながら長い道をとぼとぼ歩くしかないかと思う。英語やフランス語よりも、普通話や広東語には、日常的なレベルでも使われる語彙が多いせいか(そういう気がするのだが)、この「とぼとぼ」感が強いように思う。

 こんな感じでとぼとぼ歩いていると、「生は限りがあるが、知は限りがない」という荘子の警告が時々頭をかすめる。しかしまあ、とにかく、後から歩いてくる若い人の目印にでもなればいいかもしれないと思って書いてみた。

 最後にもう一言。日本において広東語を専門とする研究者・教育者の方々はそんなに多くないかと思うが、今後の課題として発音表記法を統一するということは、やはりあってよいのではないだろうか。個人的には、イェール式がよいと思う。英語圏をはじめ広く使われているし、声調の表記においてぱっと頭に入りやすく(数字を使ってないのが一つの理由だろう)、発音の表記も分かりやすいように思う。発音の表記が分かりやすいのは、それが英語的だからだろうか、あるいは単に私が最初にふれたのがイェール式だったので、そう思うのかもしれない。
by kohkawata | 2010-02-24 00:28 | 香港の文化
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