懐古的な『さびしんぼう』を懐古する



 闘病中の大林宣彦監督の『さびしんぼう』をDVDで見直してみた。

 私がこの映画を最初に観たのは、高校の2年生が終わる頃の、高岡の御旅屋通りにあった映画館で、であったと思う(記憶違いかも)。1986年の春だったはず。 

 高校生が主人公のこの映画に、高校生であった私はいたく感動したのだが、思い出すと、それはセンチメンタルで美しい初恋のドラマとして感動したように思う。尾道のノスタルジックな光景、富田靖子演じる百合子さんの美しさ、「別れの曲」の甘いメロディー、そんなものがあいまって、映画館を出て、すっかり暗くなった高岡の街で呆然としていたのを思い出す。

 その後、だいぶたってから何度かビデオやDVDで見直したのだが、最初に観たよう時のような感動は必ずしも覚えなかった。音楽を使いすぎているし、効果音が安っぽいし、『さびしんぼう』というタイトルも「さびしんぼう」のキャラもちょっと恥ずかしい。全体にセンチメンタすぎると感じるようになった。

 もっとも、その前後、監督の他の作品もみて、どれもそれぞれによかった。『転校生』(1982年)と『時をかける少女』(1983年)は、映画好きであった私の兄のお気に入りだったこともあって、懐かしいし、『廃市』(1984年)もよかったし、『野ゆき山ゆき海辺ゆき』(1986年)も、タイトルを含めて部分的にはいいと思ったし、そして、山田太一原作で風間杜夫主演の『異人たちとの夏』(1988年)には、かなり強い感動というか悲しみを覚えた。

 しかしそれでも、『さびしんぼう』が大林監督の映画のなかでは最も思い出深い好きな映画であることに今でも変わりはない。そして、今回見直してみて、以前には感じることのなかった作品の中心テーマが、なぜか今ごろになってようやく見えてきたように思った。私は長いあいだ、この作品に感動しながらも、その内実を意識的にはよく理解していなかったようだ。

 尾道三部作の三作目としてよく知られた映画だが、一応書いておけば、こんなプロットだ。 

 尾道に住む主人公の高校生のヒロキ君は、同じ年頃の百合子さんに恋をする。近所の高校の教室でピアノを弾く彼女の姿を双眼鏡で覗いたり、自転車で通学途中の彼女とすれ違ったりしているうちに、彼女の美しい姿に魅了されてしまうのだ。

 言葉を交わしたことすらないのに、ヒロキ君はすっかり彼女に夢中で、他のすべてのことはどうでもいいという態度である。何でもいいあえる仲のよい友人たちのことも、子どものころからの知り合いの近所の母娘のことも、偉そうなのに小心で俗っぽい教師たちのことも、何を考えているかわからない坊主の父親のことも、ぼけかけた祖母のことも、何かと小言を言ってくる母親のことも、すべては当たり前の日常で、全部めんどくさいなあと思って、百合子さんのことばかり考えている。

 そんなとき、ピエロの格好をした「さびしんぼう」と名乗る女の子がどこからともなく現れて、ヒロキ君と母親に何かと騒がしくまとわりついてきて、この母子の日常をかき回すのである。

 映画は、このピエロによるドタバタを少しくどく描いていくのだが、そのなかでこの「さびしんぼう」が実は16才のときの母親であることを明らかにしていく。母親は16才のときにヒロキという名前の男の子に恋をして失恋してしまうのだが、後に別の男性と結婚して生んだ子に同じ名前を付けたのだ、という。この失恋をしたときの16才の母親が、どうしたわけか現在の世界に現れた、というわけだ。そして、「さびしんぼう」は、現在の母親=自分にたいして、息子にたいして叱責ばかりせずにもっと息子の気持ちを汲んで受け入れてやれ、といった意味の説教をしたりする。

 この「さびしんぼう」はなぜか雨に濡れると弱ってしまうらしく、散々母子の生活に土足で踏み込んで荒らしまわったあげくに、ある雨の日に、もうお別れをしなければいけないと泣きながらヒロキ君のもとを去っていく。ヒロキ君の方も、結局百合子さんに振られてお別れとなる・・・というお話である。 

 今回はじめてわかったのは、この映画が、ヒロキ君の初恋の話というだけではなく、むしろヒロキ君とその母親との別れのドラマなのだ、ということである。我ながら信じがたい鈍感さだが、高校生のときには少しも気づかなかった。

 高校生のヒロキ君とその母親は別れが近づいていることをお互いとくに気にしている様子もないが、「さびしんぼう」は、百合子さんに恋をして母親=自分のもとから息子=ヒロキ君が去っていくことをひどく悲しんでいて、悲しすぎて弱って死んでしまうかのようである。「さびしんぼう」が泣く姿をみて、のんきなヒロキ君もさすがに少し同情して悲しくなる。つまり、映画は、表面的にはいつもと変わらぬ日常の深層で進んでいく、母子の分離のドラマを描いているわけだ。

 この映画は、この母子の別れの悲しみを歌い上げているのだが、同時のこの母と子の互いの思いが、微妙に、しかしはっきりとすれちがっていることも示している。

 母親の息子への愛情には微妙に性愛的なものが含まれている。ヒロキという名前が母親の初恋の相手の名前からとられていることで、この母親の性愛的な思いが息子に注がれていることがわかるし、「さびしんぼう」は百合子さんに嫉妬している様子でもある。母親のこうした性愛的な思いは当然ながら満たされることはなく、かつてヒロキにふられたように、母親はもう一度ヒロキに捨てられるのである。

 一方、ヒロキ君は、日常的には母親の存在をうっとおしいと思っているし、そんな母親の性愛的でもある愛情を気にもとめない。けれども、そのヒロキ君もどこかでは母と別れていくことを悲しんでいるのであり、それが百合子さんへの思いに移し替えられているようにみえる。ヒロキ君にとって初恋は、初めて異性に性愛的に魅かれるということだけではなく、この母子の分離にたいする補償という意味をもっていることを、映画は、暗示しているというよりは、はっきりと意図的に描いている。百合子さんと「さびしんぼう」は富田靖子の二役で、だからヒロキ君は若き日の母親に似た姿に恋着している、というわけになる。母子がともにあったパラダイス的な日々が終わりつつあるからこそ、母親と似た異性の面影にすがりつこうとするわけだ。

 興味深いのは、「さびしんぼう」の方が怒ったり嫉妬したり泣いたりしてひどく人間的で全人格的なのに、百合子さんはいつも無表情でどんな人かわからないということだ。だから、ヒロキ君が好きなのは、母親や百合子さんの等身大の存在なのではなく、その姿の美しさや声や匂いといった、記憶のなかにある断片的で物質的なものだと考えられる。だから、ヒロキ君は母親との別れを心の奥では深く悲しんではいるのだが、実在する目の前の母親とは無関係に、母親の断片を弄びながら一人で悲しんでいるわけだ。子どもの母親への愛着とはたいがいはそんなものなのかもしれない。

 かくしてヒロキ君は母と別れるのだが、彼が失うのは、母や母と似た百合子さんだけではない。すでに高校生でもうすぐ大人にならなければならない彼は、数年のうちに子ども時代のすべてを急速に失っていくだろう。友だちとの気のおけない関係も、バカバカしくも楽しい学校生活も、家族を支えてくれていた父も、すべてを失っていくのであり、親げながらも儚くもある、どこか「廃市」を予感させる、尾道の風景を丁寧に写し込んでいるこの映画はそうした大きな喪失体験を描いているようにみえる。

 父親は何をしているのだろう、というのがこの母子のドラマにたいする素朴な疑問であろう。妻が初恋の相手の名前を息子につけることをスルーしたこの父親は、無口なうえにたまに口を開いてもトンチンカンなことしか言わず、何の役割も果たしていないようにみえる。そして、この映画は、ヒロキ君の父親だけでなく、すべての「父親的」なものを丁寧につまみだしている。祖母はいても祖父はおらず、校長先生は男だがヒロキ君たちに散々からかわれ、PTAの会長は間抜けなおばさんで、男の担任の先生は悪い人ではないがエロい俗物として笑われている。百合子さんにも母はいるが父はいない。尾道には「父」はおらず、尾道の外の世界はいっさい描かれない。

 『さびしんぼう』で表現された「父」を欠いた母性的な時空、それはいかにも戦後日本的な時空である。もっといえば、それは戦争からも貧困からもバブルからも衰退からも自由であった、「現実」がどこか遠い、ユートピアのような1980年代的な時空、我らが高校時代である(もっとも、映画では向島の百合子さんの家は貧乏で、貧乏なのに和服を着ていたりして、そこには80年代というよりはもう少し前の時代の、たぶん監督の少年時代の雰囲気がある)。

 その母性的な時空にあって、はっきりと自覚しなくても予感せずにはいられない母の喪失が大きければ大きいほど、人はきっとそれに直面などできないのだろう。ヒロキ君が百合子さんを強いて追いかけたりしないのは、結局彼にとって百合子さんが、失われいくすべてのもの(なかんずく母)の悲しい代理にすぎないからで、百合子さんは最初から消えていくべき形象なのだ。百合子さんを失って、それを悲しむことで、むしろ本当の悲しみから何とか逃れることができるような気がしているのかもしれない。

 意識できない別れの悲しみというテーマは、前作の『時をかける少女』でも主題的なものだ。主人公の和子は未来からきたという青年と別れるさいに記憶を消されるのだが、それでも覚えていないはずの初恋の思い出を抱きしめるかのように、独身であり続けるという結末になっている。『異人たちとの夏』では、このテーマが発展していて、亡霊として蘇った若き日の母と父と再会したうえで改めて永遠に別れる、というプロットになっている。それまではちゃんとお別れできていなかった、ということだろう。

 映画は最後に、実はヒロキ君が百合子さんと結婚したことを示すが、これは映画的な慰めといえよう。 映画のなかのヒロキ君は、百合子さんと結婚するばかりではなく、父親の跡を継いで住職に納まっているので、尾道の街とも別れずにすんでいるし、おそらくは老いた父母ともともに暮らし、高校時代の親友たちとも、盆正月には会えるだろう。だから、この映画を観終わった観客は、「なんだ、よかったじゃないか」とちょっと安堵することができる。しかも映画は、結婚した百合子さんがヒロキ君に「もう一つの顔」を見せている、と語る。つまり、失われていくべき形象とは別のより実在的な百合子さんが呈示されているとすることで、ヒロキ君も観客も現実に立ち返ることができるのである。

 しかしながら、実際の人生はそう簡単に幻想から目覚めて心地の良い「現実」に立ち返えられるわけではないだろう。尾道のような衰退していく地方都市には仕事も希望もないから、多くの若者は東京や関西といった大都市圏に移住してちりぢりになって帰ってくることはない。子ども時代の豊かな幸せと小さな不幸は、高校時代の終りととともに、ほとんどすべて失われて記憶のなかにしまわれていく運命にあるのだ。

 大きな喪失を抱えて、人はどうすればいいのだろうか。

 映画『さびしんぼう』は、そのノスタルジックな風景や甘い音楽、あるいは都合のよい結末とはうらはらに、青春の過酷で普遍的な喪失の運命を鮮やかに表現していると思う。



# by kohkawata | 2017-07-24 16:11 | 現代日本の文化 | Comments(0)

七夕伝説と目連救母



 最近、論文を2編発表した。

 一つは、「中国における七夕伝説の精神史」。

 これは、紀元前の中国で発生したとされる牽牛と織女についての物語の歴史的変遷を追いかけ、そこに精神史的な発展の軌跡を見出そうとしたもの。

 儚くも美しい物語であって、これを調べるのは実に楽しく、論文の執筆もかつてなく軽快であった。論文では直接には活用していないが、フィールドワーク的な調査も行っていて、台南の街で七夕の習俗に接することができたのはいい思い出になった。

 いくつかの主要なバリエーションのある七夕伝説のなかでも、「牛郎型」とよばれる物語についての分析は、一定の独自性と妥当性があるのではないかと自分では思っている。

 「牛郎型」とは、牛飼いの青年が下界の泉に降りた織女の衣を、牛の助言に従って盗んで結婚するという発端をもつ七夕伝説の類型の一つで、近世以降の中国の七夕伝説ではこれが主力で、今日でも七夕といえばこの系統である。

 この発端部分は、世界中に散らばる「白鳥乙女型」とよばれる民話の一類型で、日本の羽衣伝説もその一つである。その点で「牛郎型」には、ある種の民俗的な普遍性があるといえる。この普遍性についてこの小論のなかで十分に論じたわけではないが、解釈の一つの方向性を示すことは多少はできたのではないかと思う。

 ちなみに、今日の日本人が知っている、天の川の両岸に引き離された織姫と彦星が七夕の日にだけ再会するという話は、中国では最も古い形に属する七夕伝説である。中国では様々なバリエーションが生まれ発展していった物語が、日本では古いまま保存されてきた、というのも興味深い現象だと思う。

 とはいえ、日本でも、前にこのブログでふれたように、実は地域によって七夕伝説にまつわる多様な習俗があった。七夕伝説はこれほど広く好まれてきたのに、日本における七夕の伝説と習俗についての総論的な研究も本もまだ存在していない。中国についてはすでに存在するが、まだ研究の余地はある。


 もう一つの論文は、「目連救母の精神史:中国文明における母殺しの彼岸」

 「目連救母」の物語も古い起源(魏晋南北朝期といわれている)をもち、やはり論文ではその変遷を追いかけている。また、七夕論文と同様に、日本に伝播したものとの比較考察も若干行っている。

 だが、七夕伝説とは違って、かなりグロテスクな話で、調べるのは必ずしも楽しくはなかったし、時代や地方による違いが大きく、一通り把握するだけでもずいぶん時間がかかった。七夕伝説を調べ始めるよりずっと前に始めたのに、完成したのは、七夕論文の後になってしまった。1本の論文を書くのにこれほど手間取ったのは初めてだ。

 多様な変異形をもつ「目連救母」だが、「近世」前後の長い時代に共通するのは、目連の母親が地獄で苦しむさまを延々と描く、ということである。

 健気で偉大な親孝行が主題のはずなのに、母親が責め苛まれて何度も殺されては生き返るなどという残酷極める場面が見せ場になっているのはいったいどういうことなんだ?という素朴な問いから出発する論文なのだが、それにたいする答えはもちろん、そもそもこの素朴ににみえる問題設定自体、これまでの研究にはなかったと思う。

 その点で、この論文には十分独自性があると自負するが、「答え」の部分にどれほどの説得力があるかは別問題である。

 どちらの論文も、どなたでも、ご意見をいただければ幸いです。


# by kohkawata | 2017-05-06 18:52 | 近世中国の文化 | Comments(0)

米国の新しい時代に思うこと



 もうすぐトランプの時代になる。思うことを雑然と書いておきたい。後でふりかえれば、ピント外れの心配だったということになるかもしれないが。

 次期大統領ドナルド・トランプは、愚かな人である。世界中の大多数の人がそう感じているだろうし、私もほぼ確信をもってそう思う。

 社会学者のテオドール・アドルノという人が、第二次世界大戦終了後の米国で「権威主義的パーソナリティ」の研究をしている(田中義久・矢沢修次郎『権威主義的パーソナリティ』青木書店)。

 ユダヤ系ドイツ人であった彼は、母国でナチズムの吹き荒れるのを体験して、偏見にまみれやすく差別に走る恐れの強い、「潜在的にファシスト的な個人」というのがどの社会にも一定数いるとして、そうした人の人格を「権威主義的パーソナリティ」と名付けた。

 どんな人格傾向があるのか。簡単にいえば、権威あるものには簡単にひれ伏しやすく、弱いものには笠にきて攻撃的になりやすい。複雑な現実をしっかり理解し受け入れようとする知性に乏しく、自分の都合にいいステレオタイプなストーリーにとびつきがち。また、男性であれば、自分が男であることを誇り、異性をもののように扱い差別的である。総じて言えば、反民主主義的で偏見にまみれやすく差別的である。

 トランプの伝記を2冊読み、また彼のtwitterを覗いてみたが、そこから判断するかぎり、トランプは、この権威主義的パーソナリティの特質にほぼぴったり当てはまる。つけくわえるならば、トランプは自分の力を誇大視する傾向が普通の権威主義者よりも強いと思われる。

 もちろん、わざわざアドルノの古い研究を持ち出さなくても、トランプという人が、そういうだいぶ困った人だというのは、ちょっと彼の言動に接すれば誰にでもわかるはずだ。あんなに分かりやすい悪役というのは珍しいほどで、ちょっとアホなコメディ的な悪役がぴったりだと思う。大統領になるのではなくて、何らかの人的な支援が必要な人にみえる。

 そんな困った人が、世界の「主権者」になる、ということだ。米軍は世界最強の軍隊であって、米国大統領はその総指令官なのだから、一定の局面では誰も彼にかなわないし止められない。もちろん、大統領も国内法の拘束を受けその力は限定的だが、対外戦争にあってはある種の超法規的主体としてかなり恣意的な暴力を行使しうることを、アフガニスタンやイラクでの戦争で、私たちは思い知らされてきた。

 そして、我が日本国は、国内にかなりの規模の米軍の駐留を余儀なくされている。核兵器の持ち込みさえも行われているらしい。他の地域以上に、強く深く、あのトランプの力のもとにある、ということだ。

 最悪のリナリオは、トランプが後先を考えずにその軍事力を大規模に行使することだろう。政治的にも、経済的にも、心理的にも、戦争を起こしたい人たちはいる。戦争は人道にもマクロな利益にも反するはずだが、局所的な利益の誘惑を排してマクロな判断をするべき人が、トランプになってしまったということだ。

 東アジアにはいくつかの政治的・領土的火種があるが、トランプが焚きつけたりしないか心配である。すでに、台湾政府関係者がトランプ周辺に接触して影響を与えているようだ。中国政府の言動の多くが理にかなわないのはもちろんだが、だからといって米国大統領が軽々しく方針を転換するのは危険だ。

 絶望的だろうか。たぶん、まだ絶望するほどのことではない。これほどわかりやすい、したたかさもない「悪」は、米国内でも国外でも絶えず反発と抵抗を生むに違いない。最善のシナリオは、総スカンを喰ったトランプがさっさと大統領職を投げ出すことだ。

 もしもトランプが4年間大統領であったとしても、それでも絶望的ではないかもしれない。トランプのように世界全体や将来世代のことではなく、目の前の利益を追い求める態度は、情けなく有害であっても、資本主義と相性がよい。恐ろしいことだが、戦争もまた資本主義と相反するわけではない。誰が犠牲者になるかは、ルーレットのような偶然性がある。その時まで、絶望するべきではない。

 それに、論理が飛躍するようだが、世界の「主権者」たる人物が無責任なアホだと見切ることは、必ずしも悪いことではないと思う。主権者がアホで世界は無責任でも、私たちは生きていかなければならない。個人的な信頼関係があるわけではない人をあてにするのは愚かだ。それはトランプ前もトランプ後も変わらない。





# by kohkawata | 2017-01-18 19:57 | 雑談 | Comments(0)

『この世界の片隅に』


尼崎の映画館で、『この世界の片隅に』を観ました。

感動しました。
できの悪い小学生の感想のようですが、とっても感動しました。

ぜひとも劇場で観るべき映画だと思います。

# by kohkawata | 2016-12-06 20:17 | 現代日本の文化 | Comments(0)

「海辺の伝説」の上演

  伯母の森禮子の戯曲が舞台にかかった。

 伯母がまだ37才であった1965年に初演された「海辺の伝説」(『森禮子戯曲集』所収)を、福岡を拠点とする「ゲキダン大河」が今回上演したのである。演出は佐藤順一氏。私は11月26日(土)の13時からの回を拝見した。

 異人館のダイニングルームのなかだけでドラマは進んで行く。こんな話だ。 

 夫亡き後、惚けたようにトランプ占いばかりしている未亡人白沢夫人と、父の残した異人館を守るべく一人で奮闘する長女綾子の二人が物語の中心にいる。他に、未亡人の弟で文学青年くずれで居候の宗吉と、銀行に勤める未亡人の長男信彦、亡き夫が愛人に生ませた次男勝彦とがいる。

 異人館に住むこの五人は、すでに気持ちがばらばらであることが、演劇の冒頭で示される。みな同じ部屋にいるのに、別々の場所で別々のことをしながら別々の方向に視線をむけている。家族にはすでに資産はなくアメリカ人の船長が建てたという古びた異人館と借金だけが残っていて、支払いが滞ってガスさえもとめられようとしている。

 それでも、この家族はバラバラなんかではなく今でも豊かで楽しい生活ができていると惚けた夫人は思い込んでいるし、綾子はがんばれば家族を立て直すことはできるはずだとまだ信じて必死に努力している。神様を信じている綾子にとって、事実はどうであれ信じることが救いなのだ。だが、男たちはみなもうばらばらになっていることを知っていて、信彦は自分さえうまくやっていければよいという態度で家族のためには一銭たりとも払おうとしない。勝彦は反抗的な態度でこの家族が欺瞞に満ちていることをみなに知らしめようとするし、宗吉は劇中で何度も家をでていこうとしている(だが、なぜか彼はその度に出立を延期する)。

 綾子はなんとか一家を救うべく、知人の金持ちのお嬢さんをハンサムな弟信彦に紹介して結婚させようとしている。銀子という名前のこのお嬢さんは異人館を訪れる約束をしていて、舞台の上でみなが、銀子さんこそが一家を救うかもしれないと期待して、その来訪を首を長くして待っているのだが、約束の時間を過ぎても銀子さんは来ない。たまりかねて信彦は駅に迎えに行くが、銀子さんは現れなかった。家族の全員が、とくに綾子は、ひどく落胆する。きっとこの家族にはもはや資産も何もないことがばれたのだろう、だから来てくれなかったのだ、とみなは諦める。

 信彦の結婚がだめならば、最後の望みは「手文庫」だということになる。手文庫とは、未亡人の夫が残したもので、この手文庫のなかには膨大な遺産が残されているはずだ、とみんな信じているのである。

 演劇のクライマックスは、これまで開けずにいたこの手文庫を開けるシーンである。そこにちゃんと期待通りに遺産が残されていれば、異人館を守ることができるし、家族は再出発できるはずだ。みなが固唾を呑んで見守るなか、鍵を管理していた綾子が手文庫をあける。だが、そこには無価値な古い証文の類があるだけであった。

 綾子は、実は、手文庫のなかにはめぼしい遺産は何もないことを最初から知っていたのだが、あえてそれを隠してきたのである。何かあると期待させることでみなをつなぎとめられると思ってきたからであろう。

 だが、何もないことがわかった今、家族はとうとう本当にバラバラになる。ずっと姉の家に居候してきた宗吉は、意を決して本を担いで出て行ってしまう。異人館に憧れてお手伝いをしていた、まだ若くて純朴な喜代は、一つの家族が崩れ落ちていくのを目の当たりにして、呆然とする。

 そんな話である。

 原作では、登場人物たちの個性がかなりくっきりと描かれているのだが、演劇においてはそれぞれの役者さんたちがかなりがんばってその個性をしっかり血肉化していると感じた。原作と演出と役者とが、時代や世代を超えて、ちゃんとうまく繋がっていて、演劇として十分に成立していて、なかなかの迫真の人間ドラマとなっていた。とくに、今風の人物ではない、真面目でヒステリックな綾子は共感しにくかったかもしれないが、熱演であったと思う。白沢夫人の惚けぶりも怖いほどであった。若い役者さんも多かったが、偉そうな言い方で恐縮だが、いい経験を積んでいるのではないかと思った。宗吉は、原作ではちょっと滑り気味の道化役であったので、演じるのはなかなか大変であったかもしれない。

 作品世界と作者の実生活とを重ねるのは邪道とする研究者もいるが、私は一般論として必ずしもそう思わないし、親族にしかわからない部分もあるかもしれないので、ちょっと書いておく。

 前にもこのブログで書いたが、伯母の戯曲作品では、この「海辺の伝説」と同じように、夫を亡くした夫人とその子どもたちという構成の家族が繰り返し描かれている。

 これは伯母自身の若いころの時代の家族構成とよく似ていてる。「海辺の伝説」では、未亡人の子どもは長女・長男・次男の三人だが、現実には、伯母からみれば、母と姉二人、弟一人(私の父親である)の家族であった。長姉は伯母が十七才のときに亡くなっており、次姉は米国人と結婚して渡米している。劇中の次男勝彦は、本当のことを率直にいう説明役ともいうべき存在で、その意味で実在性に乏しいことも考えあわせると、劇中の家族構成と、ある時期の伯母の実際の家族の構成とはほぼ正確に重なる。つまり、母と娘と息子の三人である。

 だが、劇にはもう一人の隠れた重要人物がいて、それは未亡人の夫、綾子の父親である。この人がどんな人であったか、異人館を買って交通事故で急死したこと以外語られていないが、伯母の父親は建築技師で福岡の県庁に勤めていた。伯母はこの父の三女として福岡で生まれ、父親の転勤にともない三才で大阪に転居したが、その地で父親は病をえて、福岡の元の家に一家で帰り、その年のうちに亡くなっている。1933(昭和8)年、伯母がまだ5才であった時のことである(以上は森禮子『じゅすた遺文』所収の年譜による)。

 この一家が異人館のようなりっぱな洋館に住んでいたという話はきかないが、父親が亡くなり終戦を迎えたのちの生活がかなり苦しく、この時期に「家作」を次々に手放したという。この境遇は、劇中の白沢家の状況によく重なる。また、綾子が建築としての家に拘っていることは、伯母の父親が建築技師であったこととも相通じる。また、居候のおじも実際にいたらしい。満州で鉱山を掘り当てて成功したもののわけあって郷里に出戻っていたこのおじには放蕩の傾向があったともきくので、劇中の宗吉の様子とも多少重なる。

 このように見ていくと、この「海辺の伝説」は伯母が自分の家族をベースにして創作したものだ、といって間違いないだろう。

 そして、伯母自身がもっともよく投影されているのは、当然ながら綾子であろう。長姉が亡くなり、次姉が渡米し、弟が就職をして関東に転居するなかで、最後まで母親と暮らしていたのが、伯母である。私の知る中年以降の伯母は綾子のように一家を守るために懸命であったとか真面目な人という印象はないが、当時の彼女の置かれた状況を考えれば、そうなるのは仕方ないことであったろう。三人続けての女の子の三番目であった伯母と最初の男の子であったその弟との間が生易しものではなことは簡単に想像できるし知らないわけでもないが、綾子と信彦のあいだの不信と諍いも深刻なものとして表現されている。

 綾子は神様を信じており、伯母はクリスチャンであった。年譜をみると、19才のときに西南学院バプティスト教会で受洗している。母親が夫の死後に入信しているので、母親の影響であろう。それ以降伯母は終生クリスチャンだった。

 この劇のなかにははっとするセリフがあって、それは勝彦がお手伝いの喜与にむかって綾子への不満をいう文脈で言う「世の中にゃ神様を信じているつもりで、信じていると思っている自分を信じているやつが多いんだ」というところである。これは、信仰というあり方そのものへの批判だし、また「家」を信じている綾子への当てつけでもあって、この批判は劇中で反論されることはない。

 つまり、この劇は、一家の崩壊を描くとともに、綾子の信念が崩れ去っていくことを描いてもいる。もしも、伯母=綾子なのだとすれば、「海辺の伝説」はかなり深刻な自己批判・自己崩壊の劇なのだともいえる。劇が終わったとき、綾子にも白沢夫人にも、もう何の未来も希望も残されていないかのようである。

 現実の伯母は、しかし、28才のときに福岡を離れて上京している。遅い上京であるが、すでに地元の文芸誌に多くの作品を発表し福岡の局のラジオドラマの脚本なども書いていた彼女は、東京で文学者として本格的に身を立てる覚悟であったのだろう。したがって、伯母は、家を懸命に守ろうとした綾子でもあったのだが、結局は姉を捨てて旅立った、文学好きの宗吉でもあるわけだ。

 ちなみにいえば、白沢夫人のモデルにあたるのかもしれない伯母の母は、伯母が上京してから半世紀近く生きた。その大部分の年月を、結婚し子供を生み育てた同じ家で一人で暮らした。その間、惚けたりはしておらず、せっせと家事をし近隣の道の掃除までして、きちっと教会に通っていたようだ。白沢夫人のイメージとかなり異なるが、孫の私からみてあったかいやさしいおばあちゃん、といった感じはほとんどなくて、その点で子どもたちに興味がなさそうな夫人と似ているかもしれない。

 伯母は、実家から去ったがその母と同様に信仰は捨てなかった。だとすると、勝彦の信仰批判は、伯母自身のなかではどう受け止められたのか、私のような信仰のない人間にはよくわからない。ただ、私は、前にもブログで書いたが、父を欠いたまま家族が崩れていくことと神への信仰とは、伯母のなかではまっすぐに繋がっているのではないかと思う。そして、伯母には、自分のことも突き放してみるような、俯瞰的で冷徹なところがあるように感じられる。

 いずれにせよ、「海辺の伝説」は、ある時期の伯母の家族が終わっていった現実をドラマにしたものだと考えていいと思う。そして、どんな家族もいずれは終わっていくのであって、その意味で、今回拝見したゲキダン大河の「海辺の伝説」は、私にとっては親族のドラマなのであるが、同時に、家族の終末という重たい普遍的なテーマにも連なったものを表現していたといえるだろう。

 伯母はずっと独身で、半世紀にわたり東京で一人で暮らしていたが、最晩年には福岡に帰り、2014年の春に亡くなった。


# by kohkawata | 2016-12-01 18:36 | 現代日本の文化 | Comments(0)